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走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

今季の初スイカ

2011年05月31日 21時18分57秒 | 自分&家族
今日は、女房が休日を利用して、自宅から3キロの地点にある実家に戻り、母の世話をしました。その際、専業農家を営んでいる従兄弟から届いたスイカをおすそ分けしてもらってきました。ビーチボール程の大きなスイカで、とても甘く美味しかったです。まさか、5月の最終日に今季初のスイカが食べられるとは、想像もしていませんでした。

千葉のスイカと言えば、6月に開催予定の富里スイカマラソンの影響で、富里がイメージされるでしょうが、女房の従兄弟は違う市町村に住んでいます。昔から、様々な農作物を頂いており、感謝しています。我が家も私が幼い頃は、スイカを作っており、トラックで東京の市場まで持って行ったことがあると父から聞いたことがあります。

新しいPC届く

2011年05月29日 10時08分49秒 | 自分&家族
5月29日午前8時過ぎ、宅急便で予定通りに先日オンライン注文したノート型PC及び付属品が届きました。あいにく、夜勤のため時間に余裕がないので、梱包された製品を出して、箱の中身がきちんと揃っているかの確認だけしました。明日の午後、夜勤から帰宅したら徐々にPCのセッティングをしようと思います。

別のルートで、事前にPC間の引っ越しに必要なソフトも購入してありますから、スムーズに既存のデスクトップPCから新しいノート型PCへ大切な情報を移転できるものと期待しています。これからは、PCがすぐに起動しないストレスから解放されることでしょう。一応は、女子大生になった娘も、共用です。

娘がレポート作成などする際は、ノート型は娘が使い、私はデスクトップを使うことになります。これからは、お互いにPCを使いたい時に使えるから、ありがたいことです。くれぐれも、PCに向かってインターネットやソーシャルネットワークばかりして、家族との会話が減らないよう気を付けなくては!

出不精

2011年05月27日 12時59分13秒 | 自分&家族
最近は休日でも殆んど外出せずに、自宅の居間でPCに向かっているか、自主トレでマイコースを走っています。気持ちの問題でしょうが、ちょっとしたことですぐにマイカーで外出できる女房と違って、私は余程のことがないと外出しない「出不精」な人間になっています。余暇には走ることが中心と、勝手に考えているからなのでしょうか?

デスクトップPCの調子が悪く、起動に手間取ることが多いので、本来ならばPCを購入した近所のPC専門店に相談するところ、それさえも億劫なのです。これまでの経験上、修理の相談で即日PCが直ることはなく、大抵は部品の交換などで多額の修理代が取られ、PCも1週間余りは戻って来ないことがあったせいかもしれません。

アウトドアの活動が趣味の知り合いは、暇を見つけてはマイカーで温泉などに出掛けていますが、私には想像もつきません。もしも、ドラえもんの「どこでもドア」があって、目的地まで瞬間移動が可能なら、行きたい場所もたくさんあります。でも、道に迷ったり、渋滞の道を長時間運転したり、狭い車内にずっといること自体が私には耐えられません。

両親の金婚式祝い

2011年05月23日 08時18分32秒 | 自分&家族
私の両親は、昭和36年4月20日、成田山境内にある建物の中で結婚式・披露宴を行ったそうです。今年で結婚50年目、つまり金婚式を迎えたため、私・妹・弟の3家族で集まり、昨夜ファミレスで食事会をしました。両親から、あまり派手なことは不要と言われていたので、ホテルなどで親戚や近所の皆さんを招待しての宴会は止めました。

ファミレスでは、一行13名のために座敷の部屋を用意してもらい、ゆっくり出来ました。実は、この秋で妹も結婚25周年になるとのことでした。残念ながら妹の家族は、ご主人がお店の留守番、次女が病気のため、長女だけの同伴でした。長女は、昨年4月から看護師として東京都内の病院で働いているため、なかなか会えなかったので、本当に久し振りの再会でした。

弟の家族は5人勢揃いであり、子ども3人の成長に驚きました。長女が高校生・次女が中学生、長男が小学生となりました。我が家は、長女がアルバイトで遅れて出席予定が、残業となってしまい、結局ファミレスにはこれませんでした。でも、食事会の後に我が家へ3家族が集まったので、長女も皆に会うことが出来て喜んでいました。両親は、終始穏やかな表情で楽しそうでした。

大震災から2カ月目

2011年05月11日 19時18分57秒 | 自分&家族
5月11日になってから、千葉県東方沖を震源とする余震が2時・4時・5時と3回発生しました。普段から、ちょっとした音や揺れでも敏感に反応し目覚めてしまう性質(たち)なもので、3回も安眠を邪魔され、熟睡出来ませんでした。あの東日本大震災が発生した3月11日から、ちょうど2カ月が経過したというのに、未だに余震が続いています。

我が家では、破壊された車庫の瓦屋根を大工さんにお願いして修理して頂きました。専門の瓦屋さんは、大忙しのため半年は待たされるとのことから、以前に次男の部屋を増改築して頂いた大工さんにお願いしたわけです。着工してから2週間近く経過した昨日、ようやく修理が終わりました。大工さんは、今日の大雨を予想していたのでしょうか?費用はいくらかかるのでしょう?

