MA社会研究所情報

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ゼロ式戦闘機と撃墜王坂井三郎のDVDをみた。太平洋戦争でのゼロ戦の活躍が見られた。

2012-05-28 00:47:28 | Weblog
ゼロ戦と坂井三郎のDVDを見た。ゼロ戦は太平洋戦争の主力だった日本の名戦闘機で、坂井三郎は撃墜王として有名なゼロ戦パイロットだ。昭和12年に海軍からゼロ戦の設計依頼が行われた。最高速度は時速500kmという要求だった。昭和14年に一号機が完成した。昭和15年に実戦配備が行われた。昭和16年12月8日の真珠湾攻撃でも空母に搭載されたゼロ戦が活躍した。フィリピンの米軍基地も攻撃した。昭和17年6月5日のミッドウエ―海戦でゼロ戦は驚異的な防空力を見せたが、日本の主力空母4隻が撃沈され日本は守勢に回った。17年8月7日に米軍が南太平洋のガダルカナル島に上陸して日本が建設した飛行場を奪った。ラバウル基地から坂井三郎らのゼロ戦17機と、一式陸上攻撃機27機がガダルカナルの米軍船団爆撃に出撃した。片道560海里、1000kmもの距離を飛んで爆撃に向かった。米軍の大船団に爆弾を投下したがあまり成果はなかった。ゼロ戦は米空母から発進したF4F戦闘機と空中戦になった。坂井三郎は部下の機を攻撃する米国戦闘機を撃墜した。部下を死なせたことがない隊長だった。その後間違えて米国爆撃機隊に近づいて反撃射撃を受けて負傷し右目が見えなくなった。もうろうとした意識で睡魔と闘い、機体が上下逆さになりながら2時間も飛行して奇跡的にラバウル基地に帰還した。戦線復帰は無理かと思われたが昭和19年に復帰した。ラバウルのゼロ戦隊は戦い続け消耗し、昭和19年2月に海軍基地のトラック島に移動した。トラック島も大空襲を受け、昭和20年8月15日に日本は降伏した。
DVDの空中戦のシーンは模型を使って撮影されていた。白髪混じりの人が多い撮影現場だった。太平洋戦争を体験した世代も90歳ぐらいで余命少ない、若者も見るDVDにして歴史を伝えることが必要だろう。
中学生のころに坂井三郎氏の書いた「大空のサムライ」という本を読んで最後まで頑張る気持が大事だと思った。英語版もできて世界中で有名なパイロットになったが、2000年に84歳で亡くなったという。