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スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

2022河津桜開花速報

2022-03-08 06:38:25 | 自然

3月3日ひな祭りも終わり、三寒四温と言われる季節になってきました。

三寒四温(さんかんしおん)とは冬季に寒い日が3日続くと、

そのあと4日ほど温暖な日が続き、また寒くなるというように

7日周期で寒暖が繰り返される現象をいいます。

これから3月18日(金)から3月24日(木)のお彼岸まで、春に向かってこんな日が続くでしょう。

この時期になると気になってくるのが私達、浦和東ロータリークラブが

2003年に植樹した河津桜の開花です。

今から19年前に4ヶ所植樹した河津桜の中で一番早く咲くのが

このさいたま市緑区役所南側のだいぶ立派に成長した1本。

3月4日(金)9:40の撮影時で7~8分咲きといったところでしょうか。

今年は冬の寒さもあって若干遅いような気がします。

スミダマンのほのぼの奮戦記では、調べてみると過去3回、

この区役所と井沼方公園の河津桜をアップしてきました。

①2017-3-27付

3月18日付で区役所玄関前の河津桜は満開でした。

②2018-3-13付

3月11日時点で井沼方公園の河津桜は満開のちょっと手前。

③2021-2-23付

2月20日撮影時で緑区役所の河津桜は玄関口で1~2分咲き、

南側で満開近くの8分咲きになっていました。

昨年はことのほか咲きが早かったようです。

区役所玄関口の1本は昨年より12日後に撮って1~2分咲き。

この河津桜は2003年4月、さいたま市が浦和市、大宮市、与野市と合併して

政令指定都市に移行したことを記念して植樹したもので

その当時は河津桜はまだもの珍しく、

手に入れるのも苦労したことを思い出します。

河津桜は早咲きの桜で寒緋桜と大島桜の自然交配種で開花期は3月上旬。

花は中輪一重咲きで紅紫色の花が特色です。

この日は緑区役所に用事があって来ました。

浦和レッズのホームグランド・埼玉スタジアム2002は緑区にあり、

区役所の一角にも浦和レッズのコーナーがあります。

今シーズンは久し振りとなるJ1リーグの制覇を目指してスタートしましたが、

残念ながらスタートダッシュに失敗してしまいました。

区役所の階段には一段昇ると0.1キロカロリー消費する表示を発見。

ランチ700~800キロカロリーの食事をすると7,000~8,000段昇る計算になる。

これを見ると説得力がありますネー!


マリモの死 Ⅳ

2022-02-05 06:48:55 | 自然

(2016-11-12付ブログ 道東の生き物)

今から約5年前、さいしん旅の生きがい大学で網走市にあるオホーツク流氷館で

クリオネ付マリモを買った日から物語は始まった。

その前は会社の机上でフィッカス・プミラという

植物を世話していたが、これを枯らしてしまった。

枯れたフィッカス・プミラ

(2012-12-27付 ブログ参照)

マリモを見た時、仕事のストレスを一瞬でも忘れるように

また生き物を飼う気になった。

マリモはそもそも球状集合体でできた淡水生の緑藻の一種で、

その旅で訪れた阿寒湖のマリモは国の天然記念物で有名だ。

2年目のマリモ

(2017-10-23付 ブログ参照)

3年目のマリモ

(2018-10-31付 ブログ参照)

もこもこしていてかわいい緑色のマリモ。

まるでペットのように愛着を感じて育ててきました。

週1回、毎週月曜日に蒸留水で水換えをし、

北海道で買ってきた「マリモのごはん」をあげてきました。

しかし徐々に美しい緑色が濁り、丸い姿がデコボコになってきて、

その変化にガッカリしてきました。

そして昨年の秋ごろからご覧のように生気を感じないようになりました。

水換えもその頃から怠るようになり、

今日この頃になったという次第です。

マリモは水温10~20度の冷たい水を好み、30度を超えると枯れてしまうといいます。

デスクの上は時々直射日光が当たり、

これが弱ってしまう原因にもなったのかもしれません。

表面が徐々に茶色から黒っぽくなり、

もう見た目に枯れかけてきている、

あるいは枯れたと言ってもよいかもしれません。

長年デスクの一角に癒しのオーラを放っていた3つのマリモちゃんともお別れです。

近々、会社の花壇に埋葬しようかと考えています。

 


