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Sightsong

自縄自縛日記

サレハ大統領の肖像と名前の読み方

2011-06-08 00:30:42 | 中東・アフリカ

イエメンを旅したのは1998年、もう随分前だ。サレハ大統領の肖像画を、街のあちこちで見かけた。1978年に北イエメンの大統領となり、90年の統一後数年たって、やはり大統領に君臨した。ぞっとするほどの長期政権である。「サレハが・・・」と、「ハ」をはっきり発音したところ、それは女性の名前の呼び方だ、しかし奴にはそれで十分だ、などと言う男がいた。

貧しい国、部族社会のイエメンで勢力を伸ばしたアルカイダ、そしてサレハ大統領のエジプトへの出国。イエメンはどうなるのだろう。


街角のサレハ(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia 100


路地の武器売り(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia 100


一族の男たち(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia 100

●参照
イエメンの映像(1) ピエル・パオロ・パゾリーニ『アラビアンナイト』『サヌアの城壁』
イエメンの映像(2) 牛山純一の『すばらしい世界旅行』
イエメンとコーヒー
カート、イエメン、オリエンタリズム
イエメンにも子どもはいる


セディク・バルマク『アフガン零年/OSAMA』

2011-01-02 11:19:16 | 中東・アフリカ

昨年末にNHKで再放送された、セディク・バルマク『アフガン零年/OSAMA』(2003年)を観る。

米国介入によるカルザイ政権成立後であり、その状況が描かれているのかと思いきや、ここにあるのはタリバン政権時の姿である。

女性は外に出てはならない。顔や足を見せてはならない。貧しくてもそのことを口に出してはならない。一方的に結婚相手を指定され、幽閉される。婚礼行事も厳しくタリバンに監視される。そして見えないところでは、タリバンを呪う唄を呟いている。

その一方では、男や少年は宗教教育により囲い込む。貧しい少女は、働くために髪を切り、外に出されてしまう。しかしタリバンに捕まり、やがて、女であることが発覚する。裁判では死罪ではなく大目に見られ、老人の妻として連れて行かれる。

告発の、記憶のためのフィルムとしてインパクトが大きいが、映画としてはさほど見るべき点はない。

映画に寄せたコメントとしてこんなものがある。「結末は、プツンとブチ切れるように唐突で、「タリバンがいなくなったのだから、もう少し明るい終わり方をすればいいのに」と、やりきれない思いが苦く長く残る。」(高野孟)

しかし今もタリバンはいなくなってはいない。「悪を滅ぼす」といった考え方では何も解決していない。いまだ、「プツンとブチ切れるように唐突」な結末を持つ映画が現在形であるということか。折角のNHK放送であるから、コメンテーターによる解説が必要だった。

●参照 アフガニスタン
モフセン・マフマルバフ『カンダハール』
モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』
中東の今と日本 私たちに何ができるか(2010/11/23)
ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後(2009/6/6)
『復興資金はどこに消えた』 アフガンの闇
ピーター・ブルック『注目すべき人々との出会い』(アフガンロケ)
『アフガン零年』公式サイト


モフセン・マフマルバフ『カンダハール』

2011-01-01 19:20:16 | 中東・アフリカ

モフセン・マフマルバフ『カンダハール』(2001年)を観る。「9・11」直前、タリバン政権下のアフガニスタン。カナダ在住のアフガン女性が、カンダハールに住む妹から手紙を受け取る。足を失い、女性に閉塞的な社会にあって希望を失い、次の日食の日に自殺するのだという。女性はカンダハールを目指すが、女性一人での旅はあまりにも危険で難しい。

ヘリで近づく山岳地帯と砂漠、その下ではすべての女性が顔を隠している。マフマルバフの発言録『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001年)では、その布が抑圧の象徴なのだとマフマルバフは主張する。人口の半分が視えても視えない存在であることが、自分の社会からかけ離れた常識であることは理解できるが、それだけを取り出して絶対的な問題とみなすべきかどうかについては感覚的にわからない。映画においても、女性たちだけの中ではマニキュアを塗ったり布の下で口紅をつけたりしているだけに。

むしろ、タリバンが貧しい家庭を囲い込み、子どもたちに宗教教育(とはいっても、カラシニコフの使い方も含まれる)を施す姿、地雷により足を失った者たちへの義足供与が追いつかない姿に掴まれる。この後の米国介入、カルザイ政権下でのタリバン再復活を経た今、どのように状況が変わっているのだろう。

