Sightsong

自縄自縛日記

藤井郷子+ラモン・ロペス『Confluence』

2019-06-08 18:11:57 | アヴァンギャルド・ジャズ

藤井郷子+ラモン・ロペス『Confluence』(Libra Records、2018年)を聴く。

Satoko Fujii 藤井郷子 (p)
Ramon Lopez (ds)

ラモン・ロペスはスペイン生まれパリ在住のドラマーで、フリージャズ中心の活動をしているという。だだっ広く静まり返った空間の中を、選ばれ研ぎ澄まされた音が響く。それらの一音一音が鼓膜に届くたびに快感を覚える。長沢哲さんに共通するものがある。

ここで藤井郷子さんはペダルをいつもよりかなり踏み、残響を活かした音作りをしている。内部奏法は思ったよりも少ないが、その音もまた残響の文脈の中にある。これが周波数域の狭いロペスの音と重なるときの良さといったら。音が消えて静寂が訪れても、ここでは、その静寂が大きな意味を持っている。

●藤井郷子
邂逅、AMU、藤吉@吉祥寺MANDA-LA2(2019年)
藤井郷子『Stone』(JazzTokyo)(2018年)
This is It! 『1538』(2018年)
魔法瓶@渋谷公園通りクラシックス(2018年)
MMM@稲毛Candy(2018年)
藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン(2018年)
藤井郷子オーケストラベルリン『Ninety-Nine Years』(JazzTokyo)(2017年)
晩夏のマタンゴクインテット@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
This Is It! @なってるハウス(2017年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)
藤井郷子『Kitsune-Bi』、『Bell The Cat!』(1998、2001年)


平田俊子『低反発枕草子』

2019-06-08 18:00:23 | 思想・文学

平田俊子『低反発枕草子』(幻戯書房、2017年)を読む。

詩人によるエッセイ集。twitterかどこかで目にして、気になって買った。

ちょっとすっとぼけた雰囲気が良いし、文章がとてもうまくて好きだ。料理にたとえるなら、毎日ちゃんと握る塩むすびのような感じ。

そうか、電車の中で隠そうともせず大口を開けてあくびをする人とか、スマホいじりに夢中で肘をぶつけてくる人とか、そんな気に入らない人に対して、いちいち怒りをあらわにして毒づくよりも、こんなふうに言ったり書いたりすればいいんだな。

オススメ。


マーティン・エスカランテ+沼田順+石原雄治@なってるハウス

2019-06-08 13:13:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

入谷のなってるハウス(2019/6/7)。

Martín Escalante (as)
Jun Numata 沼田順 (g, electronics)
Yuji Ishihara 石原雄治 (ds)

先日に続き再びエクストリーム系アルトのマーティン・エスカランテ。いやネックを取り去った楽器だからアルトと呼んでいいものかどうか。

迎え撃つふたりもエクストリーマーとなる気満々だったようで、いきなり三者で爆走する。沼田さんはギターで止まっては滝から落ちるように弾いたり(激しくて弦が切れてひらひらしていた)、エレクトロニクスに走ったり止めたり。石原さんはともかくも叩きまくっている。

マーティンはあらためて観察すると結構多彩で、キーを操作せずに首の動きや全身の痙攣だけで音色を変化させたりもしている。そしてひたすら動くためにこの濁流がハコの中をうねっている。

セカンドセットはやや三者とも落ち着きを取り戻し、それぞれの個人作業を見つめてプレイし始めた。しかし結局はみんなエクストリーマーとなった。

Fuji X-E2、7Artisans 12mmF2.8、XF35mmF1.4

●マーティン・エスカランテ
マーティン・エスカランテ、川島誠、UH@千駄木Bar Isshee(2019年)
マーティン・エスカランテ+ウィーゼル・ウォルター『Lacerate』(2018年)
シシー・スペイセク『Spirant』(2016年)

●沼田順
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2019年)
mn+小埜涼子@七針(2019年)
mn+武田理沙@七針(2019年)
沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス(2018年)
中村としまる+沼田順『The First Album』(2017年)
RUINS、MELT-BANANA、MN @小岩bushbash(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年) 