寒霞渓

2021-12-11 06:45:06 | 自然

https://www.kankakei.co.jp/

四季それぞれに織りなす豊かな大自然に恵まれた瀬戸内海・国立公園の中心地・小豆島。

そのほぼ中央に位置するここ寒霞渓(かんかけい)は

島の最高峰星ヶ城山と四方真ん中にある渓谷です。

ここにかかる寒霞渓ロープウェイは昭和38年(1963年)に開通し、

今日まで無事故運転を継続中とか。

ここ標高295mのこううん駅(紅雲亭)から山頂駅まで約5分。

言葉で上手に説明できないほどの絶景を楽しむことができる。

なお、ロープウェイの乗員定員は40名との事。

ロープウェイの乗り口のこううん駅から素晴らしい紅葉がスミダマンの目を奪う。

特に時間が朝8:30というさわやかな朝日を浴びて一際美しさを増しているような気がする。

寒霞渓は日本三大渓谷美(群馬の妙義山、大分・中津の耶馬渓)の1つで、

日本三大奇勝、日本百景でもある。

21世紀に残したい日本の自然100選にも選ばれている景勝地だ。

寒霞渓は約1300万年前の火山活動によってできた

安山岩層や火山角礫岩などの岩塊が長い年月の地形変動や、

雨や風の浸食により多種多様の奇岩や崖地が絶景を創り上げた。

ここは星ヶ城と美しの原高原の間、東西7キロ南北4キロに及ぶ大渓谷だ。

ロープウェイの山頂駅に着いてみるとそれまで見てきた

険しい渓谷風景とは全く違う広々とした平らな風景が拡がり、

その落差にはビックリだ。

そしてそこで島の植木屋さんが店を開いていた。

さすが小豆島、売られていた植木は小豆島のシンボル、オリーブの木だ。

こちらは第二展望台。

寒霞渓ならではの奇岩郡を一望できる。

遠くには美しい瀬戸内海を望むことができるが、あいにくこの日はボンヤリ霞がかかり、

その素晴らしい光景をはっきり見ることができなかった。

また、ここでは御利益に五縁がありますようにとの、かわら投げ所もある。

眼下の霞の風景とは逆に天空の空は白い雲と青い天がとてもはっきりしていて美しかった。

こちらは内海湾と裏八景を望むことができる第一展望台。

ボンヤリしてはっきり見えないが、

内海湾の右端には「二十四の瞳 映画村」も見るとこができた。

赤く色づいた紅葉の美しさにシャッターをパチパチ。

今年この紅葉が一番かもしれない。

一時「1億円の快適トイレ」として話題になった寒霞渓パブリックトイレ。

平成2年7月に総工費1億円をかけて建設された。

当時の観光地のトイレといえば「暗い」「臭い」「汚い」といったイメージがあったが、

それを払拭して心地よく利用できるように建設された。

今となっては珍しくない設備ですが、その当時としては

「冷房完備」「床暖房」「ウォシュレット」「女性用パウダーコーナー」

「母子コーナー」「男女別身体障害者用トイレ」などの

最新鋭の設備であった。

下りのロープウェイから撮った絶景風景。

日本三大渓谷美の中でもロープウェイで眺望できるのは、ここだけだそうだ。

それにしても、こんな素晴らしい絶景が小豆島で見られるとは、

来るまで知りませんでした。

 

 

 


