福岡国際マラソン(以下「福岡」と略す)は、日本が世界に誇る大きな大会です。個人的には、数ある世界各国のレースの中でも最高峰のレースとして認識しています。今日のレースでは、陸上界の皇帝ゲブレシラシエ選手(エチオピア)が、まるで陸上競技場を走っているようなバネのきいた走りで終始レースの指導権を握り、2時間6分台で優勝しました。
日本人トップは、4位の奥谷選手(スバル)で自己ベストの8分台は見事でした。期待されていた歴代の優勝者・藤田と尾方の両選手は力を出し切れなかったようで、残念でした。過去にも、多くの偉大なランナーが優秀な成績をおさめていますが、私にとっては昭和53~55と3連覇した瀬古利彦選手(現在ヱスビー食品監督)が一番印象深いです。
旭化成の宗兄弟ヱスビーの瀬古、そして外国の一流ランナーを交えての戦いは、本当に楽しみでした。当時、福岡のレースと同じ12月の第一日曜に地元では市町村対抗の駅伝が開催されていました。私は、学生時代にずっと体操競技をしていましたが、高校生の頃から走る楽しさに目覚め、20歳の頃から地元の駅伝選手の一員として毎年召集されていました。
午前中に駅伝を走り終えてから、仲間のランナー達と一緒に役場の一室で仕出し弁当を頂きながら、福岡のレースを観戦するのが常でした。実際に走っている走友たちと、話しながら見るのは、一人よりも何倍も楽しく感じたものです。福岡は、一般ランナーにも門戸を開放していますが、2時間45分を切ることが条件とか。私には、一生走れそうもありません。
日本人トップは、4位の奥谷選手(スバル)で自己ベストの8分台は見事でした。期待されていた歴代の優勝者・藤田と尾方の両選手は力を出し切れなかったようで、残念でした。過去にも、多くの偉大なランナーが優秀な成績をおさめていますが、私にとっては昭和53~55と3連覇した瀬古利彦選手(現在ヱスビー食品監督)が一番印象深いです。
旭化成の宗兄弟ヱスビーの瀬古、そして外国の一流ランナーを交えての戦いは、本当に楽しみでした。当時、福岡のレースと同じ12月の第一日曜に地元では市町村対抗の駅伝が開催されていました。私は、学生時代にずっと体操競技をしていましたが、高校生の頃から走る楽しさに目覚め、20歳の頃から地元の駅伝選手の一員として毎年召集されていました。
午前中に駅伝を走り終えてから、仲間のランナー達と一緒に役場の一室で仕出し弁当を頂きながら、福岡のレースを観戦するのが常でした。実際に走っている走友たちと、話しながら見るのは、一人よりも何倍も楽しく感じたものです。福岡は、一般ランナーにも門戸を開放していますが、2時間45分を切ることが条件とか。私には、一生走れそうもありません。