カメラの画角が狭いことには少なからず違和感を覚える。このクローズ・アップはマフマルバフの視線か。

●参照
モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』
中東の今と日本 私たちに何ができるか(2010/11/23)
ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後(2009/6/6)
『復興資金はどこに消えた』 アフガンの闇

●参照 イラン映画
カマル・タブリーズィー『テヘラン悪ガキ日記』『風の絨毯』、マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』
サミラ・マフマルバフ『ブラックボード』(マフマルバフの娘)
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』


モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』

2010-12-25 09:20:05 | 中東・アフリカ

イランの映画作家モフセン・マフマルバフ『カンダハール』(2001年)を発表した後の発言録、『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001年)。同年の「9・11」直前であり、タリバン政権下のアフガニスタンの姿を伝えている。外部からアフガニスタンに向けられる視線の不在を訴えているレポートでもある。

タリバンがバーミヤンの大仏を破壊したのは2月であった。そして北部同盟のマスードが暗殺されたのは「9・11」の2日前であった。

「もし、アフガニスタンが山岳地帯でなかったら、ソ連はアフガニスタンを容易に征服していただろう。あるいは、アメリカがその野望を、実行に移していただろう。しかし、峻険な地形は、軍事費を増大させるばかりか、戦後の再建と平和に必要な費用も莫大なものにする。アフガニスタンの山岳が険しい地形でなければ、間違いなく、その経済的・軍事的・政治的・文化的な未来は違っただろう。これは、アフガンの民の歴史的運命に書き込まれた、地理的な不運というものなのだろうか?」

ここでマフマルバフは、その後の泥沼の拡大再生産を予見している。岩山と部族社会という側面は現代の支配方策を持ってしても突き崩すことが難しいものであり、アフガンはもとより、同じ側面を持つイエメンでも、「アラビア半島のアルカイダ」が拠点にしている。シンポジウム『中東の今と日本 私たちに何ができるか』(2010/11/23)においても、「アフガンの治安悪化についての誤算は地域性や民族性であり、全国横断的な政治団体はできないということ」との指摘があった(田中浩一郎氏)。

重要な指摘は、タリバンが「政治的にはパキスタンに庇護された傀儡政府」であり、「個々の人間としては、ムジャーヒディーンを育てるパキスタンの神学校(マドラサ)で教育された、飢えた若者たち」であったということ。また、世界の麻薬市場で得られる利益の800分の1しか生産国アフガンが得ていないこと(まるでコーヒー市場のように!)。

一方では、アフガンに対する世界の無関心を嘆くあまり、まるで帝国が介入すればまだましな方向に向かうかのように書いているようにも感じられる。女性が顔を隠すことへの西側的な批判の視線も気になるところではある。米国介入後のアフガンについて、2001年時点でもやもやしていたマフマルバフの考えに、どのような発展、あるいは、変化があっただろう。

「アフガニスタンには、クウェートとは違って、石油もそれによる余剰収入もない。仕事を待ち望むアメリカ軍に、その費用を払うことができない。しかし、他の答えも聞こえてくる。アメリカがあと何年かターリバーン政権の存続を許していれば、東洋のイデオロギーについて世界中で醜悪なイデオロギーが作られ、アフガニスタンでの近代主義と同様、それに対する拒否反応を起こすだろうからだ。世界のある地域では革命的で改革的だと思われているイスラームが、ターリバーンの逆行的なそれと一緒くたにされたら、世界はイスラームの拡大に対し常に反発を示すだろう。」

●参照
中東の今と日本 私たちに何ができるか(2010/11/23)
ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後(2009/6/6)
『復興資金はどこに消えた』 アフガンの闇
ヴィム・ヴェンダース『ランド・オブ・プレンティ』(「9・11」後の病んだ米国)
マイケル・ウインターボトム『マイティ・ハート 愛と絆』(病んだ米国の非対称な視線)
コーヒー(1) 『季刊at』11号 コーヒー産業の現在
コーヒー(4) 『おいしいコーヒーの真実』

●参照 イラン映画
カマル・タブリーズィー『テヘラン悪ガキ日記』『風の絨毯』、マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』
サミラ・マフマルバフ『ブラックボード』(マフマルバフの娘)
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』