飛鳥山公園

2021-10-21 05:57:29 | 自然

京浜東北線・王子駅のホームから飛鳥山方面を撮る。

山の右側に見えるのが飛鳥山公園モノレールのスロープカー。

王子駅・中央口改札を出るともうそこはNHK大河ドラマ「青天を衝け」の世界。

王子飛鳥山は渋沢翁のテーマパークだ。

各メインの役のアニメイラストがかっこよく迎えてくれる。

これが今、脚光を浴びている飛鳥山公園の案内図。

この公園に渋沢翁に関連する施設は7つもある。

飛鳥山公園に登るのにスロープカーを利用しようと

乗り口に行ったところ10:00から運転開始とのこと。

約30分も早く着いてしまった為、この登り坂を歩くことになってしまった。

登り道の道中にはずーっと大河ドラマ館ののぼり旗が立ち、

この山は「青天を衝け」のお祭り一色といった感じだ。

平成21年(2009年)に開通した飛鳥山公園モノレールのスロープカー。

愛称をアスカルゴと言うらしい。

あのエスカルゴとアスカ山と重ねて付けたのではないかと勝手に想像してしまった。

以前、よく電車からこの乗り物を見て、

なんでこんなオモチャみたいなものを作ったのだろうと思ったが、

確かに来てみると王子駅から飛鳥山に登るには

年配者にはちょっと無理かもしれないと痛感した。

最後の2枚の写真を見てもらうとわかると思いますが、

山頂から見る眼下の風景は絶景でありました。

真下に走っているのが唯一残った都電であります。

王子駅の上には北陸新幹線の雄姿も見えます。

飛鳥山という小高い丘は都内では港区の愛宕山(25.7m)の次に高い25.4mあり、

よく考えたらここだけがこんもりした丘で

都内では珍しい地形かもしれない。

飛鳥山公園は現在北区立の公園で面積は7万3,000㎥(約2万2,000坪ほど)もある。

江戸享保期に8代将軍・徳川吉宗が享保の改革の一環として

整備、造成を行い、1720年から翌年にかけて1,270本の桜を植えられた。

それにより都内でも指折りの桜の名所の1つになった。

当公園は明治6年(1873年)、上野公園、芝公園、浅草公園、深川公園とともに

日本最初の公園の1つに指定された。

現在の飛鳥山公園は博物館、庭園、野外ステージ、児童公園、噴水などの設備が整えられ、

本当に素晴らしい公園になったと久し振りに探索をして感じた。

飛鳥山公園内には、ご覧のように多くの石碑、像などある。

2枚目の写真は桜の賦の碑で明治14年(1881年)に建立された。

佐久間象山の書いた「桜賦」を、門弟・勝海舟の意で碑にしたものとか。

3枚目の写真は飛鳥山碑といって元文2年(1881年)に建立、

飛鳥山の由来を記したものであまりに難解な漢文であるため、

江戸時代は読めない碑として知られた。

公園の真ん中あたりには子供が喜びそうな児童公園がある。

センターにすべり台ができるお城のようなもの。

大きな象と小さな動物達、都心では貴重な野外で親子が触れあえる場所だ。

この児童公園を囲むように都電6080と蒸気機関車D51が展示されていた。

この都電は昭和53年4月まで飛鳥山公園脇の荒川線を走っていた車両だ。

この6000型は戦後はじめての新造車で昭和42年に製造されたもの。

一方のD51(デコイチ)は昭和18年の製造で

昭和47年に廃車になるまで1,942,471.3km走ったそうだ。

運転席に上がるとすごい迫力があった。

大河ドラマ館(北区飛鳥山博物館)と渋沢史料館の間にあるこの像は

長崎の平和祈念像を作った北村西望氏の作品で「平和の女神像」。

この像は日本と中国の国交正常化を記念して

人類の理想である平和と幸福を願って1974年に建立された。

平成10年(1998年)に開館した「紙の博物館」。

ここは世界でも有数の紙専門博物館で、

日本最初の洋紙工場だった旧王子製紙の収蔵資料を引き継ぎ、

1950年に製紙記念館として設立され、この地に移転してきた。

児童公園隣りから南に広がる旧渋沢庭園の一角には、

このようにテントを張り、ミニキャンプ(?)を楽しんでいる人々がいた。

一方、当公園は絶好の犬の散歩場所。

たまたま同じ柴犬を連れた男性達がしばらく立ち止まって

犬同士がにらめっこしていた姿が絵になっていた。

こちらでは中国風の組手(カンフー?)の練習を熱心に続けていた男性同士をパチリ。

広い公園の中では様々な時を過ごしている人達が休日を楽しんでいた。

ランチを終えて明治通りから飛鳥山を眺めた1枚。

正面に見える和風の建物は飛鳥山交番。

桜の季節はここからの眺めはさぞ素晴らしいことでしょう。

それにしても空の電線と道路の線路、気になりませんか?

答えは都電が走っているからです。

都内で唯一残った都電荒川線(東京さくらトラム)は三ノ輪橋から早稲田まで。

ここ本郷通りから右に迂回して専用線路へ。

このグッドポイントで写真を撮ろうと

カメラマンがずーっとここの場所で待ち構えていた。

それにしてもこの車両のラッピングはすごいですネー。

「青天を衝け」です。

 

 


