とんびの視点

まとはづれなことばかり

総理官邸前デモ

2012年06月29日 | 雑文
夕方から総理官邸前の原発再稼働抗議行動に行った。ほぼ2時間、それほど場所も移動せずにわりと官邸近くでデモを行なった。けっこうな人だった。組織というより、個人が原発再稼働反対という意志で三々五々集まったらたいそうな人数になったという感じだ。未確認だが、主催者サイドによると参加者は八万人以上らしい。先週は四万五千人だからけっこうな数だ。



家に帰ってからニュースを見た。NHKの夜9時のニュースでの取り上げ方は思ったより小さかった。小さいというと語弊がある。デモが1番盛り上がりを見せていた夜の7時半過ぎの映像を使っていないのだ。おそらく映像はデモが始まる6時よりも前のものだ。人の数も少ないし、それほど盛り上がってもいない。それをレポーターが「すごい人です」などと言っているのだからおかしなものだ。

ニュースステーションは違った。ちゃんとピーク時の状況を伝えていた。ただそれ以上に気になったのは、野田首相の発言だ。デモの最中に野田首相は「大きな音だね」と言ったらしい。「音」である。「国民の声」ではないのだ。

日本人は虫の鳴き声も「声」という。しかし欧米人にとっては虫の鳴き声は「音」らしい。だからそれは耳うるさい雑音である。欧米人が雑音としてしまうような虫の鳴き声を「声」として聴き取れるような感性を日本人は持っているのだ。というような話しをむかし読んだことがある。

これに照らせば、僕らがデモで上げていた声は、野田首相からすれば欧米人にとっての虫の声、すなわち「雑音」でしかない。彼からすれば、国会の外で騒いでいる連中など虫けらに過ぎない、ということなのかもしれない。

しかし実際は違う。人の声が虫けらの雑音にしか聞こえなくなってしまったのだ。彼は人の言葉が理解できなくなってしまったのだ。(そもそも彼はドジョウだったっけ。それにドジョウはきれいな水で飼われると病気になってしまうから、この国は汚染されていた方が良いのだろうか)。

言葉が通じないというのは、対話が成り立たないということである。対話が成り立たせるためには、相手に正面を向かせねばならない。そのためには過激な行動も仕方がない。そういう考え方がさまざまなテロを生み出して来た。日本でそんなことが起こらずにすむよう、「大きな音」などと言ってないで、きちんと手間をかけながら物事を進めなさい。
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