『復興資金はどこに消えた』 アフガンの闇

2010-12-18 13:14:39 | 中東・アフリカ

NHK「BS世界のドキュメンタリー」枠で放送された、『復興資金はどこに消えた』(フランス・Premieres Lignes / AMIP、2007年)を観る。アフガニスタンに流入するオカネが、不正と腐敗により、消えていく姿を追ったドキュである。

アフガンには、2001年の暫定政権成立以降、国際支援の名のもとに多額のオカネが集まっている。米国(国際開発局:USAID)、日本(JICA)、英独仏など欧州諸国、世銀やADBなどの機関からの拠出である。それが汚職により本来のところに辿り着かないことが問題となっており、ドキュでも、CNNがカルザイ大統領に対し、汚職と麻薬取引の解決について質問を浴びせる様子が収められている。

このドキュでは、まず、米国が「アフガンで680万校の学校を修復・建設した」と表明している点を追う。探しても人々が流入するカブール市内には壁も屋根もない学校が見つかるばかり、実際のところ、郊外の学校に充てられたらしいことがわかってくる。学校だけではない。イタリアのNGO・インテルソスが関与した病院建設事業では、結果的にオカネが辿り着かず、手抜き工事の結果、建物が数年で駄目なものになっている。そのことをインテルソスは認めようとしない。

また、何世代も貧しい人々が住んでいた地で、強制的に立ち退かせ、次々に、豪華な邸宅が完成している。たとえば建設費40万ドルであったり、月額2万ドルの賃貸住宅であったり。誰が関与しているかはわからない状況である。元計画相の国会議員、ラマザン・バシルドストが調べた結果、公的資金がそこに流入していたことが見えてくる。たとえば900m2の国防省保有の土地を、知事、将軍、メディア社長、警察本部長、テレビジャーナリストたちが、せいぜい200-300ドル(!)のオカネで手に入れているのだ。それを指示していたのがモハマド・ファヒム副大統領・国防相であり、彼はマスードの暗殺(2001年)の後に北部同盟の幹部となってタリバンと対峙し、米国ラムズフェルド国防長官(当時)と密な関係を築いた人物であった。

そのような腐敗政治、社会の上層部のみ潤い、国際支援とヘロイン取引それぞれ40億ドルが海外の投資家を引寄せ、富裕層向けのショッピングモールが出来たりもしている。恐ろしい。これがアフガンの現実の一側面か。

日本のアフガン支援(5年間で総額50億ドル)については、シンポジウム『中東の今と日本 私たちに何ができるか』(2010/11/23)において次のような実態の報告があった(伊勢崎賢治)。

民主党は、テロ特措法によるインド洋での給油活動の停止をせざるを得なかった。その代わりに、米国を納得させるため、鳩山政権が5年間で総額50億ドルの援助を合意した
○50億ドルの使途は、①治安支援(優秀な国軍と警察を作る)、②タリバン兵の社会復帰支援、③民生支援。
○①については、警察を短期間に急増させることになり、腐敗の象徴と化している。これを命令したのはブッシュ政権下のラムズフェルドである。カルザイ政権にとっては、カネで結びつけることができる力が増えたわけで、歓迎だろう。こんな恥かしい使途を公言するのは日本くらいだ。
○②については、結局はタリバンとの関係がグレーな民兵にカネが流れることになり、逆効果。
○③については、軍事組織が人道支援などすべきではないし、NGOがターゲットになってしまう。

国際貢献などという言葉の裏を考えなければ駄目だということだ。

●参照
中東の今と日本 私たちに何ができるか(2010/11/23)
ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後(2009/6/6)
番組サイト(BS世界のドキュメンタリー)


