第三章は心理学者斎藤環さんが選んだ名著は河合隼雄著『中空構造日本の深層』です。『中空構造日本の深層』についてははるか昔に紹介したように思いますが、昔から河合隼雄先生の著書に触れてきました。
第四章で登場する中沢新一さんが、その中で紹介している鈴木大拙著『日本の霊性』の思想は、この河合先生の日本の中空構造をさらに深めたものではないかと話されていましたが興味を持つ話です。
さて番組第三章冒頭斎藤さんが冒頭に「中が、がらんどうの構造をもっている」と話されましたが、この言葉は印象に残る言葉です。
スイスのユング研究所に学び心理療法を日本に根づかせた河合隼雄(1928~2007)。と紹介されましたが、個人的にユング心理学が好きで河合先生の影響によるものです。
しかし世の中にはトコトン、ユング心理学を嫌いな人がいるもので今回は、河合隼雄先生、中沢新一さん、そして斎藤環さんの思想を批判する方の話から紹介したいと思います。
サイトで調べると比較文学者、評論家、小説家という小谷野敦(こやのとん)が5年ほど前に書かれた『日本文化論のインチキ』(幻冬舎新書)にその批判が書かれています。
<『日本文化論のインチキ』(幻冬舎新書)>
学問的ではないユング心理学
ところでユング心理学というのは、神話学を普遍化するという面が大いにあって、だから河合(隼雄)は、物語の類型が顕著に現れる童話、ファンタジーなどを分析していたのだが、そこでたとえば、日本神話のスサノオについて、吉田敦彦(1934~、神話学、学習院大学教授)、湯浅泰雄(1925~2005、倫理学、筑波大学教授)と鼎談『日本神話の思想 スサノヲ論』(ミネルヴァ書房、1983)というのをやっている。吉田は、フランスの神話学者ジョルジュ・デュメジルに学んだまともな神話学者だが、湯浅は、元和辻哲郎系の哲学、倫理学者ながらユングにのめりこみ、とうとうオカルトになってしまった人である。
ここで、日本神話の中から、暴れ者のスサノオがとりあげられて、母の国へ帰りたいと泣き叫び、乱暴を働き、姉の神であるアマテラスが天岩戸に籠ってしまう原因を作るこの男神が「バイトゴゴ」と呼ばれる神話の類型である、と言われていて、それはいいのだが、その後、日本人にはスサノオ性というのがあって、それが太平洋戦争のような無謀な戦争を引き起こしたのだと言っている。
どう考えたって、この論理展開は荒唐無稽である。比較神話学の世界で、スサノオのような存在はほかにもいると言われているのに、なんでそれが日本人の特性になったり、果ては太平洋戦争になったりするのか。これは紛れもないトンデモ本で、しかしけっこう売れたらしく、あとで新装版も出ている。いくらユングにやられた二人が加わっているといっても、これはひどい。しかし、80年代というのは、中沢新一のオカルト本がブームになったり、浅田彰が、
トラウマはトラとウマに別れて走り去る、などという冗談を、大真面目に紹介していたり、そういう学問的トンデモの時代だったのである。
ユング心理学というのは、こんな風に、神話を調べて、それを無造作に現代人に当てはめたりするから、まともな学問扱いされないのだが、河合などは、82年に『中空構造日本の深層』(のち中公文庫)というのを出しているが、これは日本神話の三神、アマテラス、ツクヨミ、スサノオを取り出して、ツクヨミは正体がはっきりせず、中空構造であって、日本文化にはこの中空構造が深層としてあるというのだが、実にバカバカしい。こんな途方もないことを言っていて、大学者扱いされるのである(ただし、学問を重んじる日本学士院などでは、河合などは相手にされなかった)。
ユング心理学がオカルトであることは、リチャード・ノルの『ユング・カルトーーカリスマ的運動の起源』(月森左知、高田有現訳、新評論、1998)と『ユングという名の〈神〉ーー秘められた生と教義』(老松克博訳、新曜杜、1999)に詳しい。しかし後者の訳者・老松(1959~はユング心理学者、大阪大学人間科学研究科教授で、『スサノオ神話でよむ日本人ーー臨床神話学のこころみ』(講談杜選書メチェ、1999)などを出しているのだから、ノルの本を読んでも、ユングを信奉している人が反省するというわけではなさそうだ。