見積もりの段階では○○万円余り(私の給料手渡しで2カ月分)でしたが、瓦だけでなく耐震装備のために柱も鉄骨で補強して頂いたりしたので、費用が相当かかったことでしょう。保険も利かないでしょうから、大変な出費です。地震のバカ野郎と叫んでも、相手が地球自身では…。被災地に関するニュースは、毎日のように流れていますが、明るい話題が増えてきましたね。

蛙の合唱

2011年05月05日 08時32分06秒 | 自分&家族
近所の田圃では、例年どおりGW中に農家の皆さんは田植えをしています。田に水が満たされると、いつの間にか蛙が現れ、毎夜合唱コンクールが開かれているようです。指揮者はトトロかな?これが、田舎の風物詩でもあります。休日の日中になると耳を塞ぎたくなる程の騒音をまき散らす暴走族に比べれば、蛙の合唱は心地良い音楽みたいです。

それにしても、よくも飽きずにずっとケロケロと鳴き続けられるものですね。蛙の世界には時計がないから、夜10時以降は静かにと言っても無駄ですし、言葉も通じないですから、こちらは黙って無料コンサートを聴かされるだけです。もしかしたら、蛙の世界にも何かしらの音楽大会があって、皆が必死になって練習しているのかもしれませんね。

防災について考える

2011年05月04日 06時22分09秒 | 自分&家族
昨夜は、デジタルメモ「ポメラ」を利用して、一人寝室で執筆活動に挑戦しました。窓の外では、近所の田圃で蛙の合唱がうるさいくらいに盛り上がっています。3月11日に発生した東日本大震災から、そろそろ2ヶ月になろうとしています。余震の数は減ってきましたが、未だに依然と比べれば発生件数が多いように感じます。

テレビでは、各局で被災地の復興振りや、ボランティアの皆さんの活躍が、映像で流されています。そのためか、災害への覚悟の気持ちは未だに続いています。もし、ライフラインが絶たれたら、しばらくの間、電気・水道・ガスなしで生活を余儀なくされるけど、大丈夫なのかと尋ねられたら、やはり準備は不十分で心配です。

未だに被災された東北の皆さんは、大変な生活を強いられているのですが、いつ自分たちもそうなるか分かりません。日本に地震がある限り、永久にこの問題は解決されないのでしょうか?少なくても、津波に対する海岸線の防壁や、原発に対する事故防止措置は、人間の知恵で何とかしなくてはいけないと思います。二度と、今回のような大災害が起きないよう、日頃から必要な準備を怠ってはいけませんね。

それぞれの新年度スタート

2011年04月01日 12時28分45秒 | 自分&家族
テレビでは、明るい話題として、入社式での新入社員のフレッシュな姿が何度も放映されています。被災地域でも、当然ながら経済を立て直すために、働ける皆さんは個々の所属会社で働いていかなければなりませんね。なんとか、少しでも通常の生活に近づけるよう、遠く千葉から願っています。

私の場合、今日は休日なので自宅でテレビを見たりして寛いでいます。たまたま女房も仕事は休みでしたので、家族7人が揃っています。昼食後、近所の馴染みの理髪店で坊主頭にしてきました。現在16時半になりますが、これから13km走って、明日からの激務に対し気合を入れてきます。

大地震発生

2011年03月12日 07時24分07秒 | 自分&家族
3月11日午後2時半過ぎに発生した大地震は、その後も原稿を作成している12日早朝7時まで余震が続いています。私は成田空港で3交替制勤務をしており、夜勤明けで12時半に帰宅出来ました。もし、残業していたら、鉄道がストップし空港内に泊まったことでしょう。ニュースでは、空港に8500人の人が足止めされているとの報道もありました。

我が家の被災状況は、母屋では瓦屋根の一部が落ちるくらいで済みましたが、木造2階建てのため、材木がきしむ音が絶えず、揺れを激しく感じました。敷地内の車庫では、瓦屋根が全体的に崩壊し今にも地面に落ちてきそうです。隣りの家では、生活道路沿いのブロック塀が全て倒れ、道を塞いでしまったので、我が家から5人が復旧作業の手伝いに行きました。

