スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

新宿区目白エリアの豪邸

2022-06-24 06:15:56 | 建物

JR山手線の目白駅。

地名の由来は五色不動の1つ、目白不動によるものだそうだ。

当駅の開業は明治18年3月16日。

意外にも東京山手線内のJR駅で中心駅である東京駅から最も遠いのがこの目白駅だ。

また、1日の乗降客数は21,536人(2020年)で、

高輪ゲートウェイ駅、鶯谷駅に次いで3番目に利用客が少ないそうだ。

ご覧のように駅舎の意匠は目白の街の雰囲気にピッタリとフィットしている

オシャレチックな建物になっている。

目白駅前を東西に走っているのが目白通り。

邸宅が多い高級住宅街は西に行って南下したエリア(下落合3丁目)で比較的狭い。

東に行くと駅前が学習院大学。

川村学園女子大学、日本女子大学などがあり、

治安も非常に良く落ち着いた環境の心地よいエリアだ。

それでは目白通りから閑静な高級住宅街に入って

目に付いた邸宅を3軒紹介しましょう。

最初は特別奇をてらった意匠ではないがオールタイル張りの中に

一部やさしいアールのガラスブロック、

そして大きなフィックスのガラス窓のバランスがとても良い邸宅。

2軒目は全体の外壁カラーがレンガ調であたたかみを感じさせる大切妻調のディテール。

縦の柱のラインと大ガレージの横のラインが共鳴している。

最後の邸宅は非常にスッキリしたラインでシンプルなお洒落を感じる。

RCの重厚感の中でよく手入れされた緑の植栽が空間ポイントとして生きている。

真ん中に大きな1本のシンボルツリー。

その周りを道路がアールに避けているとても趣のある一帯。

そのツリーの横に落ち着いた空気感のある少し時間の経過した

「近衛町パークマンション」がある。

こちらの邸宅は、なんて駐車場の広いことか。

余裕のスペースに点々と数台置かれて車も優雅に見えてしまう程だ。

さらに道を南下すると静かな住宅街の中に教会があった。

この教会は日本バブテストキリスト教目白ヶ丘教会。

尖塔アーチ型の鐘楼を頂くこの白い礼拝堂は日本の建築家・遠藤新の設計。

昭和25年9月に竣工。

氏は帝国ホテルを設計したことで日本でもその名を知られる

アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトを師に持つ。

この教会を横目に見てさらに進むとこのエリアのシンボル的建物が正面に現れてきた。

この優しいラインの建物は「日立目白クラブ」。

もとは昭和3年開設の学習院旧制高等科男子生徒用に建てられた

寄宿舎「旧学習院昭和寮」で1928年(昭和3年)3月に竣工した。

現在は日立グループの社員と家族向けの福利厚生施設・クラブハウスとして

懇親会、結婚式の披露宴などに利用されている。

外壁、内壁ともに白で統一。

ドア・窓枠はすべて木材であるが建物は鉄筋コンクリート造。

そして赤いスペイン瓦の屋根、アーチ型の窓や華麗な鉄装飾のグリル等を

特徴とするスパニッシュスタイルで建てられている。

内部には至るところにアールデコ風のデザインや細やかな装飾も見られ、

各部屋の真鍮製のドアノブには「菊」の御紋が見られるなど

設計を担当した宮内省内匠寮との縁がしのばれている。

こちらの豪邸の存在感はすごい。

大アールのハニースーン的総石貼りで、入口の玄関口はまるで城の出入口のようだ。

よく確かめたわけではないが、この建物は住宅なのか否か?

わからないが、びっくりするような建物であることには変わらない。

今回の豪邸巡りでスミダマンが気に入った豪邸の1つがこの建物。

外壁全体の基調カラーが黒系で道路面の外壁材は大型の石材が貼られ、

1階のベージュ系の小口の石材が上品なアクセントになって素敵な空間を造り上げている。

2階の2枚のアール間のスリットもとてもお洒落な意匠になっていた。

この豪邸もブラックの建材をほぼ全面アールに貼られた秀作だ。

3階のベランダに植栽された木が下から見上げるとなんて素敵なことか。

センターに植えられたもみじのシンボルツリーも空間に潤いを与えている。

このエリアから南面は高低差が大きくあり、大袈裟に言えば崖になっている。

今まで紹介してきたエリアはブラタモリ的に言えば丘陵地ということになる。

この場所に現在、住友不動産開発の地下5階・地上2階建ての

分譲マンションが施工中だ。

延べ面積20,834㎡(約6,300坪)というから、かなりの大型マンションだ。

分譲価格がいくら位なのかとても興味がある。

こちらの静かな高級住宅地の中にポツンとある有料老人ホーム「アライブ目白」。

運営事業はセコムがやっている。

実はここにスミダマンの叔母がお世話になっており、訪ねたことがある思い出の建物だ。

叔母はここで息を引き取った。

街をテクテク散策すると思わぬ所、建物、物に出会うことがあり、

ある意味これが散歩の醍醐味だ。

まさにこの「篤磨公記念碑」の発見はそんな出会いだ。

近衛篤磨公は霞山と号し、大職冠・藤原鎌足の後裔で、

五摂家筆頭近衛家の第28代当主として文久3年(1863年)京都に生まれる。

明治17年(1884年)華族に列し、公爵。

翌年ドイツに留学。

明治23年(1890年)帰国し、貴族院議員、その後学習院院長、貴族院議長に就任。

時の内閣からしばしば入閣を懇請されたが固辞し、

常に野にあって国政の大局的指導に当たった。

明治35年(1902年)に晩年の居を定め終焉の地となったこの辺は

下落合と呼ばれているが別称・近衛町ともいう。

昭和の香りがする昔の豪邸の門構え、大谷石の塀は古くなればなるほど、

味が出て哀愁さえ感じる。

街並の一角をパチリ。

本当に人通りが少なく静かな街だ。

そもそも目白は江戸時代、大名屋敷、武家屋敷が数多く点在し、

明治維新後には華族や財閥などの邸宅が立ち並んだ場所だ。

こちらは弁柄色のスパニッシュ系の大豪邸。

他の邸宅とはちょっと味わいが違っていてアピール度が高い。

チムニーがある家、いいですネー。

やはりこの街にはバラがよく似合っていた。

 

 


最新の画像もっと見る