走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

生きているうちに

2014年01月28日 22時02分48秒 | その他
これまでSNS、つまりツイッター、ブログ、フェイスブックには、一切述べなかった事実を、お酒に酔った勢いで述べたいと思います。実は、昔からの親友が、昨年末に亡くなりました。既に1カ月半も経過しているのに、未だに彼の死を引きずっているようです。何度も夢枕に立つ彼は、同級生たちと微笑みながら談笑している光景ばかりです。あの世に行ったとはいえ、彼のプライバシーについては、保護しなければなりませんので、この投稿を見て「にえきらない」というか、中途半端に思えるかもしれませんが、どうぞお許し下さい。

彼が亡くなってからというもの、よく考えるのがこの世とあの世の比較です。私には高校生の時に、三途の川を渡った経験がありますが、記憶が全くありません。よって、丹波哲郎氏による「大霊界」とか、水木一郎氏による「ゲゲゲの鬼太郎」によって、天国と地獄をイメージせざるを得ません。私の勝手なイメージですが、もし私が他人を傷つけたり犯罪に手を染めないで、寿命を全(まっと)うできたとしたら、天国に行けると思っています。天国では、楽しい事ばかりで辛い事がないため、多分、今の私には物足りない世界になるかもしれません。

大好きだったお爺ちゃんやお婆ちゃんをはじめとする偉大なるご先祖様や、大好きだったペットたちに会うことができるのは嬉しいのですが、次の点で満足できません。それは、私と同じく走る趣味をお持ちの方なら共感して頂けると思うのですが、天国では走っても疲れないし、地面に着地した足から伝わる衝撃もないし、極端に言えば、辛い経験が出来ないと言う事です。いくら思い切り走っても、息苦しくないでしょうし、生きている証(あかし)が実感できないのです。死んだら当たり前ですね。私には正確な事は分かりませんが、生きているうちが「修行」なのでしょう。

この「修行」を成就しなければ、天国に行けない、若(も)しくは天国でも苦労するということなのかもしれません。こんな事を言うと、真面目に考えている皆さんに叱責を受けるかもしれませんが、私は地獄と天国の両方に行くことを希望しています。つまり、様々な経験がしてみたいのです。たとえ、自分の身体が朽ち果てても、魂は元気元気で、あの世でも他人に迷惑をかけないように気遣いますが、思い切り好きなことをしたいのです。当然ながら、今の女房とはあの世でも上手く付き合いたいですが、片思いだった彼女とも・・・女房によって地獄に落とされるかな?


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私にとって神様って? | トップ | 減量作戦の途中経過報告 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

その他」カテゴリの最新記事