走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

福岡国際マラソンの想い出

2006年12月03日 14時59分09秒 | 自分&家族
福岡国際マラソン(以下「福岡」と略す)は、日本が世界に誇る大きな大会です。個人的には、数ある世界各国のレースの中でも最高峰のレースとして認識しています。今日のレースでは、陸上界の皇帝ゲブレシラシエ選手(エチオピア)が、まるで陸上競技場を走っているようなバネのきいた走りで終始レースの指導権を握り、2時間6分台で優勝しました。

日本人トップは、4位の奥谷選手(スバル)で自己ベストの8分台は見事でした。期待されていた歴代の優勝者・藤田と尾方の両選手は力を出し切れなかったようで、残念でした。過去にも、多くの偉大なランナーが優秀な成績をおさめていますが、私にとっては昭和53~55と3連覇した瀬古利彦選手(現在ヱスビー食品監督)が一番印象深いです。

旭化成の宗兄弟ヱスビーの瀬古、そして外国の一流ランナーを交えての戦いは、本当に楽しみでした。当時、福岡のレースと同じ12月の第一日曜に地元では市町村対抗の駅伝が開催されていました。私は、学生時代にずっと体操競技をしていましたが、高校生の頃から走る楽しさに目覚め、20歳の頃から地元の駅伝選手の一員として毎年召集されていました。

午前中に駅伝を走り終えてから、仲間のランナー達と一緒に役場の一室で仕出し弁当を頂きながら、福岡のレースを観戦するのが常でした。実際に走っている走友たちと、話しながら見るのは、一人よりも何倍も楽しく感じたものです。福岡は、一般ランナーにも門戸を開放していますが、2時間45分を切ることが条件とか。私には、一生走れそうもありません。

貧乏くじ

2006年12月03日 10時11分58秒 | 職場~19年度(成田)
本来は、昨日の正午から今日の11時まで勤務(仮眠4時間を含む)でしたが、来年に繰り越せない有給休暇を少しでも消化しようと、夜勤明けの今日分は年休を取りました。 通常の勤務時間は、夜勤の「入り」が11時間で「明け」が5時間、合わせて16時間勤務となります。

非公式ですが、私のように「明け」の5時間を休む場合、夜の最終フライトの乗客がすべて通過し後片付けさえ終われば、最終電車で帰宅しても構わないことになっています。緊急事態発生に伴い、仮眠時間に起きて勤務する可能性もありますが、そんなことは数年に1度の確立ですので…

ですから、私は昨夜のうちに帰宅できるはずでした。昨夜は出国の担当だったのですが、運悪く最終フライトの最後の一人となった乗客のトラブルに巻き込まれ、それどころではなくなりました。守秘義務やプライバシーの問題があるので、詳しい状況は説明できません。

結局、その乗客は飛行機の搭乗時間に間に合わず、航空会社から搭乗を拒否されてしまいました。その一部始終に関わった私の対応が、職務に忠実に則ったものと確信しているのですが、特異事案のため速やかに文書でその状況を上司に報告することにしました。

万が一、へそ曲がりの人間が我々空港職員を訴えるような大事に至ると、大勢の方に迷惑がかかる可能性があるため、夜間の最高責任者である課長に口頭で連絡した後、深夜1時半までかかって社長あての報告書を作成しました。全く、貧乏くじをひいたものです。

トラブルの際は数人の同僚がいましたが、立場上私が出国エリアの責任者でしたので、自ら対応せざるを得なかったのです。当然ながら、仮眠室で夜を明かすことになりました。朝帰宅する際、私服で事務室に顔を出し同僚に挨拶すると、皆から「なぜ、まだ残ってるの?」という顔で驚かれ、変な感じでした。