テレビでは、東北地方の津波被害や火災、市原LPGの大火災の模様が報じられています。近隣市町村の一部では停電し、信号も故障したため交差点が大渋滞したようです。幸い我が家では、女房が学校で待機していた高1の次男を車で迎えに行き、7人全員が自宅で無事を確認出来ました。ライフラインも問題なしです。しかし、電話が繋がらないのには困りました。

親族の安否を確認したくても連絡方法がなく、心配が募るばかりです。ツイッターやフェイスブックは通常通りに利用できたので、多くの災害情報を得ることが出来ました。帰宅難民になった親友のAさんは、徒歩と復旧した電車を乗り継ぎ、12日未明(4時頃?)に無事帰宅できたことをツイッターで知りました。被災者の皆さんの無事を祈りたいです。

11日夕方からの開催が予定されていた退職者の合同送別会には、鉄道がストップしていたうえ、余震の恐怖で参加を急遽取り止めました。多くの出席予定者の皆さんは、成田空港から業務を終えて会場の成田駅前のホテルに鉄道を利用して向かう予定でしたから、もしや送別会が開催中止になっていたかもしれません。電話連絡が取れず、未だに状況は分かりません。

フェイスブックに夢中

2011年03月07日 19時16分30秒 | 自分&家族
職場から帰る際、電車の時間調整で立ち寄った書店で、「これ1冊で完全理解facebook」という雑誌を衝動買いしました。これまでも、「facebook完全活用術」という雑誌を購入していましたが、より分かり易いように見えたので、欲しくなってしまったのです。最近、ツイッターよりもフェイスブックの方が楽しくなってきました。なんと言っても実名による登録での、より深い繋がりが仲間と持てる事です。

帰宅後、夜勤で疲れていたのでまずは昼寝をし、その後に上記の雑誌を参考に様々な事を試してみました。そのうちの一つが、ブログを投稿すると内容がフェイスブックのニュースフィードに表示されるものです。今までは、ツイッターに反映されたブログの短縮アドレスをコピーし、その都度フェイスブックに張り付けていたのですが、その手間が省けて助かりました。今日のブログは、その第1号となります。

色々あった49才の誕生日

2011年02月25日 08時51分57秒 | 自分&家族
TwitterやFacebook では既に昨日公表していたのですが、私の誕生日は昭和37年2月24日であり、昨日で49才になりました。それを記念して、6時前から早朝ランを実施し、途中から小雨の降る中を9km走りました。普段は音楽を聴きながら走らないのですが、昨日は映画「ロッキー」の曲から始まり、お気に入りの曲を聴きながら、超スローペースでジョギングしました。

朝食後、次男の学校の先生から電話があり、次男に起きたトラブルについて聞かされました。高1の次男は、自宅から最寄りの駅まで歩き、そこから公共バスに乗り、登校しています。しかし、昨日は歩いている途中で定期券を落とし、バスに乗れませんでした。次男は、いつも同じバスを利用するクラスメイトに、「定期券を探してくるので遅刻する」と先生に伝えるようお願いしたそうです。

結局、次男は定期券を見つけられず、一緒に財布も失くしていたのでお金もなく、駅から学校まで3キロ以上の道のりを歩きました。担任の先生からは、定期券を探して見て欲しいと言われ、自宅や通学路を探しましたが、やはり見つかりませんでした。可哀そうに、次男は下校の際も学校から自宅まで5キロ以上も歩いて帰ってきました。先生にバス代くらい貸してもらえばよかったのに…。

次男は、落し物をした自分のミスにより、他人に迷惑をかけたくないと考えたらしく、携帯電話で自宅に助けも求めず、先生からお金も借りず、ひたすら歩いたとのことでした。夕方には、再び軽く5km走った後、次男と電車で出掛け、成田駅前で仕事帰りの女房と待ち合わせ、居酒屋で私の誕生祝いをしてもらいました。大きさは通常の半分とはいえ、年齢の数だけ餃子をサービスしてもらえました。

25日の朝になって、地元の中学校から電話があり、定期券を中学生が拾って学校に届けてくれたことを知らされました。女房が車で学校に行き定期券を返してもらえたので、今朝は無事にバスで次男は登校できました。

尊敬する亡祖父

2011年02月08日 16時37分44秒 | 自分&家族
プロゴルファーの石川遼選手は、あるインタビューで尊敬する人はと尋ねられた際、即座に「お父さんです。」といったような返事をしたそうです。確かに、ゴルフを教えてくれた師匠のような存在である父は、彼にとって尊敬できる人物なのでしょう。私の記憶が正しければ、彼の父は息子のゴルフ上達のために、自ら小規模なゴルフコースさえ作っています。

