思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

静かな時間

2008年06月19日 | 哲学

 きのうの通勤時間に、国営あづみの公園から撮った常念岳です。
 
 山肌の雪解けの速さは、夏が近づくにつれ加速されるのが分かります。
 

 ちょうどあぜ道に、田の水を見に来られた農家の姿が見えました。

 車を止め、しばらく風景を見ていました。静かに時間が流れていきます。


エピクロスな朝

2008年06月17日 | 哲学

 田舎に住んでいると食事の食材の多くが地元産で、食料依存の問題意識が薄れてしまいますが、考える必要性が叫ばれるこのごろです。

 エピクロスは古代ギリシャの哲学者の中では珍しく、作物をつくりながら暮らした哲学者であったと、内山節さんの「哲学の冒険(平凡社ライブラリー)」の中に書かれていました。

 「全体の自然は物体と空虚とである」ということばも紹介されていて、内山さんも農業をなさるのは似ているところがあるのかと思いました。

 今日は暑くなりそうです。

 美ヶ原の鉄塔群がよく見える朝です。


月曜日の朝

2008年06月16日 | 仏教
 月曜の朝があけた。いつもの景色で変わらないのだが、変わってあるのが私の心です。今日から仕事が始まる。サラリーマンですから当然ですが、気持ちは思いのが正直なところです。

 最近親鸞さんに関係する本を何冊か読んでいます。哲学者あり、思想家あり、宗教学者ありそして専門の僧侶さんとそ、れぞれのお立場からの書き方となっています。

 さらに、どちらかというと素人さんの本もあるわけで、そのような本はブックオフが入手しやすく、最近入手した本で親鸞さん関係では、「親鸞の瞑想」という則竹和興という方が書いた本があります。

 私的感想として面白い。思考の視点が面白い。

 ですが、この人に関しては、検索ドライバーで探すも古本の関係だけで、ブログ等で語る人は皆無です。

 不思議な本で、不思議な人だ。

仏道とは実体論

2008年06月15日 | 仏教

 
 さて将来は現在の内容としてのみ存在し、過去が無に等しいならば、実在の意味において存在するのは、ただ現在のみである。しかるに、その現在は、単独唯一の存在となるとともに、無に帰するのである。もっとも主体が、したがって現在が存在している限り、他者もそれの対手としていつも存在している。主体は客体を他者としていつも前におかねばならず、いつも可能的自己へと向わねばならぬ。しかもその自己は、実現されることによって壊滅に入る、皮肉なる運命の下に立つのである。かくして「時」は、一の可能性より他のそれへ、一の形相より他のそれへと、いはばいつも自己の幻影を追いつつ、生と滅とが窮みなく交替する果てし無き帰無の旅路を、急ぐ旅人の姿を示すであろう。要するに、純粋の人間的文化的生の姿として、「時」は将来より過去への方向を取る。否そればかりでない、将来は実は現在である故、過去へと向う現在、無へ向う有、こそ時の本質的性格である。 (「時と永遠」波多野精一全集第四巻P261から抜粋)  

 人間というものは時の上にあることだ。過去というものがあって私というものがあるのだ。過去が現存しているという事が又その人の未来を構成しているのだ。  
 この文章は、昭和2年2月9日付けの西田幾多郎が友人山本良吉宛に出した手紙に書かれている。

 以上は、昨年の8月4日のブログで「時と永遠」で引用させてもらった、京大の波多野先生とと西田先生のお考えです。 

 朝のジョギングをしていると「現在・今・瞬間」の現前の「ある」姿をみる。 実体とはそもそも無いんだといったところで、現実は間違いなくある。秋葉原の殺人事件、東北の地震があるようにそれは現実である。 

 悲しみは極限に至る。当事者には誰でもがなりえるが、現実は、そうではない。その時、その場所にいたものに起き、関係者に起きる。
 これが何百年も昔ならその他の人々にとっては、遙か彼方の出来事で、起きたことさえ知らないで一生を終わる人もいる。が現代社会では瞬時に知りえる。同時共同感覚の中に落とされる。 

