走快エイトの気まぐれ人生

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無縁講の必要性

2009年11月04日 05時29分06秒 | その他
私の住む地区には、昔から無縁講という行事があります。葬儀の際の近所付き合いに関して、10月の第1日曜に班ごとに集まり話し合うものです。我が家はA自治会の2班に所属していて、来年は我が家に「宿」といって、行事を運営する当番が回ってきます。先日、今年の宿を務めた隣の家から、無縁講の記録簿や残った繰越金が引き継がれました。

記録簿は、昭和53年からずっと、宿を務めた方がその年の無縁講について記録してきた大切なノートです。平成10年には、私が初めて宿を務めた際の記録がありました。平成6年以降、会場は宿を務める家から、近所のレストランなどを利用することが殆どとなりました。最近では、昨年のみ私の弟が宿を務めた際、青年館と呼ばれる自治会の集会所を使っています。

昨日の葬儀で一緒にお手伝いをしたのは、私と違う班の皆さんたちですが、多くの方が「無縁講はもう必要ないのではないか」と話していました。時代の流れでしょうか、最近の葬儀は施主さんの判断によりますが、葬儀会社の職員が細々とした作業までしてくれるので、お手伝いを頼まれて集まった近所の人がすることは、物凄く楽になりました。むしろ楽過ぎるくらいです。

かつては、葬儀となれば近所の人たちが集まって、料理からお墓の穴掘りまでやっいたことから、無縁講で話し合うことはたくさんありました。主な協議事項を記録簿から抜粋すると、施主がお手伝いに渡す「志」と呼ばれる手当の額・料理する食材の種類・調度品の調達・墓地の管理・会場の設定などです。しかし、今では、葬儀会社の職員が、葬儀の一切を仕切っています。

お手伝いとして召集された近所の皆さんがすることは、お茶出し・香典の受付と管理・駐車場の整備くらいであり、やたらと空き時間があり暇な事が多いのです。大変なことは殆ど葬儀会社の職員がやってくれるので、私たちはそれを眺めているだけでした。こんな状態では、確かに無縁講で話し合うことも減ってくるし、無縁講はもう必要ないと言われても当然だと思います。

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1 コメント

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うちの方では (paperman)
2009-11-04 18:58:45
"隣り組" と呼ばれているものがそれに当たるかと思います。組長は一年毎の持ち回りですが、私の所の組は15軒あるので15年に一度回ってきます。その家の家長が務めるので私の父が務めますが、今では町内会費の集金やら町内の寄り合いに代表で出席する程度の仕事に止まっています。私が大学生の頃20年くらい前には、それこそ葬式の仕切りもやるような風習がありました。私の祖父の葬式も隣り組の仕切りでやりましたから。因みに地の方の家では、葬式は自分の家でやるし、お墓はその家の敷地にあるのが殆ど。うちは無いですけど。
なんでも、引っ越してきてその土地に移り住むことになっても、易々と隣り組には入れてもらえないくらい地元根性が強かったらしいです。うちも私の代になって、やっと地元の人間と認めてもらえるようになったくらいです…と、うちの親父が言ってましたね。今は新興住宅地も出来てきて、そんな事言う人もいなくなりました。
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