前回のブロクに続き、今日は塩嶺御野立記念碑 についてです。
碑には、上記の漢文が書かれています。現代語訳が当日出席者に配られるわけですが、次のように訳されています。
聖賀駐蹕の記 大勲位 威仁親王篆額
中仙道の塩尻峠は景勝地である。富士山や甲州の山々が東南にそびえ、越中(富山県)の立山や信州の御岳の山々が西北に連なる。見下ろせば、すぐ下には諏訪湖が水をたたえ、鏡を磨いたような湖面をしている。宗良親王や武田信玄、小笠原長時、木曽義昌らの諸雄による塩尻峠での戦いの後が歴々と呼び起こされる。美しい風景は人の目を喜ばせる
明治十三年、天皇が甲州信州など方々を御巡幸した。六月二十四日、塩尻峠で足を止めて四方を眺め、その景色をお褒めになった。それ以来、地元の人は深くこれを光栄とし、その地を区切って柵を施して、少しもその境界を犯さずにいる。近頃、土地の年長者たちが相談して、碑を建てて後に伝えることとし、私にその文面を依頼した。ああ、天子の徳の高いことといったら山のようで、慈しみの心の深いことといったら湖のようだ。天皇のお籠がしばし休憩をとられた跡、その天皇を慕う気持ちは、子孫に忘れられぬようにと願う。この気持ちをもって公の仕え、国の恩に報いなさい。国運の隆興が今日あることは誠にもっともなことである。謹んで記す。
明治天皇の御巡幸が、明治13年(1880)6月24日で、建立されたのが、大正5年(1916)6月24日です。
これは滅多にお目にかかれない碑文です。
内容も解説いただき有り難いです。