 このような社会は、ある面では末法的な社会と思ったころと相似している。したがって現実を離れた理想主義に、夢物語に期待してしまう。 

 説一切有部がいうところの実在はある面ではその通りであると思う。「仏道とは実体論」と西嶋老師がいわれていたが、いわゆる仏教は現実と、どのように対するか私たちに教えてくれる。 

 「大地有情同時成道」「山川草木悉皆成仏」「諸法実相」これらは全て現実肯定の教えであるのですが、分別の塊である私は永遠という空想の時間の中で見てしまい、来たらざる未来に惑わされ、過ぎ去った過去に引きずられ、また自分の弱さで悪人にもなってしまいます。 

 世の中は、全てのつながり以外には無い。
 全てのつながりが現実を構成している「空即是色」。

 写真はブルーベリーの現況


源(みなもと)

2008年06月14日 | 古代精神史
 今はすっかり晴れているが、けさの美ヶ原の上空は雲が横たわっていた。
 
 空に浮かぶ雲の遙か彼方には、太陽が昇りはじめている。そんな早朝の風景である。
 
 古代人は、空(そら)の久しい彼方(かなた)に天(あま)があるとした。天からは雨(あめ)が降り、川となって海(あま)へ流れる。
 
 巨人は、天空の水をすくい川に流す。というのが古典に表記された古代人のもの的な自然観である。水は、ビーナスの姿に見るように東西を問わず命の源であるという。
 
 そもそも「みなもと」ということばは、「み(水)」+「な(の)」+「もと(本)」で、「みずのもと」、水源を意味します。そのことばを「万物の源」などと使うことからも、古代人が水源というものに対し、どれほど神秘を感じていたかということがわかります。
 生命の死とは、枯れることでした。「みずみずしい」身も心も「みず」が乏しくなると萎(しな)びて枯れて、魂が離れていく。水はまさに命の源でした。
(新潮文庫 中西進著「ひらがなでよめばわかる日本語」から)

気配り

2008年06月08日 | 仏教

 写真は、一級河川穂高川に架かる「大王橋」です。穂高川は別名「中房川」とも呼ばれ、進行方向を進むと常念岳登山口までいくことが出来ます。
 この道が私のジョギングコースで、道路左側をひたすら「般若心経」を唱えながら進む。

 路側帯の白線のあるところはそこを踏みながら進み、間もなく坂道になるのですが、ペースは一定に保ちながら進むのが習慣になってします。
 松本市の蟻ヶ崎に住んでいるころは、アルプス公園がそのコースでしたので、坂道ではきついものがありましたが、安曇野の宮城周辺はさほどきつい坂はなく、ジョギングには最適です。

 真言宗の二ヶ所の寺で本格的に「般若心経」をさせていただいているので、90分も走ると唱える数は相当なものになります。
 ご覧になるように常にカメラを持参し、何気ない風景を撮る余裕で走っています。早朝から心の時代で千日回峰が放送されていましたが、私はただ若いころから走るのが習慣になっていて、もう30年以上にもなります。

 昔NHKで歩き三昧のお遍路さんの放送(この人は指名手配でした)があり、それを見て走り三昧もあっていいだろうと、走ることのみに集中する方法で今日まで来ています。

 好みの番組ではないのですが、昨夜は好きなアナウンサーがゲスト出演していたので、「・・・の泉」を見ました。
 このアナウンサーは好きな言葉ということで「今日は昨日の続き」という言葉を話されていました。過去に引きずられての今日という意味ではなく、「今日」という日の大切さを述べていたと私は受け止めました。「一夜賢者の偈」「吉祥なる一夜」の原始仏教典の話や「人生の贈り物」の絵本にも通じる話です。

 それにしても金髪のおじさんや太目のおじさんの語りは、相も変わらずお釈迦さまの「無記」の事柄をあるがごとくに話されていました。
 昔ならこのような人たちある一定のコロニーを形成し、必要があればこちらから出かけていくというのが社会の慣わしでしたが、今では放送番組という一方的な方法で日本社会に存在しているわけです。

