

JR山手線「駒込駅」(南口)から徒歩7分の所に、国指定・特別名勝の六義園がある。
和歌の心息づく雅なこの大名公園は昭和13年10月16日開園した。
現在みどりの日(5月4日)と都民の日(10月1日)が無料で公開されている。

六義園の名は、中国の詩の分類法(詩の六義)にならった古今集の序にある和歌の分類の六体
(そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌)に由来したものです。
柳沢吉保自身の撰した「六義園記」では、日本風に「むくさのその」と呼んでいましたが、
現在では漢音読みで「六義」を「りくぎ」と読む習わしから「りくぎえん」と読むそうです。
尚、六義園の開園面積はなんと87,809.41㎡(26,609坪)もあります。
あまりの広さにびっくりです。

こちらの門は駒込駅から徒歩2分という近さの「染井門」。
本郷通りに面して車からよく見たのはこちらの門でした。
現在はコロナ関係で閉門となっています。

こちらでは東洋文庫ミュージアム(後日アップします)との共同チケットも販売されています。
六義園と東洋文庫は共に三菱第三代社長の岩崎久彌より寄付されたもので、
元々は同じ敷地内にあり、歴史を共有していたという関係です。
東洋文庫は六義園正門から徒歩1分。
三菱創業150周年記念として「岩崎文庫の名品」が開催されていた。

六義園では五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった、川越藩主・柳沢吉保が元禄15(1702)年に
築園した和歌の趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園です。
当園は池をめぐる園路を歩きながら移り変わる景色を楽しめる繊細で温和な日本庭園です。
園内には和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝、中国古典の景観が八十八境として映し出されています。


江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもので、明治に入って三菱の創業者である岩崎彌太郎の別邸となった。
その後、昭和13(1938)年に岩崎家より東京市(都)に寄与され、
昭和28(1953)年に国の特別名勝に指定された貴重な文化財です。

岩崎家は多くの貴重な庭園文化財を残している。
1つはご当地の六義園(岩崎家駒込別邸)と東洋文庫、旧岩崎邸庭園(岩崎家芽町本邸)、
殿ヶ谷戸庭園(岩崎家国分寺別邸)、清澄庭園(岩崎家深川別邸)、三菱史料館、
三菱一号館美術館、国際文化会館(岩崎小彌太鳥居坂本邸)、静嘉堂文庫・美術館などだ。


庭園の中心に入るための内庭大門と宣森亭、心泉亭方面へ行く門。
それぞれ大小はあるがとても渋い造りだ。
尚、当園ではボランティアの庭園ガイドが土・日・祝、午前11時と午後2時の1日2回、
無料で園内を散策しながら六義園の見どころ、日本庭園の話、歴史の話、和歌の話などを聞くことができる。
(所要時間 約60分)

内庭大門を入ると目の前の広場に有名なシダレザクラの大木が迫ってくる。
このサクラは昭和30年代に東京都によって植栽されたもので、
樹齢は70年程だが高さ15m、幅約20mと大きく形もよく成長している。

シダレザクラの隣では都立園芸高校による菊花展が行われていた。
高校の古典園芸で菊を専門にした生徒さんの懸崖菊だそうです。

宝永3年(1706年)10月、霊元上皇が六義園の景勝地「十二境八景」を選び、
加えて延臣たちに命じて和歌を詠ませた巻物が柳沢吉保に下賜された。
一幕臣の屋敷の庭園に上皇を通じて和歌が贈られるのは極めて希なことでした。
この碑はそんな経緯について記した「新脩六義園碑」。






大泉水の池畔の名のひとつ出汐湊。
眺望に恵まれ、右手に中の島、左手に蓬菜島、対岸に吹上浜が見える。
中の島にある築山は、古くは女性のことを妹、男性のことを背と呼び、
この中の島は男女の間柄を表現している。
イザナギ、イザナミの故事にちなむ「せきれい石」もある。
中の島に架かる橋は田鶴橋で中の島には通常入ることはできない。

庭内の88ヶ所の景勝地(六義園八十八境)にはそれぞれ石柱が建てられていたが、
現在では32ヶ所のみが残っている。
その内の1つ指南岡(しるべのおか)が、くずし字で「志るへの岡」に成った。

これは千鳥橋から見た滝見茶屋。
あずまやの横を渓流が走り、岩の間から落ちて水しぶきをあげている。
あずまやからは滝や石組などの景観や水音が楽しめる。

時雨岡辺りから対岸の紀川の辺りを撮る。


園内はほぼ半周すると一服休憩できる吹上茶屋がある。
ここでは抹茶セット(上生菓子付)620円をのんびり味わうことができる。


六義園には本当に久し振りに来たが今回園内をじっくり歩いてみて改めてこんなに広いとは思わなかった。
吹上茶屋を過ぎてつつじ茶屋へ向かう途中は
一瞬ここが東京の真ん中だということを忘れる程、森の中を歩いているようだった。



このつつじ茶屋は明治年間につつじの古木材を用いて建てられたもので、
戦災をまぬがれ、現代にその希少な姿を伝えている。
この時期はまだ早かったがモミジの紅葉は見事だそうです。



つつじ茶屋を過ぎると増々自然の姿の密度が濃くなってくる。
大きな樹木の間から差してくる木漏れ日がモミジの葉に当たり、
これが紅葉したらうっとりする程美しくなるにちがいない。
山陰橋から見た風景です。


そんな中、蛛道の道を進んでいくと一部の植物が(漆の木か?)紅葉をはじめたものもあり、
思わずパチリしてしまった。
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ちょっと小高い芦辺茶屋跡で休憩タイム。
眼下に渡目橋が眺められた。
この橋は「和歌の浦 蘆辺の田のなくこゑに 夜渡る月の影ぞさびしき」の歌から名付けられた石の橋。
2枚の大岩の重量感があたりの雰囲気を引き締めている。

園内で一番高い築山で標高は35m。
いただきは「富士見山」と呼ばれ、そこからは素晴らしい展望が開けている。
紀州(現在の和歌山)にある藤代峠から名付けられた。


六義園には多くのフォトスポットがある。
スミダマンのブログ写真も絞りに絞っても57枚もの大作になってしまった。
園内には本格的なカメラを持って写真を撮っている人が結構いたのは納得だ。





園内には枝振りの良い松、樹齢が相当たった太い幹の松、そこにこも巻きをして風情を高めている。
一本の松のこも巻きには縄に花模様の飾り結び目を施しているものまである。
現在当園を管理しているのは公益財団法人・東京都公園協会が指定管理者となっている。



都会の真ん中には植物以外に野鳥を多く見かけてまだ自然が残されているナと感じる。蓬菜島にいた白鷺
山陰橋の所で発見したカワセミ。
この鳥は動きが早くとても撮りづらい鳥だが、今回上手に撮れてうれしい。
そしてカワセミの近くで全く固まって動かない別の種類の鷺。
逆にこれは撮りやすかった。

出入口の近くで店を構えている休憩所兼売店。
ここでは甘酒、おしるこ、あんみつ、みそおでんなどが味わえる。
又、おみやげ物も色々用意されていた。

出口の風景。


正門の近くの一部にはレンガを使用した外周塀の一部が保存されている。
これ以外は比較的新しいレンガタイルで膨大な距離の塀で六義園を囲っている。

文京区内の名所が書かれたわかりやすい地図。