とんびの視点

まとはづれなことばかり

喪に服すワールドカップ

2010年06月07日 | 雑文
ちょっと気を抜くとブログを書くのが滞ってしまう。先週、金曜日の分を飛ばしてしまった。今年に入って6本のビハインド。サボるのは楽だが、取り戻すにはちょっと苦労しそうである。先週は内田樹の『邪悪なものの鎮め方』という本を読んだ。予想通り過去のブログを集めたものであった。そんな気がしていたので、自腹を切らずに図書館で借り出して読んだ。

いくつか引っかかる言葉があったが、その中にこんなものがあった。

『「生き残った人間」たちは「葬礼」を行なうことになる。というのは、「死んだ人間」にはできなくて、「生き残った人間」だけにできる仕事といったら(原理的に言って)「弔うこと」しかないからだ。』
『死者について、その死者がなぜこの死にいたったのかということを細大漏らさず物語として再構築する。それが喪の儀礼において服喪者に求められる仕事である。』

なぜこの2つの文章がひっかかったかというと、週末に父親の墓参りに行ったからだ。はやいもので、7月の終わりになれば父親が亡くなってから16年になる。ワールドカップのアメリカ大会があった年だ。暑い夏の大会で、決勝では何人もの選手が脚をつっていた記憶がある。決勝戦はイタリアvsブラジル。ブラジルはドゥンガがキャプテン。フォワードはロマーリオ。左サイドバックは当時鹿島アントラーズにいたレオナルドだが、出場停止だった。

一方のイタリアはバレージがディフェンスラインをコントロールし、前線にはバッジオ。そして監督はサキ(サッキ?)だった。とにかく炎天下の試合でお互いの体力がどんどん消耗していく。得点は入ったのだろうか?入らなかった気がする。同点のまま延長戦に入り、それでも決着がつかずにPK戦になる。バッジオが外して、勝負が決まった。大きく外した気がする。その他にも誰かイタリアの選手がシュートをポストに当てて外した。ポストにボールが当たる凄い音がしたのを記憶している。ドゥンガが両手で優勝カップを持ち、すごい表情でそれを掲げた。

僕はそんなことを父親の病室のテレビで見ていた。記憶の細部はかなり作り替えられているのかもしれない。でも、父親の病室でワールドカップを見ていたことは確かだ。そのころ父親はすでに末期的な状態で痛みを抑える薬の影響で1日のほとんどを眠っていた。時おり目を覚ましては幻覚のようなものを見ていた。だから父親とまともなコミュニケーションをとることは出来なかった。

家族が交代で泊まり込みケアをするようになり、思いがけない形で父親と二人きりでいる時間を持つことになった。でも皮肉なことに、会話はほとんど成り立たない。そこで初めて、自分が父親のことをほとんど知らずにいることに気づいた。あまり自分のことを語る人ではなかった。

5歳くらいに父親を亡くし、8歳には母親も亡くし、親戚をたらい回しにされた。中学を卒業すると東京にいる遠縁の親戚の元で職人仕事を始める。そして母親と結婚して僕と弟が産まれ、一家の主となる。景気も良かったが、真面目に働く人だったので、ローンを組み小さな戸建てを買うことも出来たし、子ども2人を大学までやることも出来た。そしてローンを返し終わって、ちょっとしたら病気にかかり末期的な状態になった。

ざっと思い浮かべられるのはその程度だった。病室で眠り、やせこけていく父親を見ながら、1人の人間の人生を本当に不思議だと思った。「これはいったい何なんだろう?」。よく分からなかった。その意味では「その死者がなぜこの死にいたったのかということを細大漏らさず物語として再構築する」ということが僕には出来なかった。だから、今でもきちんと喪の儀礼を終えていない気がする。

にもかかわらず、父親の記憶がさらに薄れていく。(あるいは忘れないように、作り替えられていく)。夢に出てくることもどんどん少なくなっていく。その意味では、父親の死がワールドカップと重なっていたのは結果的によかった。ワールドカップの季節になると、とてもリアルにあの時のことを思い出すことができるからだ。それは父親の思い出というよりも、父親を巡る僕の思い出でもある。

ちょっと前にポールオースターの『The Invention of Solitude』(日本題『孤独の発明』)という本を読んだ。ずっと前にペーパーバックで買ったけど読めずにいたものを引っぱり出して読み直した。とてもきれいな文章で父親への愛情が感じられた。そして僕も父親について書いてみたいと思った。一つには、書くこと自体がかつて果たせなかった父親との対話になるからだ。そしてもう一つは、僕自身が父親だからだ。僕が父親になったことで、より彼を理解できるかもしれない気がするのだ。

僕にとって、父親を象徴的にあらわす話しがある。かつて父親から聞いたものだ。彼の人生や彼という人間をよく表している。

夏の暑い日。リヤカーを引く。鴬谷の坂は角度が30度もありそうで、そして長い。重い荷物が載ったリヤカーを引いてそこを上らねばならない。16歳の少年にはそんな力はない。でも、それは少年が任された仕事だ。汗が額から流れ、シャツはビッショリだ。何度も押してみるが、少し上ってはリヤカーが下がってしまう。誰も知り合いはいない。誰にも頼めない。ほとほと困ったが、気を取り直しては何度も上ろうとする。時間が気になる。惨めな気分になる。本当に困った。すると見かねた警察官がやって来て、後を押してくれるという。一緒に汗を流しながら、坂の上までリヤカーを押す。一生懸命働いていて偉いな、と警察官が褒めてくれる。それが本当に嬉しかった。

これからも少しずつ父親のことを書いてみよう。

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