思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

気配り

2008年06月08日 | 仏教

 写真は、一級河川穂高川に架かる「大王橋」です。穂高川は別名「中房川」とも呼ばれ、進行方向を進むと常念岳登山口までいくことが出来ます。
 この道が私のジョギングコースで、道路左側をひたすら「般若心経」を唱えながら進む。

 路側帯の白線のあるところはそこを踏みながら進み、間もなく坂道になるのですが、ペースは一定に保ちながら進むのが習慣になってします。
 松本市の蟻ヶ崎に住んでいるころは、アルプス公園がそのコースでしたので、坂道ではきついものがありましたが、安曇野の宮城周辺はさほどきつい坂はなく、ジョギングには最適です。

 真言宗の二ヶ所の寺で本格的に「般若心経」をさせていただいているので、90分も走ると唱える数は相当なものになります。
 ご覧になるように常にカメラを持参し、何気ない風景を撮る余裕で走っています。早朝から心の時代で千日回峰が放送されていましたが、私はただ若いころから走るのが習慣になっていて、もう30年以上にもなります。

 昔NHKで歩き三昧のお遍路さんの放送(この人は指名手配でした)があり、それを見て走り三昧もあっていいだろうと、走ることのみに集中する方法で今日まで来ています。

 好みの番組ではないのですが、昨夜は好きなアナウンサーがゲスト出演していたので、「・・・の泉」を見ました。
 このアナウンサーは好きな言葉ということで「今日は昨日の続き」という言葉を話されていました。過去に引きずられての今日という意味ではなく、「今日」という日の大切さを述べていたと私は受け止めました。「一夜賢者の偈」「吉祥なる一夜」の原始仏教典の話や「人生の贈り物」の絵本にも通じる話です。

 それにしても金髪のおじさんや太目のおじさんの語りは、相も変わらずお釈迦さまの「無記」の事柄をあるがごとくに話されていました。
 昔ならこのような人たちある一定のコロニーを形成し、必要があればこちらから出かけていくというのが社会の慣わしでしたが、今では放送番組という一方的な方法で日本社会に存在しているわけです。

 祟りを信じたり、背後霊を信じたり、憑依霊を信じたりが個々のうちに留まればよいのですが、共通観念として集団に顕在化してくると排他性との関係が生じてきます。

 ことばを変えると自然律の根底にある「気配」的な「なにもの」という認識ではなく、「霊、魂、あの世、地獄」を事実的存在、名詞的な形で物的な存在として心に刻んだ状態にあることが日本人に必要なのだろうかと疑問に思うわけです。
 教祖が神と名乗った時、宗祖の教えを絶対とした時の排他性のすごさは日本のみならず世界にあふれています。

 中国のポン・フェイ博士の「『ちょっとは』とは、ちょっと」という日本語の不思議を書いた本(講談社)がある。
 この本の中に山折哲雄先生との対談が掲載されていて、次のような会話はあります。

彭飛 日本語を研究していると、日本人が直言をはばかるのは、どうも宗教との関係があるのではと考えています。

山折教授 仏教が入ってくる以前、日本には「神々が幸(さきは)ふ国」と言われていました。日本の神々の特徴は目に見えないことで、どこか森の彼方、山の上に存在し、それでいて自分のそばにいつ漂着するかわからない。
 西行が伊勢参詣の折に詠んだ「何事におはしますかは知らねども、忝(かたじけな)さに涙こぼれる」の歌にそれはよく表れています。
 「何事のおはしますかは」と言っておいて、神の存在をそれとして直接言挙(ことあ)げすることを嫌う。また姿が見えないから、それもできない。
 キリスト教に酔うな「一神教」的風土では、神について直接話法で語りかける傾向があるのに対して、日本の場合は「多神教」的な間接話法を取っていると言ってよいでしょう。目に見えないものを直接言うにあたっても、どうしてもどうしても婉曲的になる。それは名前を言うことを嫌う文化でもあるのです。名前を言うと、その人の魂を汚したことになる。だから「もの」という抽象的なことばで代用する。
 お寺参りのことを「ものもうで」と言うし、「もののけ」「ものいみ」などのことばも、直接的な表現を回避した言い方になっています。

彭飛 「これ」「それ」などの「こそあど」は、外国人にとって理解するのがとてもむずかしいのですが、「こそあど」も対象を直接名指ししないという文化ですね。また、「~ということで」とよく言いますが、場合によってはこれで話を終わろうとしていることを意味する。ファンタジーな表現で、結論を出すよりも相手に悟らせるというか・・・・・。

山折教授 
その基本にあるのは「気配」という文化です。あらかじめ気配を察知して配慮する。「心配り」も「気配り」も皆「気配」相手の動作や心の動きに対しても非常に敏感だし、自分の思いもことばで知らせるのではなく、「気配」で知らせる。そのほうが優雅であるという考えなのでしょう。「気配」の文化と言ってもよい。このことは私よりもあなたの方がよく研究していることで、もうすでに「彭飛的なことば論」の中に書いていますね。

 この中で語られる山折先生の話は興味深い。


安曇野の山々と川

2008年06月08日 | つれづれ記
 晴れていれば安曇野の山々は、このように見える。中央が有明山で、左の残雪がある山が、蝶ヶ岳。目を右に向け見える残雪の山が、燕岳(つばくろ)である。

 残雪の山は、2000メートル以上であり残雪は夏まで残る。

 手前の川は穂高川。北アルプスの雪解け水は、上高地からくる梓川。木曽方面から来る奈良井川と合流。

 奈良井川には、松本平の田川や薄川側、女鳥羽川が流れ込んでいる。これらの全ての川が大町・白馬方面から流れる高瀬川と合流し犀川になる。

 犀川はそして善光寺平へと流れる。

安曇野のそば畑

2008年06月08日 | つれづれ記
 日本そばの原料のほとんどは、中国から輸入されているという話を聞くが、安曇野市の山麓線、サラダ街道には、地元の粉(地粉)にこだわる蕎麦屋さんが多い。

 朝のジョギングコースである山麓線を走ると、写真のようなそば畑に出会う。
 
 遠くの背景は、旧東筑摩明科町方面ですが、降水確率が高い今日は霞が濃くまでは見えなく残念。