トマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房、原著2013年)を読了した。分厚くて重く、混んだ電車の中で立って読むのには向いていないこともあって、ずいぶん時間がかかってしまった。
ただし、内容は驚くほど明快であり、ひるむことはない。何しろ大ブームで、解説本やテレビの講義番組などが大流行だが(わたしも来日講義を聴講しようとしたが、2回とも落選してしまった)、時間があるなら簡単に済ませず本書をじっくり読むことを勧める。キーワード的な結論だけを何かの主張の手段として使うよりも、考えながら脳内回路に沈着させていくべきだと思うからだ。
本書の最大の特徴は、可能な限り、所得や資本の定量的なデータを過去に遡って詳細に収集し、それによる分析結果に基づいて議論を展開していることだ。逆に言えば、マルクスの仕事を含め、従来の分析がいかにそのような手法からかけ離れており、場合によっては、いかに自分の示したいストーリーという鋳型に分析を当てはめているかということである。
従来の分析とは過去のものばかりではない。現在の資本主義のもとで、富が看板通りに再分配されるということが神話に過ぎないことも、「資本が中国に所有されつつあるという恐怖」が幻想に過ぎないことも、明確に示される。
本書において示される最も重要な成果は、資本が肥大化していくメカニズムだろう。資本は必然的に蓄積されてゆき、それは元々資本を保有する者のもとから離れることはない。持てる者は何かを行うための原資も、そのためのさまざまな手段やノウハウも持つ。従って、社会のモビリティは失われてゆき、構造が硬直化する。それを突き崩すのは、教育の向上による個人の「能力」のかさ上げでは不十分である。
すなわち、「格差」とは、資本主義という経済社会の構造から必然的に生み出される結果なのだ、ということである。ピケティが提言する最も効果的な処方箋は、資本に対する累進課税そのものである。現在の先進国における政策がそれに逆行したものであることは言うまでもない。かれの予測によれば、このままでは、資本の少数者への集中と社会の硬直化はさらに進む。