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走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

通勤時のハプニング

2009年02月14日 01時14分06秒 | その他
金曜の朝、いつものように通勤で石川町駅から山下公園方面に向かって川沿いを歩いていると、偶然にも生まれて初めて「ある光景」を目にしました。それは、警察官があのパトロール用のバイク(スピードの出るかっこいい白バイではありませんよ!)で、逃げる原付バイクのお姉さん(20歳代に見えました。)を追跡し、最終的には相手を停止させて捕まえるものでした。

川を挟んで反対側の狭い道を、2台のバイクが危ないくらいスピードを出して走っていました。始めのうちは、バイクに乗車している人が何やら大声で叫んでおり、暴走族の二人が朝っぱらから元気に?バイクを飛ばしているとしか見えませんでした。しかし、橋を渡って私の目の前を通過した際に、すべてが理解できました。怒鳴っていたのは、静止を呼び掛ける警察官だったのです。

お互いに性能の低い原付バイクですから、スピードもたかがしれています。しかし、必死で逃走するお姉さんらしき犯人と、それを捕まえようとしている警察官の追跡は、迫力がありました。追跡方法にミスがあると、犯人は逃走してしまうか、次の事故を誘発してしまいます。最終的には、私から100m程先で警察官が、見事に犯人を追い越し事故なく静止させることができました。

一体、どんな犯罪により逃走した犯人なのか分かりませんが、往生際が悪い女性だなと思いました。原付バイクで逃げ切れるとでも、本当に思っていたのでしょうか?素直に始めから捕まっていれば良かったのに、運が悪ければ交通事故を誘発してより重大な罪を犯すか、自分の命に関わるところだったはずです。多分、彼女は警察署に連行され、こっぴどく説教されたことでしょう。

名 簿

2009年02月12日 05時31分15秒 | その他
現在大学1年の授業を終わり、春休み状態でバイト先を探している長男に、高校の卒業生名簿が届きました。タイトルは「○○会員名簿 第14号(平成21年)千葉県立○○高等学校同窓会」となっている、とても立派な作りの名簿でした。「学校沿革」の頁を見ると、明治32年が正式な創立年ですが、最初に「学問所」として作られたのが江戸末期の1792年というから驚きです。

また、本来なら1番新しい卒業生である長男の同級生が最後かと思ったら、今年3月に卒業予定の3年生まで掲載されていました。気になっていた私と女房の小・中学校の同級生について調べたところ、多くの方はきちんとこの名簿作成会社に、「異動通知連絡カード」を出しているようでしたが、3人の男性がそれを怠っているようで、住所の記載内容に誤りまたは全く記載なしとなっていました。

所詮、会員である卒業生からもたらされる情報を、そのまま掲載しているので、中には真正でないものがあったとしても、それを訂正することは困難なのでしょう。もしかしたら、自分も成田高校でなくこの高校に進学する可能性があったうえ、亡祖父や長男の母校であり、「卒業年・氏名(旧姓も記載あり)・住所・勤務先・最終の卒業校」が網羅された素晴らしい名簿なのですが、ちょっと気になりました。

時事英語の想い出

2009年02月07日 11時34分25秒 | その他
今日、ネットのニュースで「英語でしゃべらナイト」(NHK総合)が、4月改編でレギュラー番組から姿を消すことを知りました。英語番組にエンターテインメントを取り入れ話題を呼んだ番組でしたが、マンネリが理由で、秋からの放送が検討されている後継番組は、より硬派なニュースを取り入れることになりそうです。確かに、オバマ大統領の就任演説が注目されるなど、時事英語を身につけたいという視聴者の意識が高まっているのは事実だと思います。

そう言えば、高校卒業後に通った英語の専門学校では、時事英語という授業があり、生まれて初めてニュースの英語と出会いました。当時でもジャパン・タイムズという英字新聞は高価でしたので、数える程しか買えませんでしたが、デイリーヨミウリという1部40円の英字新聞なら安価でしたので、毎日購読していました。先生も明るい素敵な日本人の女性であり、楽しく授業を受けられました。英単語で書くと長くて大変なので、日本語で一例を挙げます。