谷川岳 天神平

2021-09-16 06:16:03 | 自然

憧れの谷川岳にとうとう来ました。

昨年は台風で周辺の道路が通行止め。

当然ロープウェイも運行停止で泣く泣く諦めましたが、

今年はロープウェイも順調に運行しており、あとはお天気次第。

今年のお盆休みは天候が悪く今年も駄目かと覚悟していたら、

この日に限って晴れてくれました。

ロープウェイの出発駅は土合口駅(標高746m)。

谷川岳ベースプラザの6階にロープウェイの切符売場をはじめ、

カフェテリア、売店などがある。

このプラザでビックリしたのは自走式立体駐車場で700台も収容できる巨大さだ。

http://www.tanigawadake-rw.com/

谷川岳ロープウェイ切符売場の所には天神平のお天気情報が出ていた。

真夏の暑い日に気温19℃とは、やはり山は涼しい。

これが谷川岳天神平の超シンプルな案内図。

ロープウェイで天神平駅に行き天神山と高倉山の麓が冬は天神平スキー場になる。

この図の右側に行くと谷川岳になる。

谷川岳と聞くとスミダマンの昔の印象は遭難事故が多くあった山。

しかも滑落の死亡事故が多発した山というイメージが強く残っている。

ですから登山カードは命綱といった感じだ。

ご覧のようにロープウェイ乗り場は長蛇の列。

乗るまでに約20分間ほど並んだ。

谷川岳のロープウェイは複式単線自動循環式ゴンドラ(通称フニテル)で

山岳の厳しい環境に対応した輸送の安全性を確保することを目的として誕生した。

風に強い安定性と快適性、高水準の機能はすべての人に安心して利用できる。

厳冬期の観光にも適応した設計で、足元を気にすることなく

駐車場からロープウェイ、天神平までを2,400m、最速7分で結んでいる。

なお、ベースプラザから天神平駅までの高低差は573mだ。

天神平駅に降りると群馬県の名物キャラクター「ぐんまちゃん」と

なぜかとなりのトトロのキャラクターが並んで出迎えてくれる。

谷川岳ロープウェイ「フニテル」で標高1,319mの天神平駅に着くと

目の前に極上の大自然の天神平が広がる。

春から秋の約半年間は高山植物のお花畑や

色鮮やかな紅葉の高原をのんびりウォーキングできる。

5月までのスノーシーズンには天神平自慢のサラッサラのパウダースノーを

スノボやスキーで満喫できる。

この日のこの時間に限ってご覧のように素晴らしい天候になり、

天神平から雄大・圧巻・幻想的な山々の風景を眺めることができた。

左から笠ヶ岳(1,852m)、朝日岳(1,945m)、山頂に雲がかかった山・白毛門(1,720m)だ。

天神平駅を降り、次に天神峠リフトに乗り換える。

このリフトはリフト長428m、高低差168m、頂上の天神峠駅は標高1,502mの所にある。

満席のリフトから周囲の素晴らしい風景を見ていた所に

大きな「ぐんまちゃん」人形が乗ったリフトとすれ違った。

「リアリー!?オーマイゴッド! イッツジョーク!」といった感じ。

リフトから振り向くと眼下に天神平駅。

天空のレストラン、ビューテラスてんじんなどの建物が小さく見える。

いやー、迫力ある風景ですネー。

天神峠駅に到着。

天神峠展望台から見た谷川岳連峰。

谷川岳は上信越国立公園内にあり、日本百名山の一つだ。

標高は1,977m、頂上はオキの耳(1,977m)とトマの耳(1,963m)だ。

その鋭く美しい山容とシルエット。

標高2,000mに満たないこの山が全国のアルピニストから熱い視線を注がれ、

数々の文学の舞台にもなっているのは、

この山の歴史が「日本のロッククライミング史そのもの」だからだ。

そのロッククライミングのメッカがこの山頂の裏手にある

一ノ倉沢、マチが沢だが、残念ながらここからは見えない。

ここ天神峠からは天神屋根ウォーキングコース(約2時間30分)、

さらに谷川岳山頂登山コース(約5時間30分)があり、

あこがれの高山頂上へ極上の大自然を自分の足で満喫できる。

片やこちらは奥利根の山々。

遠くにうっすら見えるのは赤城の山々か。

谷川岳の双耳峰のあたりもロッククライミングの本場としての

厳しい岩場の山肌を臨むことができる。

天神峠駅の近くに、なぜか諸天善神獄(中院)という天満宮が奉られている。

こんな山の山頂にも神社とは日本はやはり神の国だ。

時間はちょうど昼時になり、昼食は天神平駅近くのビューテラスてんじんでとることにした。

ここは冬のスキーシーズンはスキー客でごったがえしているのが目に浮かぶ。

システムはセルフスタイル。

そしてこれがメニュー。

そばにうどん、ラーメン、カレーと定番メニューが並ぶ。

塩ラーメン1,000円と冷したぬきソバ1,000円。

空気の美味しい所でタップリ歩いた後の昼食は街中で食べるよりずっと乙な味がする。

レストランの名の通り、ここはビューテラス。

目の前をロープウェイのゴンドラが迫ってきてそれを見ているだけでも楽しい。

さらに天空のレストランと言うだけに谷川連峰も窓から一望でき、

「花より団子」というよりは「団子より花」の場所だ。

冒頭のポスターは初夏バージョンだったが

山頂のポスターは秋の紅葉ポスターに変わっていた。

 

 

 


