過去のブログで「アートマンと輪廻転生」という文章を書いたことがあります。
なぜ仏教はというよりも、お釈迦様は 生、老、病、死の4苦にこだわるのかという素朴な疑問から書いたものです。
お釈迦様の生きた時代。その当時のインドにおける人の平均寿命は、研究者によると18歳くらいと推定されるということです。
文学博士の加地伸行氏はその著「沈黙の宗教(ちくまライブラリー)」で次のように書いている。
<引用>
釈尊の時代の前6世紀ごろのインドでは、子どもはたいてい乳幼小児期に急性羅患で、倒れ、母親も産褥熱(産後の肥立ち)でよく死亡し、25歳を越えた成人は少なく、40歳ともなれば灼熱の地における体力の消耗で老化し、諸々の感染、脱水などで死亡したであろうと言う。すなわち老いと病と死とは同時に出現したであろう。
<以上>
こだわりといっていいかわかりませんが、自己の生の前に横たわる現実、釈尊のこだわりは、諸行無常のこのようなインドの現実があったからではあるまいかということです。
無常に絶えず変化する(生ある者は必ず老いて死す)現実に心痛め、救いの道を求めたのが仏教発生の根源である。
ということができるわけです。
インドでは、墓を作らない、ガンジスにその骨は流される。それは輪廻転生思想があるからで、肉体は仮の宿、普遍のアートマンは他の肉体に宿り別人に再生される、という考えに基づくものである。
したがって、死んだら墓に入ることはない。日本は不思議な国で、輪廻転生を信じる一方で、死んだら墓に入ることも認識している。
「輪廻転生はある」と信じるとアートマン(ここでは魂)は墓にはいないことになる。
このように語ると、「千の風にのって」ではありませんが、「そこ(墓)にはいません。」は、したがって論理的な話だということになります。
「無常」という言葉を普通の辞書を見ると、
1〔仏教語〕 世の中のすべてのものは絶えず変化し、続けて永久不変ではないということ。
2 最期、死 例:無常の来たることは水火の攻むるよりも速やか(徒然草59)
と説明されています。
ここでフランス文学者、修辞学者であって仏教学者ではない野内良三(のうち・りょうぞう)関西外国語大学国際言語学部教授の過去のブログ「西洋的因果律と仏教的縁起」でも引用した『偶然を生きる思想』(NHKブックス)から「無常」について書かれた「仏教と日本文化」についての記述を紹介したいとおもいます。
<引用>
仏教の日本化
こうした「随分奇妙な」日本人の感性は仏教によってつちかわれた面は確かにあるかもしれないが、その影響関係については留保が必要である。インドで生まれた仏教は中国で体系化されて日本に伝わるが、日本において仏教は変質する。いわば日本化したのである。
仏教において無常とは、この世には永遠不変のもの(常なるもの)は存在せず、いっさいのものが生滅するものであり、いずれは消滅するべき定めにあるという事態を指す。人間もまたその例外ではなく、老・病・死を免れることはできない。
無常は人間のあらゆる「苦」(苦悩・苦痛)の元凶である。心の平安としての悟りの境地に達するためには無常の現実を否定しし、それから自由にならなければならない。無常の現実に流されるのではなくて、無常の現実に人間は意志的=理知的に働きかけて乗り越えなければならない。無常はすぐれて倫理的=実蹟的問題を提起する。
これが仏教における無常の問題である。
ところがこの教説が日本に移入されると情緒的なものに変質してしまう。無常という事態はかならずしも超克すべき苦の対象ではなくなる。個としての人間の実存の問題というよりも、人間を含めた自然の推移が全体として無常と把捉されることになる。
花鳥風月を好む日本人は無常観を情緒的な自然観として捉えた。本来マイナスの価値をもつ対象であるはずの無常が「もののあわれ」と呼び替えられて、いつのまにかプラスの価値を付加されることにもなる。無常の問題に対して宗教的=倫理的対応をしたインド人と異なり、日本人は情意的=審美的に応接をしたといえるだろう。
こうした無常の日本化をよく示す例が「いろは歌」である。「いろは歌」は「諸行無常偈」(『大般捏磐経(だいはつねはんぎょう』の四句)を歌い込んだものとされている。
諸行無常(しょぎょうむじょう) 是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめつい) 寂滅為楽(じゃくめついらく)
