1日の終わりに ~森真理マンドリン教室~

マンドリンと共に暮らす日常のあれこれを、ほぼ毎日綴っています。

あの原稿はどこへ・・・

2006年07月04日 | Weblog
30分ほどかけて、なかなかに気に入った文章が書けたつもりでした。

それが何がどうなったのか、一瞬で消えてしまった・・・。

あー・・・。

気を取り直せたら明日また書いてみます。
ショックだー。
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自分で体験したい

2006年07月04日 | Weblog
今日は、発表会後初めてのマードレの練習日だったので、練習前に全員でDVDを見て反省会をしました。

DVDを見てちょっとがっかり。
思っていたような演奏と違っていたからです。
ステージの上では、なんだかとてもうまくいった気がしていました。
そして、その後2週間で、頭の中で勝手に美化していたようです。

じゅうぶんためて弾いたつもりのカデンツァも、けっこうさっぱりしていたし。
自分は表現しているつもりでも、その半分くらいしか伝わらないんだなぁ、と改めて感じました。
こんな具合じゃ、自分の独奏の録画は今はとても見られません。
一体どれだけあっさり聴こえるんだか。
いや、あれでも本人は相当がんばったつもりなんですが、客観的に聴いたら、色気たっぷりには程遠いことでしょう・・・。

昨日の話音倶楽部のレポートは、後日、研究所のHPに掲載します。
打ち上げでは、演奏にはその人そのもの(本質)が出る、という話題で盛り上がりました。
人づきあいをする上では、多少周りに合わせたり、本音を隠したりすることもあるけれど、演奏ではそういうことができない、と。歩んできた人生そのものが出る、と。
となると、私は意外とさっぱりした性格なのかしらん・・・。

演奏を聴いて感動する気持ちというのは、理屈ではわからない何かだ、という話も出ました。
なぜだかわからないけど演奏を聴いて涙が止まらなくなった、演奏会中に会場全体の雰囲気が変わる一瞬があった、そんな体験談がありました。

伝えたい気持ちが強ければ、人にはちゃんと伝わるものなのかもしれません。
そこがやはり人間が演奏するということのおもしろさなんだと思います。
そのときの送り手(奏者)と受け手(聴衆)のやり取りというのは、その場限りのもので、決して二度と同じことは無い。
聴衆はただ受身なだけではなく、奏者に影響を与えています。
会場の雰囲気で、弾きやすかったりその反対だったりすることは、私も感じることがあります。
グランパルティータ クヮルテットは今回4箇所で公演していますが、それぞれに観客の反応は違っていたそうです。演奏ももちろん4回違う感じになったことでしょう。

演奏会は、出るのも聴くのも好きです。
なるべくいろいろな人の演奏に接したいと思っています。
人づてに、「あの人の演奏は○○だ」と聞くことは多いですが、実際自分が接してどう感じるか、それだけが大事です。
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