●石原雄治
Zhu Wenbo、Zhao Cong、浦裕幸、石原雄治、竹下勇馬、増渕顕史、徳永将豪@Ftarri(2018年)
石原雄治+山崎阿弥@Bar Isshee(2018年)
TUMO featuring 熊坂路得子@Bar Isshee(2017年)
窓 vol.2@祖師ヶ谷大蔵カフェムリウイ(2017年)
『《《》》 / Relay』(2015年)
『《《》》』(metsu)(2014年)


デュッセルドルフK20/K21の艾未未とワエル・シャウキー

2019-06-08 11:43:45 | ヨーロッパ

デュッセルドルフでは、近現代の美術館がK20とK21とに分かれている。K21は特に80年代以降のアートに焦点を定めている。

まずはK21に足を運んだ。特別展は艾未未(アイ・ウェイウェイ)である。

もちろん艾は権力との緊張関係をアートにし続けているのだが、そこには様々なアート的要素の引きだし方を見て取ることができる。挑発、相手の利用、自分のキャラ化、商売。おそらくそれらが鼻についてかれのアートを嫌う人もいるのだろうけれど、しかし、この精神的恐竜のごとき物量はさすがである。

展示室に入ったところには多くの古着。それらは壁の無数の写真と同じく、シリアなどからギリシャ・マケドニア国境あたりに流れ着いた難民の人びとのものであった。ホロコーストを意識したクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション「MONUMENTA 2010 / Personnes」アンゼルム・キーファーの立体作品のように、アクセスするたびに身体にかなり近い記憶が喚起される。

難民が乗った船を竹で作った作品も見事だ。それは弱弱しくも強くもあり、向こう側が透けてみえることによって、やはりこちらの想像力を喚起し、そののちに澱を残す。福建省からペルシャ湾までの海上の道を夢想した蔡國強「saraab」、またザイ・クーニン「オンバ・ヒタム」もそうだが、アジアのアーティストにとって、船とは苦難の歴史と直結するものなのかもしれない。

そして世界中の権威ある建物に向かって中指を立てる「Study of Perspective」。これほどあからさまな立ち位置の表明もそうはないだろう。あとでサックスのフローリアン・ヴァルターにこの話をしたら、かれもまた影響を受け、曲のタイトルに使ったと話してくれた。

それ以外の現代アーティストたちの作品は玉石混交(それはどこだってそうだ)。嬉しいことに、エジプトのワエル・シャウキー(Wael Shawky)の映像作品を観ることができた。ガラスなどを使って奇妙な人形を作り、十字軍時代の中東を、イスラームの側から視た映像として作品としている。静かでもあり、奇天烈でもあり、魅せられる。以前にニューヨークのMOMA PS1で驚かされたものだ。DVDがあったら欲しい。

数日後にK20にも足を運んだ(共通券を買っておいた)。ここでも艾未未

四川大地震(2008年)のあと、艾は現地に入り、瓦礫の中から鉄骨を収集し、すべて真直ぐに伸ばした。そこには権力のかたちのメタファーも見出せる。しかし、そんな単純なメッセージよりも、この物量がおそろしさとしてこちらを圧倒する。

犠牲者などの詳細は当局により伏せられたのだが(当時、わたしも中国によく行っており、口コミでいろいろと聞かされた)、かれは学生を動員して、犠牲者リストを作成し、アートとした。サンフランシスコ近代美術館の「Art and China after 1989 Theater of the World」展 で観たときにも思ったのだが、記録こそが現代の呪術であり、それはまたアートでもあるはずだ。

石を粉にしてひまわりの種に整形し、色を塗る作品。ある村で、仕事がない人びとを動員して作った作品である。これもまた信じられないという思いとともにいつまでも凝視してしまう。

●艾未未
「Art and China after 1989 Theater of the World」@サンフランシスコ近代美術館
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展
北京798芸術区再訪 徐勇ってあの徐勇か