テストには、ニュースで使われている、「大量虐殺」「核ミサイル」「暗殺未遂」「誘拐」「大統領就任」「大災害」など難しいものが出ていました。将来は英語を武器にできる仕事に就こうと、必死で勉強していたことを覚えています。クラスメートと羽目をはずして遊んだこともそうですが、英語で演説したり外国人と喧嘩したりする夢を見た程に夢中で勉強したことも青春の素敵な想い出となっています。今では簡単な英単語さえ、スペルに自信が持てません。

方 言

2009年02月02日 05時37分01秒 | その他
日本だけでなく、世界中に方言はあるそうです。しかし、日本のように南北に長い島国となると、他の国に比べて各地域の方言はバラエティーに富んでいます。かつて成田高校を卒業後に東京の英語専門学校に通っていた頃、日本各地から集まった仲間の方言がとても新鮮に感じたものです。それまでは、付き合う人といえば、殆ど千葉県民でしたが、当時は50人余りのクラスで、北は北海道から南は広島や四国出身の方がいました。

今でも覚えている方言としては、①北海道出身の男性から、「捨てる」ことを「なげる」と言う②和歌山出身の男性から、「バカ」は「アホ」よりきつい言い方(関東では、その逆が多い)とか聞いて、興味深かったです。恥ずかしながら、私も標準語と思って使っていた「片(かた)す」は、「片付ける」と言うべきだと知らされ、方言だったことに驚きました。皆さんも、私と同様に方言とは気付かず使っていた言葉ってありませんか?

恵みの雨か?

2009年01月30日 08時45分33秒 | その他
最近、関東地方では雨が多いですね。雪の多い地域の方には申し訳ないのですが、最近の天候が例年悩まされている異常乾燥を防いでくれており、ありがたいと思っています。早朝の通勤時、雨だと外が真っ暗で、駅までの2㌔を歩くのは大変な気がします。晴天だと明るいのですが、乾燥のせいで喉が痛くなります。

次男が通う中学でも、インフルエンザが流行しており、クラスによっては閉鎖が秒読み段階というところが出てきています。この雨で、少しはインフルエンザの流行の速度が鈍化して欲しいものです。また、例年ですとこの時期は乾燥でパチパチ君と呼んでいる静電気が酷いのですが、今年はそれほどではありません。

By the way,(話は変わりますが)3日程前からお腹がシクシク変な感じでした。そして、今朝起床時から激しい腹痛に伴う下痢となり、仕事を休むことにしました。下痢では、片道2時間45分の通勤に耐えられませんので。胃腸にくる風邪でしょうか?3連休となりますので、ゆっくり静養して体調を整えたいです。

ブログ村2カ月目

2009年01月24日 08時21分12秒 | その他
昨年11月24日に、にほんブログ村に登録してから2カ月が経ちました。案内を見て、「登録するとブログの閲覧者が劇的に増える」と自分で理解していましたが、実際はそうでもないようです。2カ月前と昨日で数字を挙げて比較すると、私が選んだカテゴリーの内二つでは次のようになります。「地域(都道府県)」では、2971位→1558位(最高は1023位)・「千葉情報」では、55位→26位(最高は15位)

メールでにほんブログ村とは何度かやりとりしたのですが、最終的に分ったことは、やはり自分の努力が足りないということでした。登録したからといって、自動的に多くの方から自分のブログを見て貰えるというわけではなかったのです。確かに、見て貰えるチャンスは増えたことでしょうが、何かしら自分で工夫しないといけないようです。本来は、自分の書きたい事を書くストレス発散・電子日記のはずでしたが…

いつの間にか、ブログ閲覧者の数を気にするようになり、毎朝その数を記録するのが日課となっていました。不特定多数の人が閲覧できる媒体ですので、自己満足・自分勝手な文章を書くことは許されませんが、あまり閲覧者の数字に惑わされていてもいけないと気付きました。可能な限り、読者に好感が持たれる工夫もしたいとは考えていますが、最終的には、やはり自分が楽しければいいのかな?って感じもしています。