ポピーまつり

2021-06-29 06:23:16 | 自然

ネットを見ていたら偶然、鴻巣の荒川河川敷に

日本一広いポピー畑があることを知って行ってきた(5月30日)。

盛りは既に過ぎていたがポピーは好きな花の1つだし、

まつりも終わって1週間過ぎて密もないだろうし、ヨシ見に行こうという気持ちになった。

鴻巣市内3ヶ所、、即ちポピーまつりの馬室会場、

麦なでしこ・ポピーまつりの吹上会場、そして花久の里バラ祭りだ。

これを称して第11回「こうのす花まつり」が5月8日(土)~23日(日)まで2週間行われていた。

それ以外にも大人の社会科見学「花生産農家見学会」、鴻巣オープンガーデンなどのイベントもあった。

ここ馬室会場は約12.5haの日本一広いポピー畑。

約3,000万本の赤やオレンジ色のポピーが見渡す限り広がっています。

この花畑の奥に架かる橋の所は「川幅日本一」を誇る荒川河川敷が広がり、

関東富士百景に選されています。

御成橋からの眺めは壮大でありました。

ポピーまつりは終わっていたが、駐車場エリアにはまだ市提供のテントがあり、

ピザ店、そしてキッチンカーにはたこ焼、やきそば、焼だんご、五平餅などが売られていた。

その隣りにはバッグやアクセサリーなどのおみやげ小物店も営業していた。

これはカリフォルニアポピー。

かわいらしいですネー。

4枚の花弁が杯状に開く。

この花は明治初期に渡来した。

花が紋章の花菱に似ているところから和名をハナビシソウというそうだ。

都会からは土が消えていっているが、この畦道(あぜみち)は自然の土で、

歩くとなぜかホッとして懐かしい気持ちにさせてくれる。

土は不思議な魔力を持っている。

これはシャーレ―ポピーで和名は雛芥子(ひなげし)。

耐寒性の一年草で草丈50cm~1mくらいになる。

茎の先に直径5~10cmの4弁の花が開く。

八重咲きの品種が多く、薄い紙で作った造花のようにも見えます。

アップで撮ると本当に可憐で愛くるしい花だ。

ポピーの花言葉は「なぐさめ」「いたわり」「思いやり」

「恋の予感」「陽気でやさしい」「想像力」。

花の色別でも花言葉があるようだ。

ここ馬室会場には他に薄手の和紙のようなカップ型の花をつける

アイスランドポピー(別名:シベリアヒナゲシ)も咲いていた。

 

 

それではポピー畑と花を楽しむ人々のスナップ写真を紹介しましょう。

皆、花畑の中に入ると幸せそうなオーラを出しているように見える。

ここにはポピー以外にモネフィラ(和名:瑠璃唐草(るりからくさ))も植えられていた。

ネモフィラは北アメリカ原産の一年草で繊細な茎の先から可憐な丸みをおびた青い花を咲かせる。

また、葉はよく分枝し、地面を這うように茂る。

ネモフィラを見ると茨城県の国営ひたち海浜公園を思い出す。

ポピー畑をのんびり散策しているとピーピーピーと気になる鳥の鳴き声が聞こえた。

鳴き声を追っていくとすっきりと晴れた空と雲の上空にひばりが飛んでいた。

(一番上のセンターに黒い点が映っているのが「ひばり」です。)

そして、ポピー畑の南方面からプロペラエンジン音が聞こえてきた。

そちらに目を向けるとこの飛行機が離着しポピー畑の方に向かって飛んできた。

そしてしばらくこの上を旋回して飛び去って行った。

それをじっと見ていると何か映画のワンシーンを見ているような気分になって

時の流れが止まってしまった。

この飛行機は荒川左岸河川敷にある埼玉フライングクラブの吹上飛行場から飛び立ったのだろう?

日本一広いポピー畑というだけに道もどこまでも一本道が続く。

目の前を遮るものもなく、目に映るのはポピー畑と青空と雲と道のみ。

思いっきり自然を堪能でき非日常の世界に浸ることができた。

改めてポピーについて触れると、ポピーはケシ科の植物で、

原産地はヨーロッパ南部、西アジア、トルコ東部、アジア北東部、イラン北部。

ラテン語で粥という意味のpapaが語源で、

幼児を眠らせるためにお粥の中にケシの乳液を加えたことからつけられた。

開花時期は3月~5月。

咲いてから4~5日ほどで枯れはじめる。

品種は世界中に約150種類ほど存在し、一年草と多年草がある。

ポピーとはケシの仲間の総称で、多くはヒナゲシのことを指す。

鴻巣市から吉見町へ向かう荒川に架かる御成橋の河川敷は川幅日本一で2,537mある。

ここからは富士山がよく見えるそうだ。

 

 