中東の今と日本 私たちに何ができるか

2010-11-27 22:18:35 | 中東・アフリカ

東京外大「中東カフェ」と国際交流基金共催のシンポジウム『中東の今と日本 私たちに何ができるか』に出席した(2010/11/23)。

なお、以下は当方の理解に基づく聞き書きであり、各氏の正確な発言録ではない。※印は当方の所感。

■ アフガニスタン情勢 われわれはどう関わっていけるのか

(1) 田中浩一郎(エネ研) 「投げる匙、加減する匙」

○2001年の暫定政権成立以降、今はもっとも治安が悪く、いつの間にかイラク以下になっている。外国軍は最大規模の15万人ながら、武装勢力が「点」から「線」になってきている。
○誤算は地域性や民族性であり、全国横断的な政治団体はできないということ。
○国際的なカルザイ政権批判は主に汚職についてだが、それだけに着目すべきではない。
○集団的自衛権の発動は「オープン・エンド」であり、どこまでやれば終わるのか定められていない。
○イラク戦争への助走時に、アフガンを成功例として脚色した側面がある。
○ISAF(国連治安支援部隊)は治安維持よりむしろ武装勢力の掃討を実施している。
○NATOは2014年以降の治安維持委譲計画を持っている。
日本においては、米国的見方への気遣いがレンズを曇らせてしまった。またテロ特措法による給油活動が論点をすり替えてしまい、まるで民生支援であるかのように見なされてしまった。
○現在、自衛隊の医務官を派遣し、軍医育成を行う議論がなされている。一方、日本ではNGOや市民を中心に「軍隊アレルギー」が強い。しかし、軍にしかできないことがある

※軍にしかできないことがある、との理屈は既に軍の理屈ではないのか、という印象がある。

(2) 伊勢崎賢治(東京外大)

○現在、タリバンは勝てると思っているわけであり、アフガンでの仲介など無理な状況である。
○民主党は、テロ特措法によるインド洋での給油活動の停止をせざるを得なかった。その代わりに、米国を納得させるため、鳩山政権が5年間で総額50億ドルの援助を合意した
○50億ドルの使途は、①治安支援(優秀な国軍と警察を作る)、②タリバン兵の社会復帰支援、③民生支援。
○①については、警察を短期間に急増させることになり、腐敗の象徴と化している。これを命令したのはブッシュ政権下のラムズフェルドである。カルザイ政権にとっては、カネで結びつけることができる力が増えたわけで、歓迎だろう。こんな恥かしい使途を公言するのは日本くらいだ。
○②については、結局はタリバンとの関係がグレーな民兵にカネが流れることになり、逆効果。
○③については、軍事組織が人道支援などすべきではないし、NGOがターゲットになってしまう。
○誰もがNATOに出ていってもらいたいわけだが、それは責任ある戦略をもってでなければならない。
○カルザイ政権は現在唯一の解である。しかし、日本のように彼を喜ばせるような活動はやめたほうがよい。
○ハードターゲットが狙われるのは当たり前であり、ちょっとした攻撃で引き下がると、日本の外交姿勢を疑われてしまう。
○(NATO撤退後の姿に関する質問に対して) 地下資源を狙う中国や、インドの対パキスタン戦略にも影響を与えるだろう。しかし、単純なNATO撤退は考えにくい。望ましくないが、空軍が無人機を利用するという方法もある。国を分割するという出口が最悪であり、テロリストにサンクチュアリを与えてしまう。パキスタンの政治にも影響することが必至で、インドがもっとも恐れていることだろう。
○(なぜ、そもそも国外がアフガンに介入しなければならないのか、という質問に対し) 立場上「介入ありき」である。

(3) 保坂修司(エネ研) 「アフガニスタンの異邦人」

○自爆テロを行った者たちの行動や動機を分析。
○インターネット上の掲示板では、米国・イスラエルへの怒りやイラクに関する書き込みがほとんどであった。しかし、米国やイスラエルに攻撃を仕掛けるのではなく、なぜアフガンで自爆テロを行う必然性があるのか。このような例は少なくない。
○彼らにはジハード、殉教への憧れがある。すなわち、彼らにとっては、より大きな大義のために死ぬことが目的と化している。
○自爆テロは、死にたいと思う人がインターネットで関係するテキストなどを探し、自分の行動を正当化するような「再生産」を繰り返している。テキストやヴィデオなどを見てその影響で自爆するわけではない。
○オサマ・ビン・ラーディンが発言するような「わたしはアッラーの道に殺されたい。それから生き返って、また殺され、また生き返って殺され・・・」といった考えが、アフガン、イラク、ソマリアでの殉教者の見本となっている。
○(自爆テロの源流に関する質問に対して) 19世紀インドでの対英ジハードであるムジャヒディン運動、80年代レバノンでのシーア派などが挙げられる。また、1972年ロッド空港での日本赤軍の乱射事件には、多くのアラブ人たちが共鳴した。現在では、自爆テロはOKだという認識が一般的なものとなってしまっている。