成人式&新年会

2009年01月12日 06時04分49秒 | その他
日曜は、二つの行事が重なりたいへんでした。午前中は、町の公民館で成人式があり、青少年相談員会長として招待されました。久しぶりにスーツを身にまとい、25分歩いて会場へ出かけました。新成人は長男の1年先輩とはいえ、知っている人は殆どいない状況でした。それでも教育委員会の職員、警備も兼ねてボランティアで出席している青少年相談員の仲間、転勤された先生など多くの顔見知りと会えて、楽しい一時を過ごせました。(出席した新成人は、対象者の半数に満たない125名前後でした。)

午後からは、自治会の新年会が隣町の料亭でありました。送迎バスが自宅の近所まで来てくれたのですが、私は成人式で集合時間に間に合いませんでしたので、会場から母に車で料亭まで送ってもらいました。話題は、青年館の建設問題に集中したのですが、年長者数名が勝手に建設賛成へ意見をまとめようとしていました。私は、年に数えるほどしか利用しない青年館は不要と考えていますが、反対を唱えると村八分にでもなりそうな雰囲気でしたので黙って、遅れてきた分、飲み食いに専念することにしました。

今日は、これから町消防出初式に出席してきます。屋外行事ですので、寒さ対策をバッチリしていこうと思います。

天変地異の前兆か?

2009年01月10日 01時21分18秒 | その他
1月8日(木)の朝8時過ぎのこと、いつものようにJRの電車で出勤の際、掲載した写真のような不思議な雲を生まれて初めて見ました。横須賀線で東京から横浜へ向かう途中、品川駅付近で右側の風景を見たら、なんと建物から垂直に近い角度で飛行機雲のように長細い白い雲が空に伸びているのです。私の目には、地上のどこかから天空に舞い上がったように見える雲が、まるで天地の架け橋に見えました。

その雲は、電車が横浜へ近付くに伴い、角度が変わってきて、最後には水平に見えました。電車内で、携帯のカメラ機能を使ってバシバシ撮影しているのは私一人で、他の大勢の乗客は全く無頓着でした。子どもなら、大声で「空を見てよ!不思議な雲が見えるよ!」と叫べるのでしょうが、私には無理でした。9日には雨が、初雪に変わるかもと天気予報が出ていましたが、特別に天変地異も起こらず安心しました。

青年館の改築問題

2009年01月01日 18時21分46秒 | その他
これからご紹介する内容の殆どは、昨年の秋頃に原稿を書いたものですが、ずっと問題の進展状況を見守っていました。本日開催された自治会合同新年会で、ようやく青年館の改築問題について、検討委員会の代表者から正式に説明がありましたので、次の通りブログに投稿することにします。

私の住んでいる地区では、「青年館」と呼ばれる1戸建て木造平屋の集会場があります。かつては、地域の住民が頻繁に交流のため使う公共の場所でした。しかし、既に築40年を超え、かなり老朽化しています。年を追うごとに使用頻度は少なくなり、その存在価値も危うい状況です。そのため、何年も前から改築について検討委員会が設けられ、自治会の区長経験者などで選ばれた数名の方々が話し合ってきてくれました。

町や県からの建設補助金が1千万円以上もらえるそうなのですが、ただしそれは家屋を建てるだけであり、その後の維持費は当然ながら自治会の住民が負担をしなければなりません。住民が集まる昔ながらの行事は、残念ながらどんどんすたれていき、それに伴い青年館も使う機会が減ってきました。過半数の住民は、維持費により自治会費の値上げは必至ということが心配であり、青年館の改築は反対と考えています。私も同意見です。