京都御所 御苑の桜

2021-04-28 06:10:37 | 自然

宿泊している京都ブライトンホテルから歩いて約5分。

桜の名所として市民に愛されている京都御所御苑にはこの中立売御門から入った。

この門より一つ南に下った門が幕末・幕府軍と長州軍が武力衝突した

禁門の変の激戦地になった蛤御門がある。

御所内には御所の色々な地図、案内図があったが、

江戸時代(慶応年間)のこの地図が一番興味があったのでアップしました。

この図を見ると天皇が生活していた禁裏、大宮御所、仙洞御所を囲むように

宮家や公家の家があったのがわかる。

桂宮、有栖川宮、嘉陽宮、閑院宮の宮家、近衛殿、一篠殿、九篠殿、鷹司殿の公家などだ。

京都御苑は、京都御所、大宮・仙洞御所を囲む面積約65haの公園で

市民に広く開放された空間です。

東西約700m、南北約1,300mの広大な敷地には、

明治維新まで多くの宮家や公家の邸宅が立ち並んでいました。

京都御所には計6ヶ所の門が設置されている。

上のは宣秋門。

平安宮内裏外郭の西正門にあり、内郭の陰明門と相対する下のは清所門、

ここから御所への入口となっている。

門に立っているのは皇宮警察。

御苑中立売御門の北側に位置するまだ真新しい2019年1月にオープンした中立売休憩所。

御苑の木々に囲まれたまさに森の休憩所で東側のテラス席からは京都御苑が眺められ

京の歴史に思いを馳せながらゆったりした時間を過ごすことができる。

ここはレストラン・売店コーナー・情報発信コーナーが設けられ、無料休憩スペースとして利用できる。

日本ではなかなか見られない広い広い広場というか道路というか、

その中を皇宮警察のパトカーがゆっくり警備していた。

この道路(?)の真ん中に1本道路標識が忽然と立っていた。

こんな光景は他では見られない珍百景だ。

京都御所の敷地を囲む築地塀は5本の筋の入った格式の高いもの。

ここは違うが、鬼門にあたる敷地の北東角では敷地塀がそこだけ凹んでおり、

「猿ヶ辻」と称されている。

この敷地塀の内側が1331年から1869年(明治2年)までの間、

内裏(天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所で現在の皇居とほぼ同義)。

京都御苑の最北部に残るかつての五摂家の一つ、

近衛家の屋敷のあった近衛邸跡庭園が桜の名所になっている。

この庭園でのびのびとヨガ体操をやっていた女性グループ。

さぞ桜の下での運動は気持ちが良いだろう。

御苑の桜は最も早く咲き始める桜で有名で約60本ほどある。

又、往時から糸桜の名所としても知られた近衛邸跡のしだれ桜があるが、

行ったこの日は大方、花の盛りは過ぎていたのはちょっと残念であった。

この松の大木の幹を見て下さい。

これだけを見るととても松の木には見えず他の動物、恐竜的な生物に見えてしまったのは自分だけか。

近衛邸からちょっと離れたこの一角のしだれ桜は丁度見頃を迎えていた。

この周りで盛んにシャッターを切っていたカメラマンが

いつまでもファインダーを向けている気持ちはよくわかる。

それ程、日本人には桜は怪しい魔力を持っているような気がする。

平安京内裏の外郭門の1つ、北門にある朔平門(さくへいもん)。

明治2年(1869年)明治天皇の東京遷幸(遷都)に伴って多くの公家達も東京に移住し、

御所周辺は急速に荒廃した。

明治10年(1877年)京都に還幸された天皇は、その荒れた様を深く哀しまれ、

御所保存・旧観維持の御沙汰を下された。

この御沙汰を受けて「大内保存事業」が進められ

皇室苑地として整備されたのが現在の京都御苑の始まりです。

大内保存事業から140年以上の年月が経ち、

約5万本の樹木によって京都御苑は市街地の中の緑ゆたかな空間になっている。

苑内の自然環境が優れていることから、オオタカの餌場、

アオバズクの養殖場となるなど、100種以上の野鳥が見られる。

京都御苑には外郭九門といわれる御門が9つある。

北側から時計回りで今出川御門、石薬師御門、清和院御門、寺町御門、

堺町御門、下立売御門、蛤御門、それから入苑した中立売御門、そしてこの乾御門。

この門から出て、次の桜名所の妙顕寺へ。


知恩院の夜桜

2021-04-23 06:19:35 | 自然

浄土宗総本山・知恩院では3月26日(金)~4月4日(日)春のライトアップ2021を開催していた。

時間は17:45~21:30、料金は大人600円。

ライトアップ期間中は国法御影堂にて毎夜「聞いてみよう お坊さんのはなし」も開催していたが、

さすがに足が棒のようになり、夜桜拝観を終えたら一目散でホテルへチェックインしてしまった。

昼間の知恩院の三門。

国宝のこの三門は元和7年(1621年)徳川二代将軍・秀忠が寄進して建立された日本三大門の一つだ。

知恩院は浄土宗の開祖、法然上人(1133~1212年)が

お念仏のみ教え、広め、入寂された遺跡に建つ由緒ある寺院。

正式名称は華頂山知恩教院大谷寺という浄土宗の総本山です。

江戸時代・浄土宗を信仰した徳川家康公が、

当寺を京都における菩提所と定めたことから寺領が拡大され、

現在の大伽蓋が築かれた。(2019-9-2付ブログ参照)

