哲学者千葉雅也さんが語るドゥルーズの「これ性」という言葉を他の哲学者はどのように解説しているのかと調べてみても、ある意味新しすぎて見つけることができません。
ドゥルーズといえばリゾームとかツリーとかいう言葉は聞いたことがあり哲学辞典に掲載され解説されてはいますが、「これ性」は見つけることができません。
5月の『現代思想』(青土社)は「精神病理の時代」と題し自閉症・うつ・普通精神病・・・について様々な難解な話が語られています。
昔ならば木村敏先生などの精神性と哲学が語られるのでしょうが現代は現代の最新の言葉で社会現象を見つめ語られ分析され記述され・・・個人的な古さに難解さの谷間からはい出ることができません。
『現代思想』には千葉雅也さん、大澤真幸さん、斎藤環さんの名があり哲学者、社会学者、心理学者と大いなる語りで現代を語っている。
私にとっての出会いの出来事・・・「これ性」なのでしょうか。
「これ性」という言葉を深く学べない現実の中で、ふと思い出したことがあります。過去に自分が作った言葉・・・「さが性」です。
私の場合「~性」という言葉に「こころの傾向」「こころの向き」を想起します。そのような決まったこころの向きがあるわけでもないが、そのようになる定めの内にある、そのように形成されるようなおのずからの世界の内になる・・・的な理解感情が生れます。
「性(さが)性」であって「性々」といった漢字からの視覚的なイメージ理解です。
過去ブログ
で宮沢賢治の未完の物語『学者アラムハラドの見た着物』を紹介しました。
この物語の中で一人の少年が、
「人はほんとうのいいことが何だかを考えないではいられないと思います。」
とアラムハラドに答えます。
そこに性(さが)を感じたのです。
私は信じたい。
「人はほんとうのいいことが何だかを考えないではいられないと思います。」
「本当の善いこと」
これを考えないではいられない性(さが)があると・・・・。
ドゥルーズの「これ性」とは大きな異なりがあるかもしれないのでしょうが、唯一無二のこの存在として「さが性」を思うのです。
書き込みありがとうございます。
人間というものは大変な代物(しろもの)です。
「人はほんとうのいいことが何だかを考えないではいられない」
存在だったらいいのになぁと思います。