とんびの視点

まとはづれなことばかり

「こどもの日」

2021年05月05日 | 雑文
5月5日。ゴールデンウィークの最終日だ。(人によってはあと4日ほど続くのかも知れない。)朝から湿った風と曇り空、そして夕方前には少し雨がぱらつく。

今朝は5キロほどジョギング。荒川の土手まで行き、土手を少し走り、戻ってくる。ゆっくりと走るので35分くらいかかる。なるべく土手まで行くことにしている。空が開け、川が流れ、わずかだが芝や草や木々の緑を見ることが出来るからだ。コロナによるのっぺりとした日々。土手の変化を見ることで、心の安定が保てている部分もあるのだろう。

今日の新聞に「連休中の人出、昨年より増加」という記事が出ていた。「人出?」、そう言えば昨日のラジオでも「人出」と言っていた。「人流」はどこに行ったのだ?今回の緊急事態宣言に際して、我々の最大の敵は「人流」だったはずだ。

「東京アラート」「オーバーシュート」「三密」「不要不急」耳慣れない言葉がどんどん出てきた。キャッチーな言葉で注目を集めるつもりかも知れないが、かえって焦点がぼやけて、実態がつかめなくなる。「人流」と聞いたとき「古屋の守り」が頭に浮かんだ。また変な言葉を作りだしたものだ。そう思ったら、いつの間にか「人出」に変わっていた。

今日はこどもの日だ。我が家は長男が大学三年、次男が高校二年になった。「子育て」という意味では、もう、出来ることはあまりない。やり損ねたこと、やり残したことはたくさんある。とはいえ、どちらも私よりは「ちゃんとした」人間に育っている。ありがたい限りだ。

『武漢日記』を読んでいる。図書館から借りだしたものだ。何十人も予約が入っていて、忘れたころに連絡が来た。コロナで封鎖下の武漢で、方方という人が日記を書いていたこと、多くの人たちが日記の更新を待っていたこと、時に当局から削除されていたことなどは知っていた。

日記を書いている方方という人だが、30代くらいの人だと思い込んでいた。実際は60代半ばの女性だった。思い込みとは恐ろしいものだ。本を手に取り、事実を知るまで、自分が方方を30代だと思い込んでいることに私は気づけなかった。本を読まなければ、方方が30代というのは、私にとって事実となっていた。

そういう事実が私の中にはいろいろあるに違いない。あるいはそういう事実がほとんどなのかも知れない。ても、みんな似たようなもので、そんな私たちが同じ時空に処しているのが社会なのかも知れない。

サブタイトルには「封鎖下60日の魂の記録」とある。60日の都市封鎖はきつかったに違いない。60日というのは予定された日数ではなく、結果である。治療法も確立されていない中、先の見えない状態で、封鎖された日々が続いた。しかし、それは60日で終わった。

連休中の人出が昨年よりも増加した、という記事があった。昨年のゴールデンウィークも緊急事態宣言だった。一年経って、振り出しに戻ったような感じだ。コロナ以降、時間がのっぺりとして、少し居心地が悪い。(だから走って土手に行き、季節の変化を確認するのだろう。)

去年、オリンピックが予定されていた。「東京2020オリンピック」とか言っていた。コロナで中止になり、今年の夏に延期された。やはり「東京2020オリンピック」というらしい。「人出」を「人流」と言い換え、実態をぼやけさせる。2021年なのに「2020」と言う。言葉と実態がズレている。(言葉と実態がズレると、それを調整しようと「出来事」が暴れる。)

自分が子育てを始めたとき、将来の社会に漠然と思いをはせたものだ。それほどひどい社会ではないだろうと思った。まじめに額に汗していれば、笑顔で過ごせる。それくらいの社会ではあるだろうと思っていた。

実際、どうなのだろう。コロナ的な社会になって一年以上が過ぎた。そして日常化している。緊急事態宣言には緊張感がなく、それでも人々は当たり前のようにマスクをしていて、「東京2020」などと聖火リレーをしている。飲食店はひどい打撃だ。

長男は去年は一度も大学に行けず、今年も予定されていた対面授業がリモートになる。次男も部活がほとんど出来ずに高校生活の2年目だ。

今日は「こどもの日」。似たように日々を過ごしている子どもたちはたくさんいるはずだ。子どもたちにどんな社会を用意するか、それは大人の責任だ。しっかりせねば、と思う。
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