しかしユング心理学者が阪大教授をしているというのも、やはり阪大ならではで、京大にはれっきとした精神分析学者がいるし(新宮一成と立木康介)、関西はこういう非学問に甘いようだ。東大の心理学研究室や医学部には、私の知る限りフロイトや、ましてやユングをやっている人などいない。ただ文学研究者で、精神分析、特にラカンなどをやっている人はいる。
しかし東京だからといって油断はできない。「心理学者」というよりエッセイストの香山リカは、立教大学現代心理学部教授だし、明治大学文学部には、歴然たるオカルトであるトランスパーソナル心理学を専攻する諸富祥彦がいる。もちろん、多摩美大には、オカルトブームの帝王とも言うべき中沢新一がいるし、亜インテリに人気のある茂木健一郎なる「脳科学者」もオカルトだし、その茂木を「擬似科学」と批判している斎藤環も、フロイト派だから、学問的とは言えない。
断っておくが、書店へ行って『対人関係の心理学』とか『恋愛の心理学』とかいう本がたくさんあっても、それらはみな「通俗心理学」であって、学問としての心理学ではない。東大の心理学研究室でやっているのは、そんな大衆の興味などまったく引かないような、知覚のメカニズムの実証的、実験的、科学的研究である。
もちろん岸田秀や小倉千加子のように、そんな心理学などちっとも面白くない、と思うのは自由だし(ただし小倉は神戸大学で医学博士号をとっている)、たとえば河合隼雄が「箱庭療法」の第一人者だといわれたように、科学性には乏しくても、セラピストやカウンセラーの存在が無意味だというわけではない。誰にも言えない悩みを抱えている患者の話を聞いてあげるだけでも意味があるし、実際には家族に問題があるのに、そのことに気がついていない患者に、それを気づかせたり汁なら、科学性が乏しくとも、いいカウンセラーだと言えよう。いわば、職人なのである。
近代になっても、人はなかなか非科学的な迷信とは手を切れなかった。だから今では、大学で博士号をとった女性が、鏡リュウジのオカルトを信奉していたりするが、それは、若者がダメになったからではなくて、そういう若者までが博士号をとるようになった、というのが正しいのである。
東北大の工学系大学院を出た後藤和智は、『おまえが若者を語るな!』(角川oneテーマ21、2008)、宮台真司、香山リカらの「俗流若者論」を批判したが、論旨はおおむね正しいとしても、やや倫理的な怒りが前面に出ているのは、営業戦略だろう。若者批判であろうが礼賛であろうが、学問としてダメなものはダメなのである。そういう意味では、後藤と共著を出した東大教授の本田由紀の論にも、おかしな所はある。
(同書p37~p41から)
以上の長い引用になりましたが、中に書かれている、
「日本神話の中から、暴れ者のスサノオがとりあげられて、母の国へ帰りたいと泣き叫び、乱暴を働き、姉の神であるアマテラスが天岩戸に籠ってしまう原因を作るこの男神が「バイトゴゴ」と呼ばれる神話の類型である、と言われていて、それはいいのだが、その後、日本人にはスサノオ性というのがあって、それが太平洋戦争のような無謀な戦争を引き起こしたのだと言っている。」
「日本神話の三神、アマテラス、ツクヨミ、スサノオを取り出して、ツクヨミは正体がはっきりせず、中空構造であって、日本文化にはこの中空構造が深層としてあるというのだが、実にバカバカしい。」
は、第三章を反義的によく語っていると思うのです。ある人にはそう見えるし、ある人には正反対に見える。如実に現われている、ありのままの事実です。
私がそう思うだけの話ですが、ある意味第四章の「日本の根源にあるもの」人類学者 中沢新一さんが選んだ名著鈴木大拙著『日本的霊性』から見えてくる「日本人論=無分別の活用」にも複雑に絡んでくる話しです。
日本神話から日本人の精神と社会の特徴を読み解いていく、そこに河合先生は中空構造を見出してゆくのですが、「心と神話には関係があるのか」という竹内陶子アナの問がありましたが、実にいい疑問です。
「想像力に形を与える」それが神話・物語の役割
「そこにはフィクションかも知れないが普遍的な構造を持っていて現代の我々にも連綿として受け継がれているもの。」
「神話の構造を分析すると現代日本の国民のあり方にもかなり大きなヒントがあるかもしれない」
と斎藤さんは語り、古事記の神の話に入ります。