 祟りを信じたり、背後霊を信じたり、憑依霊を信じたりが個々のうちに留まればよいのですが、共通観念として集団に顕在化してくると排他性との関係が生じてきます。

 ことばを変えると自然律の根底にある「気配」的な「なにもの」という認識ではなく、「霊、魂、あの世、地獄」を事実的存在、名詞的な形で物的な存在として心に刻んだ状態にあることが日本人に必要なのだろうかと疑問に思うわけです。
 教祖が神と名乗った時、宗祖の教えを絶対とした時の排他性のすごさは日本のみならず世界にあふれています。

 中国のポン・フェイ博士の「『ちょっとは』とは、ちょっと」という日本語の不思議を書いた本(講談社)がある。
 この本の中に山折哲雄先生との対談が掲載されていて、次のような会話はあります。

彭飛 日本語を研究していると、日本人が直言をはばかるのは、どうも宗教との関係があるのではと考えています。

山折教授 仏教が入ってくる以前、日本には「神々が幸(さきは)ふ国」と言われていました。日本の神々の特徴は目に見えないことで、どこか森の彼方、山の上に存在し、それでいて自分のそばにいつ漂着するかわからない。
 西行が伊勢参詣の折に詠んだ「何事におはしますかは知らねども、忝(かたじけな)さに涙こぼれる」の歌にそれはよく表れています。
 「何事のおはしますかは」と言っておいて、神の存在をそれとして直接言挙(ことあ)げすることを嫌う。また姿が見えないから、それもできない。
 キリスト教に酔うな「一神教」的風土では、神について直接話法で語りかける傾向があるのに対して、日本の場合は「多神教」的な間接話法を取っていると言ってよいでしょう。目に見えないものを直接言うにあたっても、どうしてもどうしても婉曲的になる。それは名前を言うことを嫌う文化でもあるのです。名前を言うと、その人の魂を汚したことになる。だから「もの」という抽象的なことばで代用する。
 お寺参りのことを「ものもうで」と言うし、「もののけ」「ものいみ」などのことばも、直接的な表現を回避した言い方になっています。

彭飛 「これ」「それ」などの「こそあど」は、外国人にとって理解するのがとてもむずかしいのですが、「こそあど」も対象を直接名指ししないという文化ですね。また、「~ということで」とよく言いますが、場合によってはこれで話を終わろうとしていることを意味する。ファンタジーな表現で、結論を出すよりも相手に悟らせるというか・・・・・。

山折教授 
その基本にあるのは「気配」という文化です。あらかじめ気配を察知して配慮する。「心配り」も「気配り」も皆「気配」相手の動作や心の動きに対しても非常に敏感だし、自分の思いもことばで知らせるのではなく、「気配」で知らせる。そのほうが優雅であるという考えなのでしょう。「気配」の文化と言ってもよい。このことは私よりもあなたの方がよく研究していることで、もうすでに「彭飛的なことば論」の中に書いていますね。

 この中で語られる山折先生の話は興味深い。


安曇野の山々と川

2008年06月08日 | つれづれ記
 晴れていれば安曇野の山々は、このように見える。中央が有明山で、左の残雪がある山が、蝶ヶ岳。目を右に向け見える残雪の山が、燕岳(つばくろ)である。

 残雪の山は、2000メートル以上であり残雪は夏まで残る。

 手前の川は穂高川。北アルプスの雪解け水は、上高地からくる梓川。木曽方面から来る奈良井川と合流。

 奈良井川には、松本平の田川や薄川側、女鳥羽川が流れ込んでいる。これらの全ての川が大町・白馬方面から流れる高瀬川と合流し犀川になる。

 犀川はそして善光寺平へと流れる。

安曇野のそば畑

2008年06月08日 | つれづれ記
 日本そばの原料のほとんどは、中国から輸入されているという話を聞くが、安曇野市の山麓線、サラダ街道には、地元の粉(地粉)にこだわる蕎麦屋さんが多い。