※日本赤軍に関するコメントには少なからず驚きを覚えた。

■ 石油産出国とどうつきあうか 産油国の抱える問題 

(1) 武石礼司(東京国際大学) 「湾岸産油国経済の持続可能性」

○湾岸産油国の外国人比率は非常に高く(UAEでは74%)、どのようにまとめていくのか、どのように産業を育てていこうというのかという問題がある。
○石油収入額はどの国も伸びており、特にサウジが突出している。カネの使い道として武器がある。
国内ではカネは不動産にしか入っていかず、たとえば自動車産業にしても設備だけの問題ではなく育成が難しい。
○(原発入札での日本の韓国への敗退について) 韓国サイドは60年保証という破格の条件に加え、途上国という隠れ蓑も影響した(連結決算すら一般的でない)。しかし実務上は、マスコミが騒ぐような話ではなく、実務的には日本サイドが受注する構造もある。
○中東でユニチャームが広まったのは「快適だから」である。日本人が日本から出たくないのは快適だからだ。つまり、日本が貢献したりビジネスを行ったりする種はあるはずだ。しかし、その気持ちが出てこない。

(2) 中川勉(外務省)

○イラクとアフガンの間にあるイランのプレゼンスが圧倒的なものとなってきている。現在、正規軍40万人+革命ガード10万人=50万人の軍隊を擁している。核開発問題もあり、イスラエルが攻撃を仕掛けるのではないかという危惧がある。
○イランのアフマディネジャド政権は安定している。しかし三選は不可能であるから、2013年には新大統領が誕生する。そのときに何が起きるか。
○日本は石油の90%をGCC(湾岸協力会議)諸国に依存している。一方、米国は輸入先をアフリカなどにもシフトし、エネルギー依存度を下げている。
○(原発入札での日本の韓国への敗退について) 日本政府にとってもショックだった。今後は政府によるトップセールスを積極的にしていく方向に変わってきた。
○(イランのような独裁国では情報が必要にもかかわらず、NHKなどによるニュース配信が不十分だとの指摘に関して) 賛成だが、「仕分け」が厳しく、政府のカネはなかなか使えない。またNHKは国民の受信料を使っているのであり、海外のために利用するのは問題があるとの意見もある。

(3) 河井明夫(中東調査会)

○中東と日本との重層的関係パートナーシップは、日本の教育システムの導入が下支えしている面がある(しつけ、挨拶、公文式)。
○サウジでも若者の失業問題が深刻で、日本の技術に関する職業訓練校を立ち上げる試みがある(その後その企業で働く)。

■ 中東和平の現状と日本 市民にできることは何か

(1) 池田明史(東洋英和女学院大学) 「パレスチナ問題の現在~袋小路の構造と背景~」

○小さいパレスチナにおいて、欧州、アラブ、ユダヤという三つ巴のナショナリズムが対抗していた。そこから欧州が離脱し、アラブとユダヤの二項対立・全否定の関係となった。
○ゴラン高原はイスラエルがシリアから奪ったものであり、構図はわかりやすい。一方、ヨルダン川西岸やガザ地区は「誰から奪った」かが明確でないため、「誰に返すか」もはっきりしない構図。というのも、お互いに相手を認めないからだ。その意味で、返す相手を設定したオスロ合意(1993、1995年)は、ゼロから1になったという大きな意義があった。
○パレスチナ自治が拡がって行ったが、イスラエルに自治地域間を封鎖されてしまうと、都市間の移動が不可能になった。むしろ移動に関しては占領下のほうが自由であった。つまり自治により閉塞感が強まるという逆説だが、このことに国際社会は気付かない。
○パレスチナは、ヨルダン川西岸のファタハとガザ地区のハマスとに分裂した。ハマスはイスラエルを認めない集団であり、ハマスの総選挙での勝利には国際社会は困惑した。
○占領下におかれた時間の長さという非対称的な力関係を考慮に入れる必要がある。
○国家はカネの使い道にプライオリティを付けるものである(例:戦後日本)。一方、パレスチナでは「一度に全部やりたい、そのために援助が必要だ」という論理であり、国を作っていき一体感を醸成する形でなくなっている。
○和解協議は責任不在による持ち越しの連続である。特に、治安組織をハマス、ファタハ、イスラエルがどのように持つのかが難しい問題であり、和解を不可能なものとしている。
○インターネットでの情報の遮断は行われていない。しかし、意識の共有が進まないのは、相手の情報にアクセスしたくないという心理的な要因が働いているからではないか。特に壁の構築が大きな分岐点となった。
○パレスチナの政治的一体性を確保した方が国際的には都合がよいのであり、窓口をひとつにするプロセスには国際社会はあまり立ちいってはならないのではないか。2006年のハマス勝利以降の国際社会介入は判断ミスであった。

