躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

一人前

2006-09-17 21:09:05 | Weblog
午前中は気功仲間と公園デビュー。
山と池の側の公園で、9人で気功をした。
気功はやっぱり外がいい。
先生が日本にいらした頃は、合宿があって、
気温が0度でも外で早朝1時間の練功をしたものだ。

昨日の稲刈疲れが出で来ていたが、
テラスの手すりに干した稲が鳥にやられないように、ネットをかけるのをしなければならなくて、
初めてのことなので、結構時間がかかった。
稲刈だけではまだまだ終わらないお米作り。
1週間ぐらい干して、脱穀をする。
足踏み脱穀機を買ったので、使うのが楽しみだ。

気功の後のおしゃべりタイムに、田んぼの話になって、
年配の人が、「私たちの子供の頃は、田植えと稲刈の頃には手伝うために1週間の休みがあったのよ。」と。
そうそう、私の地方でも、私が小学生の頃は中学校がそうだった。
でも、確か3日くらいだったような記憶。
なんでもやってみたがりの私がねだっても、
実家では、田んぼは大切なのだから中学生になるまではだめだと
手伝わせてもらえなかった。
早く中学生になって、一人前に手伝いしたいと思ったものだ。
ところが、私が中学生になる前に、そのお手伝い休みがなくなっていた。
実家もその頃にお米を作るのを止めたので、
中学生になっても田植えも稲刈もできないでいたのが心残りになっていたようだ。
自分でも気付いていなかったのだけど。

やっと子供の頃の願望が叶ったというわけだ。
やっと一人前の気分だ。(中学生の?)


親切に感謝

2006-09-16 21:58:08 | Weblog
なんと良いお天気。(maloさんありがとう)
稲刈りだあ、と元気なのは私。
とうちゃんは、この間のテニス疲れに、昨日のちょっぴりの稲刈りでばてていた。
半分だけにしておこうムードになっている。

稲刈りの時は声をかけて欲しいと言っていた友人達の中で、
一人だけが突然の誘いに乗ったが、午前中の1時間だけで、
しかも、鎌でなくてガーデニング用のはさみでチョキチョキなのだ。
やめてよね、でもまあいいか、遊んで行ってね。

田んぼの3分の2くらいは、田植えの時のように泥の中に膝まで脚が埋まる。
裸足になって歩かないと長靴では無理だ。
泥んこになりながら刈っていった。
とうちゃんと友人は、水のない足場のいいところで遊んでいる、じゃなくて刈っている。

友人が帰ってからは、ますます動きの鈍いとうちゃん。
稲刈をしないで束ねるのだけをやっていたが、
ついに、「早く帰りたい。」
昔、まだ小さい子供の頃、母が私と弟を連れて畑に行くと、
退屈して弟が帰りたがり母を困らせていたっけ。
(子供じゃないのだから)無視をした。

私の方は、稲を刈っているとどんどん元気になっていく。
稲のエネルギーが入ってくるんだよね。
DNAさんも喜んでいる。日本人だなあ。
しかし、あと4分の1くらいという頃には、さすがに腰が痛くなってきた。
ほとんど私が刈ってるわけだから。

そんな時、田んぼの側の道に軽トラックを停めて、
朝から奥の田んぼで作業をしていたご夫婦が、
作業を終わって帰ろうと車に乗り込んだ。
会釈をして見送ったのだが、車を少し進めてから降りてきたのだ。
なんと、手伝ってくれると言う。
女の私が稲刈で、男のとうちゃんが束ねているのは、
農家の人にはあまりにも気の毒に見えたのだろう。
ご夫婦が手伝い始めてくれて驚いた。
ご主人は、まるで機械のような速さで刈りとっていく。
奥さんの方も、藁でくるくる稲を束ねる手さばきの見事なこと!
は~!すごいわ。我々の5倍は速い。
身についている動き、長年の経験には敵わない。
しっかりコツも教わった。

しかし、私たちが習っても、もう遅い。
若い時からやっていないと体力がついていないし、先の時間も少ない。
この人達の経験を引き継ぐ若者を育成しないでいいのだろうか。
機械に頼ることばかりしていて、こういう技術を捨て去っていいのだろうか。
そして、こういう人たちのことを社会がもっと評価して欲しい。
手作業で、日本の食を支えてくれた人達がいたことを、忘れてはいけない。