最近は、住民が集まる行事と言えば、殆ど別の場所を利用しています。検討委員会の代表者は、建設会社2社によって作成された見積もり書や完成予想図を見せてくれました。補助金が全額もらえるのか確かではなく、残りの建設費+維持費は住民が支払うことになるので、時間をかけて慎重に話しあっていく必要があります。昔と違って、住民の考えもなかなか意思統一がはかれないと思いますので、今後どう進展していくのか、役員の皆さんの手腕に期待したいです。

大変な年の瀬

2008年12月27日 07時50分44秒 | その他
今日から、昭和57年入社以来、初の9連休が始まりました。通算18年にわたる3回の成田空港勤務では、年末・年始の特別休暇なしで通常のシフト勤務をし、特別手当をガンガン稼いでいました。女房は病院に勤めているので、以前の私同様に特別な連休はないそうで、家族の旅行は考えられません。とりあえず、女房の分の年賀状作り(自分の分は既に投函済み)や家の大掃除をしようと思います。

それにしても、非社員いわゆる派遣社員が大量に仕事を辞めさせられる大変な年の瀬となりました。突然に職を失い、社員寮から出された皆さんは、これからどうなってしまうのか、路頭に迷っていることでしょう。中には、まともに年を越せない人もいるのではと心配です。先日は、ブラジル人姉妹が仕事を首になり、帰国費用を工面するため強盗事件を起こし逮捕されたニュースを見ました。

それほど、切羽詰まっている人たちを助ける手段はないのでしょうか。こんな時こそ、政治の力が必要だと思います。世界的に不況の嵐が吹き荒れていますが、せめて自分の国だけでもなんとかしてもらいたいものです。そうでないと、罪を犯して警察に捕まれば、刑務所という雨露を凌げる場所と食事が確保され、命を保証してくれるからと考える輩(やから)が出てきて、治安が乱れることは必至です。


心の持ちよう

2008年12月11日 05時50分25秒 | その他
心の持ちようや考え方一つで、まるっきり物事が変わってしまう経験をしたことはありませんか?私の場合、色々ありますが、思い出せた順に二つ例を挙げてみます。気の進まないことをする際に、嫌々ながらするのではなく、何かしらプラスのことを見つけて取り組むようにしています。このことは、将来に生きてくると考えたり、きちんと出来たら、後で自分にご褒美をあげたりするとか…

自主トレで走る際も、しばしば億劫に感じる時があり、止めてしまえよ!と心の中の悪魔が囁きます。そんな時は、嫌々ながらでも走るための着替えを済まし、玄関から外に出てしまうようにしています。そうすれば、仕方なくでも走ることになり、だんだん気持が前向きになっていきます。そして、いつものように走って終わる際には、今日も走って良かったと思えるようになるのです。

天空の旅人2

2008年11月24日 11時36分15秒 | その他
昨年の今頃、偶然テレビで見かけたモーターパラグライダーに乗って自然を撮影しているカメラマンの特集、それが天空の旅人を知るきっかけでした。カメラマンの名前は多胡光純さん。ただ飛んで風景を撮影するだけでなく、現地の皆さんと語り合い、事前に情報収集をしたり、撮影した映像を現地の人に見てもらったりするシーンも感動しました。

今回、世界遺産になっている白川郷の上空を飛んでいる場面では、屋根の上に伸びている草に手が届きそうなくらい近づいて撮影しており、モーターパラグライダーの性能と多胡さんのテクニックには驚きました。吉野山では、緑に映える秋の紅葉した山桜も見事でした。

大山では、山の上空での複雑な風の状態により、山に近付けず5日も待って、風の穏やかな時に撮影が成功した場面があり、自然との駆け引きの難しさが分かりました。危険と隣り合わせで、命がけの仕事だからこそ、あれほど視聴者の心を引き付ける映像が撮影できるのでしょう。(昨年のブログ→クリック

「にほんブログ村」への登録を機会に自己紹介の写真を改めて探したところ、30歳になった頃に渡米し西海岸の農場で撮影したものを見つけました。ちょうど、顔の表情がピンボケなので、思い切ってブログへの掲載を決めました。現在は眼鏡をかけ、もう少し顔の輪郭が丸くなっています。