 朝のジョギングコースである山麓線を走ると、写真のようなそば畑に出会う。
 
 遠くの背景は、旧東筑摩明科町方面ですが、降水確率が高い今日は霞が濃くまでは見えなく残念。

真っ当に生きるしあわせ

2008年06月07日 | こころの時代

  「思考の補助線」を読みつつあります。茂木健一郎先生の本(ちくま新書)で、前々から読もうと思っていましたが、書評のブログを見て読まねばと思い購入しました。
 茂木先生からは、いろいろな思考の視点をこれまでいただいてきましたが、今回もいきなり序文から新しき視点を与えられました。

 「もともと、情熱(passion)という言葉は、キリストの「受難」(passion)と同じ語源を持つ。この世で難を受けるからこそ、困ったことがあるからこそ、情熱は生まれる。誰だって、生きていくうえでくるしいことや悲しいことくらいある。だからこそ、生きるエネルギーも湧いてくるのである。親しみやすい演歌の世界からバッハのマタイ受難曲の至高の芸術性まで、情熱は受難によってこそ貫かれているのである。

 「そうなんだよなあ」と思う。分別の真っ只中に生きている人間だからこそ時として悪人であり、ものにこだわり、対立し「困った困った」と嘆き苦しみ生きている。

 毎日を生きることは、悪人のままに分別の中で生きていることで、従って「受難」がおとずれる。悪人といっても「人を殺し、人をだます」などの極端な状態ではないが、どちらにしろ「そのような方向に陥りやすい」その中に我々は「ある」ということを意味しています。

 従ってそのような我々であるからこそ「信仰心」や「宗教心」を持つようになるわけです。親鸞さんの阿弥陀さんへの「情熱」はそのようなことに起因するわけで親鸞さんは本当に自分が「悪人」と思ったのであり、そのようにいう私自身も「悪人」そのものだと思う。

 「真っ当に生きるしあわせ」というエッセイがある。シンガーソングライターのみなみ・らんぼうさんが「本当の時代(19年6月)」に書かれた文章である。

 映画「男はつらいよ」の何作目だか忘れてしまったがで始まる話です。

 寅さんの妹さくらの一人息子満男が彼女にふられ、大学受験にも落ちるというダブルショックの中で寅さんと江戸川縁いを歩きながら寅さんに満男はこう訊ねる。
 「伯父さん。人間どうして生きなくちゃならないんだ」と。すると寅さんはいつもの明るい調子で答えます。
 「バカだなお前、大学に入ろうとする人間がそんなことも分からないのか?」
とまずくさしてから、
 「今まで生きていて良かったと思ったことがあるだろう。そんなときのために生きるんだよ」
と答える。

 このような短い会話ですが、みなみらんぼうさんは「ゾクッと来た。」と書かれています。わたしもこの文章を読んで、また情景を想像しながらゾクッと来ました。
 さらにらんぼうさんの語ります。

 僕らは短い期間で大金持ちになったり、名声を得たりした人を幾人も知っている。そうした人を見ると、成功に釣り合いがとれるほどしあわせかと言うと、そうでないことも実は知っている。拍子木を叩いて、町内の安寧を、守る方が、億万長者よりもしあわせだと言うのは皮肉でもなんでもない。本当だ。
 だから僕は真っ当に生きる。しあわせの方向が分からなくなったら寅さんに聞けばよい。

と。

 真夜中にこのような文章を書いているのは、普通ではないのですが、徹夜仕事で昼間から眠りに入り気がついたらこんな時間になってしまいました。
 徹夜中は「受難」の時でしたが今は至福の一時です。

 北アルプスから流れる雪解けの水は、たくさんの沢を作り川を作ります。その川はまた何本かの大きな川を作り日本海に流れていきます。今日の写真は安曇野市と松川村の境を流れる川に架かる「ねずみあな」という橋から望む蝶ヶ岳です。

