ただいまのBGM(タテラッツィさん風)
アンサンブル・アメデオ 5月の風コンサート
2005年は、いつもの定演に加え、番外編とでもいいますか、半分以下のメンバーで春に小さな演奏会をしたんです。
このときの選曲が好きです。
それに演奏も無理がなく心地よい。
管は無し、パーカッションは曲によって少しだけ。
純粋に弦の音が聴こえてきます。
このときは初めての第一生命のステージで、ホールに響く音に包まれて弾いていてしあわせな気持ちでした。
うーん、懐かしい。
さて、今日は新聞でとてもいい記事があったのでそのことを書きます。
横浜国大の副学長が書いたコラム。
あ、でも引用していいのかどうか。
どうなのかなぁ、だめかしら。
だめだったらすぐ消しますから、言ってください(と誰に頼んでるんでしょう・・・)
--------------------
「この年になって、教え子や親しい若手研究者が優れた業績をあげたり、賞を受けたりすると、うれしく感じるようになりましてね」
「若いころ、あなたを励まし、褒め、また支援してくれた先生や先輩が周囲にいたでしょう?」
私がそう尋ねると答える。
「そういう人なら4人も5人もいましたよ」
そうだろう、我が意を得た。50歳少し前の研究者と交わした会話である。
研究者もさまざまだ。サービス精神に富んだ研究者には、困難な状況にある仲間に手を貸す思いやりのある恩師がいるし、自分の利害を中心に考える研究者には、やはり利己的に振舞う先生がいる。親や教師から受ける体験の積み重ねが、知らず知らずのうちに心に刷り込まれて人格を形成し、一人前になった後に、その人の言動を規定する。人間は体験の動物なのだ。
体験の受け止め方は人によって異なる。不愉快な体験に対する反応でも、それをバネにして、そんな思いは他人にさせまいと心に決める人もいれば、やはり同じ不快な思いを他人にさせてしまう人もいる。現実には後者の反応が圧倒的に多い。同じように、心地よい体験をしたから、他人には不快な思いをさせようと考える人は、まずいない。
脳科学者・茂木健一郎氏の講演を聞いた。親に見守られ、愛情いっぱいに育てられた子供は、安全基地を脳の中につくり、自分の枠を飛び出して新たな試みに積極的に取り組む意欲を持ち、成長するという。安全基地は快い体験で形成される脳内ネットワークのようだ。快い体験が人を作る。
(後略)
--------------------
コラムはこのあと、学校でのいじめ、家庭での虐待問題に発展していきます。
これを読んでふたつのことを思い出しました。
ひとつは、「ちゅらさん」名場面シーンでのお母さん(田中好子)が、えりぃ(主人公)に言った言葉。
和也(えりぃの息子)を、決して他の子と比べてはいけないよ。
他の子と比べて、あれができない、これができない、と思ってはいけないよ。
母親はえりぃ1人。守ってあげられるのはえりぃだけなんだよ。
愛情をもって育てれば、必ずきちんと子供は育つんだから。
わかってはいるつもりでも、親としてついやってしまうことです。
愛情いっぱに育てれば、子供はちゃんと自分で安全基地を作って、成長していけるんですね。
それともうひとつ。
「生徒を育てるということは、自分の仕事を取られるということだ」
という発言をした先生がいるそうです。
生徒が一人立ちするのを応援し、そこに喜びを見出すのが師匠だと思っていたんですが、どうやらそうじゃない方もいるようで。
この狭い世界で、小さいパイの奪い合いになってしまう、とその方は考えるらしい。
だから生徒の成長はある程度でいいだろう、ということかしら。
そういう人の師匠は、きっとそのように弟子に接していたんでしょう。
なんだかとても残念なことですね。
話は前に戻りますが、私が新しい環境に飛び込んでいったり、思いついたことをとにかくやってみよう、と思えるのは、脳内に安全基地があるからなのかもしれません。
そういえば、私の両親は勉強でも習い事でも人と比べることがなかった。
当時の私は、物足りない、がんばり甲斐がないと思ったほどでしたが、改めて「自然体子育て」に感謝しています。