『古事記』という書物は本居宣長が『古事記伝』という形にするまでは、注目された神話ではありませんが個人的に、郷土史研究や古神道、民間信仰、また各地に残された神社の祭神研究をする中で大いに日本人の精神の形成、思想の形成に係わる書物だと思います。
河合先生のこの『中空構造日本の深層』も当初から読ませていただき私自身の思想形成にも大きな影響を与えていると思っています。今回この番組をきっかけに『中空構造日本の深層』を再読してますとさらなる学びがありました。1月早々にとてもいい番組に出会ったものです。
<『古事記』神話における中空構造>
上記のパネルで語られる三神構造、松岡正剛さんの話しの後に中沢さんが、
【中沢新一】二元論だけでは世界はできませんよ、その奥にあるものがあって、だから三項必要でなんで、宇宙を作るには・・・。リアルに出ているのは天地、海彦山彦なのだけれど本当の根元は、バーチャル、日本の神話思考は。
【伊集院光】それを白黒で言うと「灰色なのか?」、白黒で言うと「無、無色のことなのか?」・・・。
【中沢新一】あらゆる色を生みだすものですね。
【松岡正剛】西洋の神は「在る」神だけれど日本の神は「成る」神で真ん中の神は、無いわけでもない。
【斎藤環】 作家の中上健次が「うつほ」という概念にこだわって『宇津保物語』という日本最古の長編小説があるわけですが、樹の「空(うろ)」の話です。その中でことなどを奏でる話で、それに近い話かと思う。中上さんは「うつほ」とはいろいろなバイブレーションがこもる場所だと言っている。中空だが色々なものが生成されてくる場所なのです。そういった意味では全くの空っぽではない、というところが一つの特徴といえるかもしれません。
【ナレーション】日本神話の中心は空であり無である。このことは、それ以後発展してきた日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプとなっていると考えられる。
短い4人の方々の対話の中に見えてくるのが正反合の弁証法の世界。
【斎藤環】 日本は三項がバラバラをとりながら均衡して進展してきている。
【伊集院光】二つだとどっちかがどっちかを亡ぼす形になるけれども、日本てぇ「まぁまぁまぁ」みたいな感じでずっと、こうなんとなく、白黒をあまりつけない行くという、神話のときから日本人の心の構造としてあるんだよと。この具体的なメリットとは何ですか、中空構造であるが故(ゆえ)の?
【斎藤環】ドンドン外来のものを取り込んでくるんですけれども、外来のものは外来のものだというレッテルを貼って共存していくのですごく柔軟なのだけれども一方で日本文化的なものも並行して温存されていく、けっこう器用なシステムになっていると思う。外来物(ぶつ)に圧倒されるのではなく、かといって排他的になるのでもない、何か調和しているといった感じですね。。
【赤坂真理】もしかして自然発生的にそっちの方を人間は取りやすいと思ったのですが、一神教は危機の時代に出てくる、ちょっと飛躍があるので、もしかして自然状態で・・・。
【中沢新一】自然状態だとこの思考方法が一番合理的にこの真ん中の中空といわれている部分があると、例えば対立したものがあると、その対立したものを中間領域に持ってきて、お互いの間でネゴシエーション(妥協を図る)ということが行なわれる。自分と違うものを排除するのではなく、相手の原理を内の中に入れてくることが可能になってくるのがこの真ん中の部分で、大きなことを言うと日本列島にはもともと縄文人がいたわけです。そこへ倭人というものが稲を持って入ってきてそれで今の日本人を作ってきた。争いの痕跡があまりないんです。それは縄文人が弥生式の技術を受け入れてるんですね。弥生といわれている倭人の連中も縄文の連中の神さまの考え方を受け入れているわけですね。ハイブリットを必ず形成していくというように日本人形成がもう3000年前からこれが行なわれている。
ところがユダヤ教の場合は、モーセの、聖書を見ていると反対者を排除するどころか虐殺したりして、大変な苦難の歴史をたどっているから自分たちのユダヤ教という考え方と違う要素が入ってくることを許さなかった歴史がある。