この三門の隣に友禅染の祖、宮崎友禅斎の誕生300年を記念して造園された「友禅苑」。

池泉式庭園と枯山水で構成された華やかな昭和の名庭です。

この枯山水の砂紋の上ではライトアップのプロジェクトマッピングが人工的な美を描き上げていた。

一方こちらは「美幸」というしだれ桜のライトアップ。

2本ある友禅苑のシンボルツリー的しだれ桜が満開を迎え、

怪しげなピンク色のライトに照らしだされ、

この世のものとは思えない妖艶な姿に見とれ言葉を失ってしまう。

補陀落池に立つ有名な高村光雲作の聖観音菩薩像がライトアップされ、

闇夜の中でぼんやりと浮き上がり不思議な空間になっている。

宮崎友禅斎の像。

宮崎友禅は江戸時代の元禄年間を中心に京都で活躍した扇絵師。

着物の友禅模様という名称の基になった扇絵や小袖の雛形を描いた。

来歴不明で出家であったことぐらいしか分かっていない。

友禅苑の一番高く奥まった所にある白寿庵では

ご覧のような一輪挿しのイベント展示が静かに行われていた。

友禅苑を出て知恩院の境内、三門周辺と女坂のライトアップされた夜桜がまた素晴らしい。

本当に京都には多くの桜の名所があり、

約1ヶ月間もの間、種々の花見が近くでできて京都の人が羨ましい限りだ。


円山公園の祇園しだれ桜

2021-04-16 06:30:23 | 自然

今回の旅のメインイベント「祇園の夜桜」で有名なしだれ桜。

大変残念ながら今年はコロナの関係でライトアップは中止でありました。

それでは昼間の祇園しだれ桜を沢山撮ってきましたのでご覧下さい。(2019-8-31付ブログ参照)

円山公園は八坂神社の東側にひろがる京都で最も古い公園になる。

この公園が出来たのは今から130年程前。

明治時代までは八坂神社の境内にこの公園があった。

円山公園は国の名勝にも指定されている池泉回遊式の庭園だ。

その庭園を創りあげたのは7代目・小川治兵衛と言われている。

回遊式庭園とは室町時代では禅宗寺院、

江戸時代では大名によって作られた日本庭園の基になる庭になる。

その中でも一番多く造られたのが池泉回遊式庭園だ。

その特徴として上げられるのが大きな池、そしてその周りに道を作り、

池の真ん中に小島を設置し、橋を架せ、名石を置く。

円山公園内には地元の方に「祇園のしだれ桜」と呼ばれて愛されている一重白彼岸枝重桜がある。

このしだれ桜の迫力は本当に言葉を失うとはこの事と言えるほどの圧巻の佇まいだ。

初代の桜は樹齢200年程で枯れてしまい、

初代の種を大事に育てた桜が今は代わりに人々の心を癒している。

現在の桜は二代目で樹齢は80年を超えている。

円山公園の祇園しだれ桜を手掛けたのは創業1832年の植藤造園の第15代当主・佐野藤右衛門。

植藤造園は江戸時代から代々御室御所(現・仁和寺)に仕えた植木職人で、

近年はパリやニューヨークなど世界各地で日本庭園を手掛けている。

この日は青空が広がる花見日和で円山公園のしだれ桜もほぼ満開(8~9分咲きか)。

この世のものとは思えぬ素晴らしいサクラをカメラに納めようと本当に多くの人々が

本格的カメラ、デジカメ、スマホでシャッターを押していた。

ここにも多くの着物の女性、カップル、金髪の外国人が

桜の美しさに陶酔してウットリした時を楽しんでいた。

祇園の夜桜に比べればソメイヨシノはどうしても脇役になってしまうが、それでも

多くのソメイヨシノが満開を迎えその華やかさに桃源郷のような夢見心地な気分になってしまう。

もう最高です。

これが園内の光景です。

特に祇園のしだれ桜を囲んで大勢の人々がその美しさに見とれて、ほとんどの人が無言。

アルコール類もなく、本当にこれが花見という姿だった。

ここでも結婚式の前撮りが行われ、

隣の茶店では赤い番傘の下で和服を召した若い人達が抹茶を楽しんでいた。

令和の時代というのに平成、昭和、大正、明治とタイムスリップしていくようで

まさに京都ならでわの光景だと思う。

 