明日、お礼を言いに行こう。
アンサンブル・アメデオ 5月の風コンサート
2005年は、いつもの定演に加え、番外編とでもいいますか、半分以下のメンバーで春に小さな演奏会をしたんです。
このときの選曲が好きです。
それに演奏も無理がなく心地よい。
管は無し、パーカッションは曲によって少しだけ。
純粋に弦の音が聴こえてきます。
このときは初めての第一生命のステージで、ホールに響く音に包まれて弾いていてしあわせな気持ちでした。
うーん、懐かしい。
さて、今日は新聞でとてもいい記事があったのでそのことを書きます。
横浜国大の副学長が書いたコラム。
あ、でも引用していいのかどうか。
どうなのかなぁ、だめかしら。
だめだったらすぐ消しますから、言ってください(と誰に頼んでるんでしょう・・・)
--------------------
「この年になって、教え子や親しい若手研究者が優れた業績をあげたり、賞を受けたりすると、うれしく感じるようになりましてね」
「若いころ、あなたを励まし、褒め、また支援してくれた先生や先輩が周囲にいたでしょう?」
私がそう尋ねると答える。
「そういう人なら4人も5人もいましたよ」
そうだろう、我が意を得た。50歳少し前の研究者と交わした会話である。
研究者もさまざまだ。サービス精神に富んだ研究者には、困難な状況にある仲間に手を貸す思いやりのある恩師がいるし、自分の利害を中心に考える研究者には、やはり利己的に振舞う先生がいる。親や教師から受ける体験の積み重ねが、知らず知らずのうちに心に刷り込まれて人格を形成し、一人前になった後に、その人の言動を規定する。人間は体験の動物なのだ。
体験の受け止め方は人によって異なる。不愉快な体験に対する反応でも、それをバネにして、そんな思いは他人にさせまいと心に決める人もいれば、やはり同じ不快な思いを他人にさせてしまう人もいる。現実には後者の反応が圧倒的に多い。同じように、心地よい体験をしたから、他人には不快な思いをさせようと考える人は、まずいない。
脳科学者・茂木健一郎氏の講演を聞いた。親に見守られ、愛情いっぱいに育てられた子供は、安全基地を脳の中につくり、自分の枠を飛び出して新たな試みに積極的に取り組む意欲を持ち、成長するという。安全基地は快い体験で形成される脳内ネットワークのようだ。快い体験が人を作る。
(後略)
--------------------
コラムはこのあと、学校でのいじめ、家庭での虐待問題に発展していきます。
これを読んでふたつのことを思い出しました。
ひとつは、「ちゅらさん」名場面シーンでのお母さん(田中好子)が、えりぃ(主人公)に言った言葉。
和也(えりぃの息子)を、決して他の子と比べてはいけないよ。
他の子と比べて、あれができない、これができない、と思ってはいけないよ。
母親はえりぃ1人。守ってあげられるのはえりぃだけなんだよ。
愛情をもって育てれば、必ずきちんと子供は育つんだから。
わかってはいるつもりでも、親としてついやってしまうことです。
愛情いっぱに育てれば、子供はちゃんと自分で安全基地を作って、成長していけるんですね。
それともうひとつ。
「生徒を育てるということは、自分の仕事を取られるということだ」
という発言をした先生がいるそうです。
生徒が一人立ちするのを応援し、そこに喜びを見出すのが師匠だと思っていたんですが、どうやらそうじゃない方もいるようで。
この狭い世界で、小さいパイの奪い合いになってしまう、とその方は考えるらしい。
だから生徒の成長はある程度でいいだろう、ということかしら。
そういう人の師匠は、きっとそのように弟子に接していたんでしょう。
なんだかとても残念なことですね。
話は前に戻りますが、私が新しい環境に飛び込んでいったり、思いついたことをとにかくやってみよう、と思えるのは、脳内に安全基地があるからなのかもしれません。
そういえば、私の両親は勉強でも習い事でも人と比べることがなかった。
当時の私は、物足りない、がんばり甲斐がないと思ったほどでしたが、改めて「自然体子育て」に感謝しています。
明日、お礼を言いに行こう。