【伊集院光】これがそもそも日本人論の主張として僕が興味深いところは、「平和ありき」の日本人であるという誇らしい部分が一つと逆に言うと戦いには弱そうだなぁ・・・。
【斎藤環】ただ敵のタイプによると思いますが、先のネゴシエーションして取り込んでしまって吸収消化してしまうということもひょっとして得意なのかも知れない・・・・。
【伊集院光】まぁまぁ上がってご飯でも食べてというようなぁ・・・。
<日本社会と中空構造>(日本の政治に見る中空構造)
【斎藤環】政治に絡めていうと二大政党制がなかなか成長しなかったとか、・・・そのようなことに関係してきますし、政治的なことを決定するときに、誰かが主体的に決めないでそこを空気に任せてしまう。御神輿も一人ぐらいぶら下がっていても分らないという感じで、話だけがドンドン荷台だけが進んでゆく、これも誰が運んでいるのか分からないが何となく事態が動いていくみたいな、これはまさに中空構造です。まさに中心がいないわけですから。特に戦後の政治状況にはよくあったなぁという感じがあります。
【伊集院光】悪い方でいうと何か事が起こって誰が責任を取るのだという(話になって)『俺言ってねぇよ。』というような・・・。
【斎藤環】リーダーシップも「神輿は軽い方がいい」と言うように、あんまりいろんな人が中心にくるということは少なくて、どちらかというと傍に・・・参謀が優秀で真ん中は空っぽで、参謀が動かしているモデルが日本型リーダーシップだと言われますよね。
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以上が、第三章心理学者斎藤環さんが選んだ名著は河合隼雄著『中空構造日本の深層』の前半の話で、日本の神話における中空・均衡構造と西洋型の中心統合構造の対比から見えてくる日本人論です。
『中空構造日本の深層』のⅠ「『古事記』神話における中空構造」の中で河合隼雄先生は次のように書いています。
<河合隼雄著『中空構造日本の深層』中公叢書から>
日本の神話では、正・反・合という止揚の過程ではなく、正と反は巧妙な対立と融和を繰り返しつつ、あくまで「合」に達することがない。あくまでも、正と反の変化が続くのである。つまり、西洋的な弁証法の論理においては、直線的な発展のモデルが考えられるのに対して、日本の中空巡回形式においては、正と反との巡回を通じて、中心の空性を体得するような円環的な論理構造になっている(同書p40)。
上記の対話の中にも出てきた正・反・合の話です。排中律を超える論理の段階が語られているように見えます。円環的な論理構造には円相の禅的世界があるようにも見えます。
個人的には「<あいだ>を開くレンマ的論理」という山内得立先生の『随眼の哲学』を思い出します。
さいとうたまき、という人のお話を二か月前にききました。
どこでかというと、ひきこもりの集いでです。じっさいにみえたのではなくて、講演会でのおはなしを録音したものでした。
印象に残ったのは、ひきこもっているものにも小遣いをあたえる、というところだけで、あとはスルー。(わたしゃ貧しいのに、そげなこつはでけん!と内心沸騰。)
しかし、
会の代表者は斎藤環に心酔しておられるようでしたので、どんな人でどんな風なのかなとおもって。おはなしがききとりにくかったのもありまして。
以前、親は子から生まれる、ということばをおしえてもらいましたが、たしかにそのとおりですねえ。
まったく、おそろしいくらいにおどろいた。
ひきこもりの子をもつ親の会にいって、御仲間がいると知って、どっと安堵感をおぼえたとたん、つぎの日、なにもいわなかったにもかかわらず、子が外に職をみつけてきて、働き出したのですから。
天地がひっくりかえるようなおどろき。
なんだ、できるんじゃん。というおもい。
屈託がないことは最上の美徳であるようにおもいます。
なにがいいたいのか、自分でもわからなくなりましたが。
なんとはなしに、ありがとうございました。
正剛さんは「千夜千冊」や「セイゴオぶひん屋」ですごく 楽しませてもらってました 斎藤環さんの河合隼雄著『中空構造日本の深層』の説明は日本人としての感性について 考えさせられました この番組をきっかけで「古事記」についても知ることができました あなたさまのブログとても気に入りました これからもお願いいたします