それにしても、ご自分達も一日働いて疲れていたのに、
初対面で、名前も知らない私たちの手伝いをしてくれるなんて、
こんな親切はなかなかあるものではない。
決して威張るでもなく、「やったことのない人がやるのは大変だよ。」
と言って、こちらが聞くまで、やり方を押し付けることもない。
「お互い様だからね。」と言ってくれた。
本当に頭が下がった。感謝。

稲刈りを始めたよ

2006-09-15 23:02:39 | Weblog
ある日の雲
(写真:とうちゃん)

夕方、思いついて田んぼの様子を見に行ったら、刈り頃になっていた。
まだ青い穂もあるけど、青いのが少し入っているくらいが美味しいらしい。
でも、そういうのは消費者は嫌がるので、売り物にはならないらしいよ。
同じ谷津田で、2年前から田んぼを借りている友人が、丁度稲刈りをしていて、
そう教えてくれた。
友人の田んぼはかなり広くて、休日に応援も来てくれたらしいが、
刈りきれなくて、毎日来ては一人で刈っているという。
1週間がかりだ。
谷津はほとんどの田んぼで稲刈りが終わっているので、
人がいなくて、静かだ。
「無心に一人で稲刈り出来て気持ちいいよ。」と、
目を細めて笑った。
刈った稲を束にするための藁をたくさん頂いた。
これは、去年のもの。

もう夕日は山に沈んでいたが、私達も稲刈りを始めた。
以前に水は抜いておいたが、雨が続いたので田んぼの中はどろどろだ。
やれやれ、どろんこの稲刈りだ。
それもまた楽しい。
明日も雨が降りませんように。

2006-09-14 21:48:40 | Weblog
『こんばんは』
(写真:とうちゃん)

久々に、小さい方のコンポストを開けてみた。
もう何ヶ月もそのままだったのだ。
中にはシマミミズが大発生していて、無臭のいい肥料になっていた。
これってミミズの糞なのだろうけど、もうそれは素敵でドキドキ。
優しい土だ。

嬉しくなって、木のチップの堆肥置き場にも行ってみた。
竹を利用して、私が作った堆肥作り用の囲いの中に、
伐採した木を業者がチップしたのをどっさり貰ってきて、
鶏糞と米糠を混ぜて積み上げておいた。
一度切り返し(上下をひっくり返すように混ぜなおして、再び積み上げる)をしておいた。
量は、最初の4分の1くらいになっている。
(堆肥になってくると減ってくるから)
ここにもシマミミズ。素敵でドキドキ。
そして、チップがかなり細かくなって土になりかけている。
農家の人が3年はかかると言っていたけど、
まだ1年経っていないのに、いい感じだ。

今まではフトミミズが多くて、それはそれで嬉しかったのだけど、
シマミミズやイトミミズといった小さいミミズが出ると、
土がより良くなっていくと聞いたことがある。
もっと良くなると、ミミズは出ないそうだ。

そういえば、友人が「家庭ゴミを肥料にする機械(?・・・じゃないなあ)とかが、
通販に出ていて、何百(千?)匹ものミミズがセットでついてくるんだって。』
と笑い転げていたっけ。
なかなか良い通販だ。

夕方、スイカが終わった所のツルや草を刈ると、
土の上の世界が見えてきた。
うっとりしてしまう。
草に隠されて夏の日差から守られた土の上には、
小さな虫や、目に見えない微生物達の生命のエネルギーがある。
春とは違う秋の土のエネルギー。
いつも土は本当に美しいと思う。

そうかあ

2006-09-13 18:05:11 | Weblog
海と月
(写真:とうちゃん)

まだ読みきっていない本だけど、
(株)薬師堂・出版事業部「五本能人生論」直江昶(ちょう)著
興味深い話が書かれていた。
馬の場での話。
2mの間隔で並んで繋がれて殺されていくのだけど、
順番に馬が大好きな大豆と人参を与えられて、
満足したところで、眉間を大金槌で叩かれ、
満足な顔で即死なのだそうだ。
そして、隣の馬はそれを見ても、
ご馳走が来るのをそわそわ待ち構えていているだけで、
恐がっている様子はない。
ところが、叩く位置を外してしまうと、
その馬の悲鳴で、他の馬パニックになり逃げてしまって、
ご馳走で連れ戻そうとしても、帰ってこないとか。
苦痛に対する恐怖はあっても、死というものは知らないというのが、著者の考えだ。
まだ他にも例をあげて、
死に対する恐怖は人間と類人猿(人間ほどではないようだが)だけが持っているだけではないかという。