 最後にらんぼうさんのこのエッセイには「夢がモノであるうちは、しあわせは夢物語であろう。」という言葉があります。ここでいう「モノ」とは、お金で買える「物的」なことを言っています。

 本当の「もの」をつかめたとき、もとめるときそれが幸せなんだろうと思います。
                       

 


気配

2008年06月01日 | 仏教
 読売新聞は、5月30日の紙面で世論調査結果からの「日本人の宗教観」の特集を組んだ。

 世論調査によると宗教を信じると答えた人が「26%」、信じていないと答えた人は「72%」ということである。また、前世、守護霊、オーラなどの目に見えない見えない霊的なものとのつながりによって心の安らぎを得るいわゆる「スピリチュアル」なものに「ひかれる」と答えた人は「21%」、「ひかれない」と答えた人は「75%」であったそうである。

 その一方で「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」と答えた人が「56%」、「ない」と答えた人は「39%」であったそうである。

 このことから思うに、今の日本人は、森羅万象、山川草木など自然というものの中に、スピリチュアルな目には見えないが概念的に名詞化され、「物的」に存在するものと認める人よりも、「はたらき、関係、つながり」という感覚的掌握で「なにものか」を感じる人が多いようである。

 さらに今回の調査項目の中に「先祖を慕う気持ちを持っていますか」という質問があり、それに対し「持っている」と答えた人は「94%」、「持っていない」と答えた人は「4.5%」であったようである。

 この特集では、宗教学者の山折哲雄先生が「自然の中 感じる先祖の気配」と題して解説をしている。

 逆説的な解釈だと思うが山折先生は、解説の最後に「今回の調査結果からは、日本人の高い宗教心、信仰心がうかがえるといってよいのではないか。」と世論調査に結論付をしている。

 なぜ「気配」を宗教心や信仰心という概念で「物的」にみてしまうのであろうか。「気配(けはい)」は感覚的なものであり、主体の心とは異なるものではないだろうか。

 大野晋先生が「日本語に自然という漢語が入ってくるまでは、やまと言葉に自然に当たる言葉はなかった。なかったということは、自然という存在を一つの対象として意識しなかった。」旨をその著「日本語の文法を考える 岩波新書」で述べていたが、言葉を全て対象化される事的、物的なものにすると「気配」という言葉の本質は理解できない。

 大野晋先生は、また「日本語の水脈 日本語の年輪 第二部 新潮文庫」で次のように述べている。

 その一つ一つの言葉が言葉として人間社会に使われるには、手順がある。自然界の存在物や、自然界ではたらく作用や、あるいは人間の動作、ものごとの性質とか状態などを一つの対象として捉え、それを社会的な話題としようとするときに、人間はそれに名前を与える。名前が与えられて初めてそれは社会的な存在となる。その生まれた名前、つまり言葉がもし社会で真に必要な言葉であるなら、それはその社会に一つの位置を占め、生存権を得る。その社会の人々はその言葉を知り、理解しなければならない。

 この中に「一つの対象として捉え」という表現がある。従って言葉は、個々の独立した個物的な物になる。それでいいのであろうか。例えば、「みる」という日本語は、「見る、観る、診る、視る・・」としなければ意味が理解できず、上記でいう言葉ではないことになる。

 漢語が入る前、日本人は文脈や主体と客体の存在する空間の中に漂う気配で互いにコミュニケーションをとり生活していたのではないだろうか。だから日本語は、漢語を取り込んだ存在であっても日本語でありえたと思う。それが「気配(けはい)」にでていると思う。

 また、やまと言葉に言及してしまうが、「存在・時間」という言葉がある。これを哲学的に論じていくとわけのわからない話になるが、やまと言葉で枕詞の「ひさかたの」という言葉は、「時間の概念と距離の複合体」のような言葉で、日本人は感覚でつかむことが出来る。
 
 二元的な、分別的な志向性を持つと分けのわからないことになり、さらに「スピリチュアル」も「気配」も同じ意味にしか理解できなくなってしまうように思う。