しかし、私にとって尊敬できる人物は、昭和の終わりに亡くなった父方の祖父でした。戦争でシベリア抑留などを受け、死ぬような苦労をした分、戦後は幸せな人生を歩まれたと思います。町の教育長や保険会社の支店長を務める名誉を受けた後も、70歳すぎまで保険の外交員として働き、退職した翌日に交通事故で突然に亡くなってしまいました。

事故の1年前に、私は横浜の勤務先から成田空港に転勤となり、1年間だけでしたが自宅に戻ったことがあります。当時は、自分の部屋が弟に占領されており、自分は空いていた祖父の寝室の隣部屋で生活しました。毎日のように、24時近くまで祖父は仕事の続きや勉強をしていたようです。裁縫やアイロンがけなども、一人でこなしていました。

普段から健康に気を付けており、100歳までは長生きできると確信していました。認知症もなかったので、いつでも昔話を聞くチャンスがあると思い、孫の私は祖父とじっくり話をすることはありませんでした。交際を続けていた女房との結婚を後押ししてくれたのは祖父でしたから、今でも女房との結婚式を見せてあげられなかったことが心残りです。

木を切る事と、不幸の因果関係は?

2011年02月01日 22時28分13秒 | 自分&家族
平成21年に、自治会の有志で共同墓地の周りに生えていた樹木を全て伐採し、お墓に陽が当たるようにしました。その後、立て続けに近所で不幸なことが発生しました。たかが74世帯しかない地域で、老人の死が4件というのは仕方ないかもしれませんが、まだ60歳前後の方が自殺というのは、多くの住民が「何かしら祟りでもあるのでは」と感じざるを得ません。

我が家の敷地内にある巨木は、神木となる立派なものでした。しかし、私の実父の判断で「もし倒れたら家屋に被害が出る。今のうちに手を打たないと、今後では余計に伐採しにくくなる。」という理由で、とうとう昨日、切り倒す事になりました。職人が、幹にワイヤーを巻きつけ、重機で倒れる方向を安全な場所に定めワイヤーを引っ張り、チェーンソーで伐採しました。

工事前に、職人の代表が清酒を巨木の根元にまいてお清めをし、職人と我が家族が手を合わせてお祈りする簡素な神事を行いました。しかし、所詮はお坊さんや神主さんたちを呼んで行う正式なものとは、違います。近所に起きた不幸と同様のことが、親族に起きなければ良いのですが。これから、長女の大学受験や姪の高校受験、長男の就職試験などがあるので心配でなりません。

単なる数字ですが…

2011年01月31日 07時43分44秒 | 自分&家族
50歳があと1年余りに迫ってきた最近、ふと同居している私の実父の年齢について考えてみました。主な出来事だけ見ると、昭和16年に生まれ、20歳で結婚し翌年には親になり、28歳で家を新築し、43歳の時に母を46才の時に父を亡くしています。それでは、私の場合はどうか比較してみました。

私は26歳で結婚、28歳で親になり、両親ともに70歳を越えても寝たきりにならず、なんとか人並みの生活をしています。そして、今年は来月中に49才となり、4月には両親が金婚式と呼ばれる結婚50周年を迎えます。両親には、是非とも長生きして欲しいです。私も、親不孝をしないよう、親より長生きしなければ!

昨日の雪騒動

2011年01月17日 10時21分21秒 | 自分&家族
昨日の朝、千葉の北総エリアにある我が町は、まるでスキー場に来たみたいに外は銀世界でした。シンシンと雪が降り続き、一体どうなるものかと心配な程でした。長女は大学のセンター試験二日目のため、女房に車で駅まで送られ、無事に受験できたようです。しかし、女房は帰り道に、自宅まであと30m程という地点の登り坂で車のタイヤがスリップして立ち往生。携帯で、助けを求めてきました。

私と次男、そして父までも傘をさし歩いて救助に向かいました。結局は、タイヤにチェーンを巻かないと坂を登れないと判断し、逆にバックで坂を下り、他の車の通行を妨げない場所に一時駐車することにしました。女房は、車で通勤しているのですが、車が使えないため歩いて最寄りの駅まで行き、電車で勤め先へ向かいました。なんでも、元々は休日だったのに、同僚の代役を頼まれての出勤だとか。

まさか雪が積もるとは想像していなかったでしょうから、女房も大変な1日を過ごしたようです。いつもは車で通勤しているのに、行き帰りと電車のため、最寄駅から歩いたわけですから。私は、遅番日勤でしたので、8時半頃には陽が出てきたので、出勤直前に車を自宅まで運転してきました。途中、1か所だけタイヤがスリップしドキッとしましたが、なんとか車は救出完了できて一安心しました。