そうかあ・・・・本とは少し離れて
人間は、他の動物以上の恐怖を持って生きているのか。
なんだか人間が(もちろん私も)いじらしく思えてきたよ。


日本人

2006-09-12 23:46:30 | Weblog
カナブン続報。
出て行ったと思った雌カナブンを部屋の中で発見。
雄と一緒にスイカの上に載せてやっているが、
卵はどこで?また振り出しです。

気功教室も軌道に乗ってきて、最初からの人たちとは随分気が合ってきた。
そうそう「気があってきた」という気も気功の気と同じで、
「気」が付く言葉ってたくさんある。
気持ち。気疲れ。気休め。気の毒。気をもむ。気が晴れる。気付く。
気にする。気力。空気。元気。天気。気弱。陰気。陽気。・・・まだまだたくさん。
昔から日本人って気をちゃんと意識していたんですね。

夕方から、電車で20分の町のお祭り、宵宮祭に行った。
どこのお祭りでも、お祭りそのものは興味はあるのだけど、
人込みが苦手で、お祭りぎらいなのだけど、
今日は神楽を見たくて頑張って行ってみた。
なんと平安時代からの伝統あるお祭りなのに、
小雨のせいもあってか、田舎町のせいなのか、
人出が少なくて、小さな神楽殿の周りは空いていて
どこでも好きな場所で見ることが出来る。
もちろん、かぶりつきよ。
笛や太鼓のメロディとリズム、それから、お面をつけた踊りに、
なんともいえないある種の懐かしい楽しさ・・・・この感じいいなあ。
DNAが喜んでいるみたい。
私ってやぱり日本人なんだと実感したのでした。


ラッキョウとニンニク

2006-09-11 21:09:23 | Weblog
ネコジャラシ
(写真:とうちゃん)

昨日のカナブンは、雌の方がいなくなっていたので、
きっと外に卵を産みに出て行ったのだろう。
雄の方は相変わらずの居候で、スイカから離れない。

今日はラッキョウを植えた。
初夏に収穫したラッキョウの中から数十個取り置いた。
それを植え付けるだけ。
一個植えれば、また芽が出てきて、分けつして10~20個出来る。
作るのは簡単だけど、初秋から初夏までと約9ヶ月間も畑に居座る。

ニンニクも同じ期間だ。
こちらは、結構コツがあるのか、
私が大きいのを作るので、農家の人達にも、家庭菜園大先輩のおじいちゃんにも
毎年誉められている。
ただ、たくさんの堆肥とたくさんの木灰を入れているだけなんだけど。
みんなは化成肥料で作ってるからかな。
ニンニクは有機肥料が合うのだと思う。
今年は春先の長雨で、家庭菜園大先輩のおじいちゃんのニンニクは全滅した。
ところが、私のはいつもどおり元気で大きく育ったので、
「負けたよ。」と言われた。
うーん、これって勝ち負けなんだろうかと思ったけど、悪い気はしない。
ニンニクは1個をばらばらにして、一片を植えるとそれから芽が出て1個とれる。
1個は、5、6片だから、1個から5、6個しか出来ない。
だから、買うと高いんだよね。

今度はニンニクを植える支度をしなければ。

カナブン

2006-09-10 22:17:04 | Weblog
カナブン
(写真:とうちゃん)
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4、5日前、エメラルドグリーンに光るカナブンが部屋にいるのを見つけた。
ほとんど動かないものだから、スイカの切れ端の上に置いてやった。
最期に美味しいものでも食べさせて上げようなんて・・・・
すると、頭をくっつけてなんとか食欲は出たらしかった。

次の日見ると、スイカの赤い色そのままのウンチがたくさん出ていて、
まだお尻から赤い糸のよう出ているのと繋がっているではないか。
でも、こんどこそ全然動かないので、きっとマーハサマディだなんて言っていた。
つまり、死んじゃったと思ったので、
こんなに幸せな死に方ないよねえと言っていたのに、
1時間ほどしたら、また動いている。あれ?

