宿泊している京都ブライトンホテルから歩いて約5分。
桜の名所として市民に愛されている京都御所御苑にはこの中立売御門から入った。
この門より一つ南に下った門が幕末・幕府軍と長州軍が武力衝突した
禁門の変の激戦地になった蛤御門がある。
御所内には御所の色々な地図、案内図があったが、
江戸時代(慶応年間)のこの地図が一番興味があったのでアップしました。
この図を見ると天皇が生活していた禁裏、大宮御所、仙洞御所を囲むように
宮家や公家の家があったのがわかる。
桂宮、有栖川宮、嘉陽宮、閑院宮の宮家、近衛殿、一篠殿、九篠殿、鷹司殿の公家などだ。
京都御苑は、京都御所、大宮・仙洞御所を囲む面積約65haの公園で
市民に広く開放された空間です。
東西約700m、南北約1,300mの広大な敷地には、
明治維新まで多くの宮家や公家の邸宅が立ち並んでいました。
京都御所には計6ヶ所の門が設置されている。
上のは宣秋門。
平安宮内裏外郭の西正門にあり、内郭の陰明門と相対する下のは清所門、
ここから御所への入口となっている。
門に立っているのは皇宮警察。
御苑中立売御門の北側に位置するまだ真新しい2019年1月にオープンした中立売休憩所。
御苑の木々に囲まれたまさに森の休憩所で東側のテラス席からは京都御苑が眺められ
京の歴史に思いを馳せながらゆったりした時間を過ごすことができる。
ここはレストラン・売店コーナー・情報発信コーナーが設けられ、無料休憩スペースとして利用できる。
日本ではなかなか見られない広い広い広場というか道路というか、
その中を皇宮警察のパトカーがゆっくり警備していた。
この道路(?)の真ん中に1本道路標識が忽然と立っていた。
こんな光景は他では見られない珍百景だ。
京都御所の敷地を囲む築地塀は5本の筋の入った格式の高いもの。
ここは違うが、鬼門にあたる敷地の北東角では敷地塀がそこだけ凹んでおり、
「猿ヶ辻」と称されている。
この敷地塀の内側が1331年から1869年(明治2年)までの間、
内裏(天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所で現在の皇居とほぼ同義)。
京都御苑の最北部に残るかつての五摂家の一つ、
近衛家の屋敷のあった近衛邸跡庭園が桜の名所になっている。
この庭園でのびのびとヨガ体操をやっていた女性グループ。
さぞ桜の下での運動は気持ちが良いだろう。
御苑の桜は最も早く咲き始める桜で有名で約60本ほどある。
又、往時から糸桜の名所としても知られた近衛邸跡のしだれ桜があるが、
行ったこの日は大方、花の盛りは過ぎていたのはちょっと残念であった。
この松の大木の幹を見て下さい。
これだけを見るととても松の木には見えず他の動物、恐竜的な生物に見えてしまったのは自分だけか。
近衛邸からちょっと離れたこの一角のしだれ桜は丁度見頃を迎えていた。
この周りで盛んにシャッターを切っていたカメラマンが
いつまでもファインダーを向けている気持ちはよくわかる。
それ程、日本人には桜は怪しい魔力を持っているような気がする。
平安京内裏の外郭門の1つ、北門にある朔平門(さくへいもん)。
明治2年(1869年)明治天皇の東京遷幸(遷都)に伴って多くの公家達も東京に移住し、
御所周辺は急速に荒廃した。
明治10年(1877年)京都に還幸された天皇は、その荒れた様を深く哀しまれ、
御所保存・旧観維持の御沙汰を下された。
この御沙汰を受けて「大内保存事業」が進められ
皇室苑地として整備されたのが現在の京都御苑の始まりです。
大内保存事業から140年以上の年月が経ち、
約5万本の樹木によって京都御苑は市街地の中の緑ゆたかな空間になっている。
苑内の自然環境が優れていることから、オオタカの餌場、
アオバズクの養殖場となるなど、100種以上の野鳥が見られる。
京都御苑には外郭九門といわれる御門が9つある。
北側から時計回りで今出川御門、石薬師御門、清和院御門、寺町御門、
堺町御門、下立売御門、蛤御門、それから入苑した中立売御門、そしてこの乾御門。
この門から出て、次の桜名所の妙顕寺へ。