大宮第2公園

2021-03-06 06:59:17 | 自然

2月13日(土)大宮第2公園にある梅林の紅細並木。

この梅園の見どころは520本ほどある各種の梅の木。

2月は恒例の梅まつりが行われるが、今年はコロナ禍の中で残念ながら中止になった。

通称、大宮公園とは氷川神社周辺の大宮公園と産業道路を越えた所にある

大宮第二・第三公園の3つのエリアに分かれている。

管理はすべて県(公財 埼玉県公園緑地協会)が行っている。

今回のブログはその中の大宮第二公園についてだ。

この公園は昭和55年にオープンし、総敷地面積は約22haある。

これが公園案内図の左上の一部の梅林の全景。

満開にはちょっと早かった。

梅林の中でも一際目立った3分咲き位の「曙枝垂」というしだれ梅。

この木の周りにはアマチュアカメラマンが盛んにシャッターを切っていた。

同じく黄色の可愛らしい蝋梅の周りにも本格的カメラを持って

三脚で撮っていたアマチュアカメラマンが数名いた。

園内にはこのように車椅子に乗った高齢者の方が早春の風景を楽しむかのように

付き添いの方に車椅子を引かれて梅の花をしみじみと眺めていた。

年配者の方には長い人生背景の中で特別な思いで見られているにちがいない。

こちらの高齢者のグループも介護施設のマイクロバスに乗って梅を見に来られていた。

施設の方々はコロナ禍の中で巣ごもり生活を強いられ、

さぞストレスがうっ積されているにちがいない。

この紅白の梅は白い梅が雪月花、紅の梅が大盃と名付けられているようだ。

少年と梅の花。

この少年は幾度も幾度も梅の枝を鼻元に引き寄せ、

香りを楽しんでいたのが印象的であった。

梅林内の賑わい風景。

この梅は老木らしい幹で樹に風格を感じる。

当公園がオープンして約40年も経っているのにここに来たのは初めて。

しかもその存在すら詳しく知らなかった。

来てみればなかなか雄大で美しい造形美の空間が広がっている。

基本的な機能は芝川の調整池ということだが、

かなりよく考えられていて設計造成されたという印象を持った。

管理事務所から菖蒲田を過ぎ一段下がった芝生の広場の中心に

まるで城の石垣のようなものがある。

又、その上には桜の木が植えられ、

花が咲いた時はさぞ素晴らしい空間になっていることだろう。

今は枯れた畑のようだが、6月中旬頃になるとこの田んぼには

沢山の菖蒲の花が咲く菖蒲田になっている。

その中をジグザグの木道が横切り、子供にとっては楽しい遊具の道となっているようだ。

今、都会に無くなってしまった土の道。

土の感触、においは人間にとって言い知れぬ気持ち良さがある。

人は土から生まれ土に帰るというが、ここには都会で忘れていた人間の原点がある。

そして土の広場に一本、子供達が登りたくなるような枝振りの大木があった。

昔、子供の頃、ターザンごっこと称して木登りをして、

子供の夢想の世界に浸っていた頃を思い出してしまった。

自然に触れるとはこういうことだ。

別所沼のようにメタセコイアの並木道はよく見るが、

ここのように広々とした芝生地にポツンポツンと茂ったメタセコイアの大木は

また違った美しい造形美の空間を作り上げている。

もともとこの公園は芝川沿いの調節池として造られた。

この公園の素晴らしさは、ただ築造されただけでなく

この瓢箪池をはじめ深い遊水地の底の方まで遊歩道を作り、

庭エリアに広い芝生広場を設けているのが素敵な空間となっている。

又、遠くに目を向けると、さいたま新都心の超高層ビルが見え、

まさに「とかいなか」風景だ。

瓢箪池の中にはご覧のような飛び石があり、

親子連れ、特に父親と娘のファミリーが渡っている姿はホノボノした空気が漂い

アットホームな風情を感じる。

一方、瓢箪池ではこの様に釣り竿を垂れている人が多勢いて、

これまた一つの風景を作り出している。

そういえば本当に久しく釣りなんてしていないナー。

こちらはアマチュアカメラマンが池の縁でのんびり横になって

時の流れに身を任せている一枚。

池の周りは陽だまりになって気持ち良さそ~。

池の周りに造られている中段の遊歩道。

ここは遊歩道が低・中・高と3段になっていてこれも素晴らしい造りだと思った。

大宮第二公園の隣には芝川が流れ、

その向こうにはさいたま市大宮体育館があり、

手前隣りには市営大和田公園があり、流れるプールなどの施設もある。

又、第二公園、第三公園には22面ものテニスコート、軟式野球場といった

スポーツ施設をはじめ、茶室や展示ギャラリーなど多数あり、

スポーツや文化を楽しめる施設が充実している。

一番高段の遊歩道は「香りロード」と名付けられ、

四季折々の花や木の香り等を見て触れて聴いて楽しむことができる。