その次の朝、窓の所にいたので外に出してやろうとしたが、戻ってきた。
なんで?よ。
仕方ないので、今度はきゅうりを持ってきてその上に載せてやった。
それからまたスイカと、なぜか気を使ってしまう私。

そして、昨日はスイカの上で羽が茶色っぽくくすんでいたので、
今度こそいよいよ最期かと思った。
ところがこれが別のカナブンで、ウンチをしたカナブンは少し離れた所にいるではないか。
いつの間にかの2匹目さん。
しばらく経って見てみると、なんとスイカの横で交尾を始めている。
大切な事が残っていたって訳だ。
1匹目のうんちカナブンが雄だった。
かれこれ1時間は交尾が続いた。

そして、今日は2匹そろって、スイカの皮にくらいついている。
卵はどこに産む気かしら。
ちょっとおふたりさん、私、子育てまではしてあげないからね。

モンゴルの草原を

2006-09-09 23:28:31 | Weblog
ティピ
(写真:白里渚)
http://hibiki.web.infoseek.co.jp/

カナダ旅行で一緒だった女性Wさんから突然メールが来て、
「ペルーのアマゾンに鳥を見に行って来ます。」ですって。
前回のメールは「ペルーのクスコに行って来ます。」で、
随分前のこと。
日本に帰ってきた時に連絡くれればいいいのに。
でも、お元気そうよ。

あれから2年ですね。
私たちが寝たティピはあのままなのでしょうか。
熱いスウェットロッジから出て、
服を着たまま飛び込んだ湖は、今も静かでしょうね。

ティピの真中でおこした焚き火の煙が、天辺に空けた穴に向かって上って行って、
パチパチと薪の燃える音を聞きながら大地の上に直接寝ると
懐かしくて、この上なく平安な気持ちになった。
必要最低限の日用品と食料と水と衣類。
それから、美しい自然があれば十分幸せになれる気がした。

ああ、大陸の空気を吸いに行きたいなあ。
と、思っていたら、さっき『世界不思議発見』で、
アルタイ山脈のモンゴル側を取材したのを放送していた。

ユーラシア大陸の真中にあるアルタイ山脈は、
中国側は新疆ウイグル自治区、ロシア側はアルタイ共和国である。
でんと構えた山々の形は大地というより地球がとび出したところという感じだった。
空の色が深かった。宇宙に続く空だった。
中国側にあるカナス湖は氷河から流れ出た水をたたえている。
乳白色、グリーン、ブルーと見る時によって変化する、雄大な女性を感じる湖だ。
トワ族と呼ばれる少数の人たちが、新疆ウイグル自治区では珍しく木の家に住んでいて、
チンギス・ハーンを信仰している。
遠征の時に残って住み着いたとか、ロシア側から逃げてきたとか、
良く分かっていないらしいが、
もともと国境なんて遊牧民には関係なかった話だろうに。

そう、国境なんて、国なんてとっても不自然と、
10以上もの民族がいて、中国語すら通じなかったりする、
新疆ウイグル自治区をバスで走りながら思った。

モンゴルの草原を馬で駆けたいなあ。

準備

2006-09-08 21:27:33 | Weblog
『ある日の夕焼け』
(写真:とうちゃん)

雨が降ったので、稲刈りを中断している農家が多い。
田んぼが乾かないと、コンバインを入れられないそうだ。
土が軟らかいとコンバインが沈んでしまって、運転が難しいらしい。
それから、籾が湿っているとコンバインでの脱穀には不適当だとか。
実った稲が横倒しになったままの田んぼをよく見かける。
早く刈り取れるといいのだが。

私の三角田んぼの方は、
穂が出たばかりのものから黄色くなったのまでと、あまりにも好き勝手な実り具合で、
作り手にそっくりなんだけど、一体どうしたものかと悩んでしまう。
すごく変だけど、何回かに別けて実った順に刈ろうかと話している。
おだかけ(木を組んで稲を干す)を田んぼでするのが普通だが、
1~2週間干している間には、大雨があったり、
雀がきたりする(お米を食べに)かもしれない。
田んぼまでは車で片道30分なので、様子を度々見にいくのも手間だ。
それで、家に持ち帰ってベランダの柵に干そうと計画中だが、
稲を乗用車2台で一度に運ぶのはとても無理なので、
それなら稲刈りも何回かに別けてすれば丁度良いのではないかと思っているのだ。
でも、これってほんとにお遊びだよね。
農家の人には恥ずかしくて話せないよ。

この間、近所のおばあちゃんが、
「あんたの田んぼはもう稲刈りしたの?どのくらいの広さ?」と聞いてくれたので、
目の前にある近所の田んぼの端っこを指差して、
「このくらいの広さなんです。」と言ったら、
お腹を抱えて笑うんだもの、正直なおばあちゃん。
そのうち、2階のベランダに稲を干しているのを見たら・・・・
まあご近所に笑いを提供してると思えばいいか。

1回目の稲刈りはあと2週間後くらいかな。
稲刈り用の鎌を買ってきた。
脱穀機もそのうち届く。