前の二句は、諸行は無常で生じたり滅したりしてとどまるところがない(だから執着するの、は苦である)の意で、後の二句は、この生滅(無常)への執着を滅し已(おわ)れば、そこに平静なる寂滅の悟りが開かれて永遠の楽となるの意である。この仏教の深遠な哲理を、『いろは歌』は今様調の哀切な詩語に移し替える。
色は匂へど 散りぬるを〔香りよく咲き誇っている花もやがては散るさだめ〕
我が世たれぞ 常ならむ 〔この世に生きる私たちもいつはかなくなるか知れたものではない〕
有為の奥山 今日越えて〔この無常の、迷いに満ちた険しい山を乗り越えた今〕
浅き夢見じ 酔ひもせず〔浅はかな夢を見ることも快楽に酔うこともすでになくなった〕
注釈めいたことを補足する。「有為」は「因縁によって生じる現象」のことで、この世の森羅万象を表す。「有為の奥山」は無常のこの世を、人里離れた越えがたい山にたとえたもの。「浅き夢見し」(浅い夢も見ない)は「浅き夢見し」(浅い夢を見た)だとする少数意見がある(昔は清音・濁音の表記はずさんだった)。
「いろは歌」は平安中期以後の作とされるが、作者は特定されていない。いずれにせよ四十七文字のなかにこんなにも深い内容を盛り込むとは異能の才の持ち主ではあった。
「いろは歌」はあわただしく散る桜花に無常を見る日本人の心性を見事に詠み込んでいる。・・・・・・
<以上同書p30~p32>
なかなか面白い話だと思います。野内教授はこの著書で「無常と偶然の関係」について言及している。
昨日は確率と偶然に言及しましたが、野内教授は「無常と偶然は同じ事態を指している」というのです。
無常とは、この世の森羅万象が常住不変ではなく変転消滅することを謂う。
偶然とは、あるべきことに反して或(あ)る事態が生起することである。在ってはならないもの、在るべきではないもの、在るはずでないものが目撃されることだ。
とします。この両者の違いは捉え方の視点の違いにあるというのです。
無常観はどこからくるのかということになりますが、このことについては昨年のブログにも説明しましたが、次のように縁起間からくると野内教授は説明しています。
<引用>
無常観は、たとえば自分が今ここにいるという単純な事実は自分のこれまでの人生の履歴はもとより、父親と母親、そのまた親たちなどさまざまな<縁>の気の遠くなるような錯綜した連鎖の結果なのだ。
この世のすべての存在はこうした連鎖の織り成す関係的存在しかない。この関係の網の目から独立した自立的存在(我=実体)を考えることが迷いなのである。この世界そのものは、われわれの迷いや悟りに関係なく相衣相関の縁起の法に従って生成変化しているだけだ。
つまり「覆われていること」の原因は認識対象の側ではなくて、認識する主体の側(心の闇)の問題である。
縁起間の提起する存在観の要諦は他者依存性にあり、そこから「無常」という事態も結果する。
<以上同書p54>
仏教学者ではなくフランス文学者、修辞学者の語る話です。フランス文学で仏教について書かれる先生が他にもいますが言語学、レトリックというものは哲学的でありまた偶然性という問題に触れてくると運命という問題にかかわりを持ち、宗教的要素にも触れることになって行きます。
思考する姿とは、その人の求めの遍歴のようです。探究の元は何か、それは人間だからといえると思います。
こういう話は、個人的に知っていることが大事です。鵜呑みをせよという話ではありません。逆に鵜呑みのしないための防波堤です。自分の探求心の方向性の展開にも役立ちます。
偶然の出来事なのか必然なのか。言葉少ない説明による「罰当たり」発言、偏った宗教心からは時に驚く発言を耳にすることがあります。
知っていれば然(さ)も有りなんの話です。
昨日のブログNHK「Q~私の思考探究・運と人生の関わりとは」では、番組中に紹介された九鬼周造の言葉がありませんでした。最後にその言葉を紹介したいと思います。
【九鬼周造】
偶然の核心的意味は、<甲は甲である>という同一律の必然性を否定する甲と乙との邂逅(かいこう)である。
我々は偶然性を定義して<独立なる二元の邂逅>ということが出来るであろう。
<以上 『偶然の問題』(1935)>
※邂逅:思いがけなく出会うこと。めぐり会い。出会い。
九鬼周造はマルティン・ハイデガーやアンリ・ベルグソンに教えを受けた人物で、没するまで京都帝国大学文学部哲学科教授でした。
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