躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

インド・グラジャート州(ダサダへ)

2008-02-19 14:15:13 | Weblog
赤くなった帽子を被っているのが私
(写真:とうちゃん)
その他の写真もここで↓
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/yoko/20080205/index.html

ポシナからダサダへ行く途中でヒンズー寺院(アンバジ寺院)に立ち寄った。
白亜の総大理石寺院だった。
参道まで大理石。

参道前の階段では修学旅行のような少年達がいて、ガイジンの私達に写真を撮ってくれと大騒ぎ。
片や、お供え用の花(茎なし)売りの子供も。
お供え用の花を買った。
参道の入り口で靴を脱いで預ける。
更に、寺院の入り口では全ての手荷物を預けて入らなければならない。
テロを恐れてこうしている寺院は前回も結構あった。

イスラム教に襲われれてヒンズー教徒がその仕返しをした何年か前の暴動騒ぎは、
グジャラート州だった。
「あれは、都市部の一部の人が煽動したことで、田舎では両教徒が仲良く暮らしているよ。」
と、地元ガイドさん。

大勢の参拝客がごった返す中、なぜか特別な順路で早く祭壇前まで行けた。
ガイドさんがお布施をたくさんしたのかしら。
花をお供えして、眉間に赤いしるしをつけてもらって外に出た。
「なんで仏教徒が(え!そうなの?)ヒンズー教寺院で拝むんだよ~。」と、とうちゃん。
これがインドよ。(笑)

参道に戻ると、熱狂的な信者の団体が巡礼に来たところだった。
顔中に赤く塗りたくって踊っている。
参道脇に並んだお土産屋さん達や、参拝者も何事?といった風に見ている。
近づいて写真を撮っていると、一緒に踊れと誘われた。
待ってました!(笑)
と、踊りの中に入っていったら、なんと頭から赤い粉をどさっと振りかけられた。
これでこの人たちの顔が赤くなっていたのだと判った時はもう遅い。
帽子も服もバッグも、自分では見えないけど顔も真っ赤っか。
もうやけくそで踊りまくり。
両手に鈴のついた楽器まで持たされて。
いや~楽しい!なんだか分からないけどヒンズー教万歳!

ところで、この寺院の神様の名前は?
覚えてない!長たらしい名前だったような・・・
それでも記念に神様の絵を買った。(笑)
歌のCDも買った。

昼食は素敵なリゾートホテル。
ヘリポートまである。
ここもマハラジャの邸宅だったところだ。
カレーの食事も美味しい。

マルワリラバリ族のお宅を訪問。
やっぱり子供達を追いかけて遊んだ。
深追いしすぎて1人の子が泣きべそをかいた。
ガイジンに追いかけられて怖くなったのだろう。
いじめてないからね私。
そろそろ子供に飽きてきた。
多すぎるよ。子供だらけ。
まだまだこれからだと言うのに、お宅訪問にも飽きてきた。

観光バスが故障!
前回の別の旅行社のツァーでもそうだったので、驚きはしなかった。
近くに線路が見えたので、とうちゃんと二人で歩いてみた。
「インドの線路を歩くなんていいよねえ。」(何が?)
日本よりちょっと線路の幅が広い気がした。
呑気にぶらついていたら、現地ガイドさんが青い顔して、三輪自動車のタクシーで探しに来た。

なんとかバスを走らせて、少し行くと近代的な建物があった。
そこにはファーストフードの店が!
メンバー全員入れられて(脱走者予防?)バスの修理を待つ。
数学を学んでいるという美人の女子大生が話しかけてくる。
これからの世界を背負って立つのだろう。

バスが直って乗り込もうとしたら、老人と足のない男性の乞食がいた。
現地ガイドさんがお金をあげるのを見て安心。

ドライブインには旅行中よく立ち寄った。
簡素なつくりでもち込み可。
チャイのお店が必ずある。
タンクに汲み置きの水を使っていた。
カップはデミタス。
駄菓子や雑貨も面白かった。
揚げ菓子屋のおじさんに出来たての菓子を味見させてくれと小さいのをつまんだら、もっと大きいのをくれた。
悪いのでお金を渡そうとしたら受け取らない。
みんな親切で、インドを楽しん行ってくれと言う風だった。

パタンの町でパタン織(絣のルーツ)の工房と地下7層もある階段井戸を見た。

日没を撮るためにバス停車した時、らくだに引かせた荷車に乗った親子がいて、写真を撮れとポーズをきめた。
写真を撮るのが好きな日本人。写真を撮ってもらうのが好きなインド人。
相性が良い。

ダサダのロッジは、民家風。
寝室も水周りの部屋(バスタブがないので、バスルームとは言えないのだ。)も同じ。
部屋の中はミラーワークのような鏡を塗りこんだ模様つきの白壁。
まるで絵本の家。
丸い部屋はリラックス満点だった。
そして、ここもドアの鍵は南京錠だった。
しかも、ドアの一番上に。(笑)