母校が無くなる

2008年11月18日 22時08分46秒 | その他
今夜、是非と女房に勧められて見た「誰も知らない泣ける歌」で「笑って笑って」という奥華子さんの曲を初めて知りました。番組では、130年余りも続いた小さな小学校の閉校式で歌われたこの歌が紹介されていました。自分にも母校が無くなるという経験があり、昔を思い出してしまいました。

無くなるとはいっても、それは平屋の木造校舎の話で、中学校自体は移転して別の場所で4階鉄筋コンクリート製に生まれ変わって現在に至っています。自分が卒業して数年後に起きたことなのですが、校舎を壊す手伝いをボランティアでしました。とても残念で愛(いと)おしい気持ちが湧きました。

消えたキオスク

2008年11月14日 11時58分05秒 | その他
いつも通勤でお世話になっている我が町のJR改札口脇にあった売店(キオスク)が木曜の朝に無くなっていました。確か水曜の朝には閉まっていました。普段なら開いていて、従業員のおばさんが一人で働いていたはずなのに。なぜこうなったのか詳細は分かりません。不景気で売上が落ち込んだせいなのか、別の場所に移転するのか…

滅多に利用することはなかったのですが、売店がなくなると殺風景な気がします。こんなことなら、もっと利用すれば良かったと思っても、今さら遅すぎですね。せめて、撤去のお知らせの紙くらい貼ってくれたら、事情がわかったのに、突然の撤去とは本当に残念です。願わくば、同じ場所に新しく売店を新装オープンして欲しいものです。

運命の赤い糸

2008年11月06日 05時51分13秒 | その他
縁(えにし)とか、運命の赤い糸と呼ばれるものは、人だけでなく人とペットにもいえることが知り合いのエピソードで改めて実感することができました。千葉県動物愛護センターで殺処分されるところを救われた雌の柴犬「かぼすちゃん」。里親のSファミリーは、現在大学1年の長男が幼稚園に入園した時にS家の二男と同級生だったことが縁で知り合いました。今でも、本当に細く?長~い付き合いをさせて頂いています。

「千葉ワンの預かりボランティア」の方が前述のセンターから犬を引き取り、命のリレーが始まりました。雌犬でしたので不妊手術を施してもらい、当然ながら病気をもっている可能性があるので狂犬病など数種類の予防接種を打ったのだそうです。殺されるところだったのに、心ある人々のお陰で生き続けることができるようなったのですから、本当に幸運なワンちゃんです。犬好きのS家も、さぞ喜んだことでしょう。

そういえば、2年前の8月末に17歳で亡くなった愛犬ハナクロと我が家の出会いも不思議な縁でした。平成元年に、子犬だった彼が我が家に餌を求めてやってきたのが始まりでした。当時は中型の雑種を1匹飼っていたのですが、毎日のように我が家にやってくる子犬に情が移ってしまいました。それでも、2匹は飼えないということで、心を鬼にして私が代表で子犬を車に乗せ、2キロ程離れた川向うに捨ててきました。

野生の凄さというか、我が家にすぐ戻ってきた子犬に、動物好きの父がまず餌を与えてしまいました。結局、子犬の根性に負け、飼うことに。2匹の犬を散歩に連れていくのは殆ど女房でしたが、お腹には長男が入っていたので、大変だったことでしょう。子犬は足が太いけどリュックに入るサイズでしたが、すぐに大型犬に成長しました。専ら番犬として玄関前の犬小屋で暮らさせましたが、とても愛嬌のある心優しい雄犬でした。

散歩の時くらいしか一緒になれなかったけれど、ハナクロのお陰で、どれほど心が癒されたことか。散歩の時は、よく私から声をかけたり、心の中でテレパシー?で話しかけたものでした。ペットと言うよりも、家族の一員のようでした。餌をすぐに食べない時は、野鳥や野良犬&猫がやってきて横取りされてしまうこともありましたが、全く怒らないノンビリな性格でした。今でも在りし日の彼の雄姿は、心の中に生き続けています。