走快エイトの気まぐれ人生

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私にとって英語とは?

2009年03月21日 16時03分00秒 | お気に入り
私が英語と出会ったのは、同世代の方の殆どがそうであるように、中学1年の時でした。小学校高学年の時にローマ字は習いましたが、日本語をアルファベットで表すくらいで、あまり英語の勉強とは関係ありませんでした。最初に英語を教えて下さったK先生は、背が小さくて髪がアフロパーマで、口が大きく声も元気よく、まるでNHKの連続ドラマ小説「さくら」に出てきた日系人の主人公であるサクラ先生のようでした。

当初は、確かに記憶は定かではありませんが、テスト勉強・高校受験のためとして英語に接していたかもしれません。しかし、K先生のお陰で英語がどの授業よりも好きになり、教科書の勉強からさらに英語の世界が広がりました。ラジオでは「百万人の英語」を聞いたり、テレビで洋画を英語の音声で見たり、レコードでカーペンターズの歌を覚えたり…様々な方法で英語と接する努力をし、英語が単なる勉強ではなくなりました。

高校では、どちらかと言えば文法が中心で、日常会話を話す機会が減りましたが、私の英語への情熱は消えず、卒業後は東京にある英語の専門学校への進学を選びました。しかし、入学当時は慣れない満員電車での通学や、殆どの授業が英語で進められることで、英語好きな私もストレスで体調がおかしくなってしまいました。それでも頑張り続けられたのは、就職のために英語を武器にしようと日本各地から集まった同志・クラスメイトの存在でした。

授業の全てが英語に関することであり、外国人の先生が多く、日本語を使ってくれる先生と言えば、商業英語や英文タイプライターを担当する日本人の先生くらいでした。授業で苦労した分、OFFの時はコンパやディスコで思いっきり遊びました。2年生の夏休みには、約1カ月にわたるアメリカ・アリゾナ州立大学への短期語学研修にも参加させてもらい、貴重な体験をしてきました。英語のお陰で、生涯ずっとつきあえる心の友もできました。

今は酒飲み友達ですが、皆がおじいちゃん・おばあちゃんと呼ばれる年齢になれば茶飲み友達かな?現在でも交流を続けている友達で、一番多いのが専門学校時代の同志たちなのです。5年ほど前から年に1度は同窓会を開催したり、その前後に数名で集まって飲んだりしています。25年以上にわたって外国人に関わる仕事を続けていることを考えると、英語とは私にとって単に受験や就職のための勉強ではなく、生活の手段というような気がします。

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