(2) 立山良司(防衛大学校) 「中東和平の現状と日本:対パレスチナ援助の現状と問題点」

○1994~2009年の対パレスチナODA援助合計は157億ドル、うちDAC(OECD開発援助委員会)諸国は74億ドル、うち日本は10億ドル。
○日本の対パレスチナ援助の中には、ヨルダン川西岸地域へのごみ処理施設+システム導入なども含まれている。
○パレスチナ経済は貿易収支が大幅赤字という特徴を持ち、支援が赤字の半分以上を補填する構造となっている。また、直接投資がきわめて少ない。
○イスラエルの封鎖により、ガザ地区の1人あたりGDPは急減している。
○イスラエルの占領政策による「de-development」(サラ・ロイ:「経済の内在的な成長に必要な(資本などの)投入が妨げられているため、経済の成長・拡大の能力が蝕まれ弱められるプロセス)、援助依存体質の拡大援助を受ける一部の人々の金持ち化・腐敗和平より日常生活への関心のシフト占領者が持つ実権、といった特徴もある。
○ハマスの中にもいろいろな者がおり、また地域によっても異なる。ハマスがいないふりをすることはできないのであり、公的にも私的にも聴く耳を持つ必要がある。

※de-development、援助漬け、一部の歪な肥大、当事者が持たざる実権など、沖縄に重なる点が多い。

(3) 田中好子(パレスチナ子どものキャンペーン)

○(池田氏の指摘に関して) パレスチナではNGOが昔から活動しており民度が高い。そのため、開発独裁が難しい。
○ガザ地区では8割の人が援助物資に頼っている。
○建設物資以外はカネで手に入る。停電が多いという問題もある。
○facebookが盛んだが、それで知り合って大学の前で歩いていた男女がハマスに拘束されたという事件があった。すでに文化的拘束がはじまっている。

●参照
ソ連のアフガニスタン侵攻 30年の後(2009/6/6)
ガザ空爆に晒されるひとたちの声
酒井啓子『<中東>の考え方』
酒井啓子『イラクは食べる』


カマル・タブリーズィー『テヘラン悪ガキ日記』『風の絨毯』、マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』

2010-08-28 21:57:24 | 中東・アフリカ

カマル・タブリーズィーの新旧2作品、『テヘラン悪ガキ日記』(1998年)と『風の絨毯』(2002年)、それから、マジッド・マジディ『運動靴と赤い金魚』(1997年)を観る。

■『テヘラン悪ガキ日記』
ストリートチルドレンのメヘディは母親を早くに亡くし、親戚に邪険に扱われて盗みを働いた揚句、少年院に入れられている。母親が死んだというのはウソで、本当の母親がどこかにいるという妄想を抱いている。その理想像(彼にとっての現実)は、新聞の切り抜き写真であり、それにそっくりな女性が指導係として現れた途端、母親が来たと思い込む。メヘディは少年院を脱走し、女性とその娘(メヘディにとっては妹)につきまとう。女性は夫をメヘディのようなストリートチルドレンに殺されたという過去を持っていた。

イランの当時の社会問題が織り込まれているが、演出に工夫ひとつなく、映画的な空気を感じることはできない。また、少年メヘディは愛嬌があるものの、異常な妄想癖があるがために、感情移入することが難しい。何か悲惨な出来事が待ち構えているのではないだろうかとハラハラし、早く解決してほしいと権力者のような視線で観てしまうのだ。

■『風の絨毯』
日本とイランとの共同制作。事故で亡くなった妻(工藤夕貴)が作ろうとしていたペルシャ絨毯をイランの工房に発注した夫と娘は、それを受け取りにイスファハンまで赴く。しかし、発注ミスでまだ少しも出来ていなかった。決裂寸前、馬車曳きの少年のアイデアで、わずか2週間での制作に入ることになる。

三國連太郎や工藤夕貴の演技が良いが、彼らはすぐに画面から姿を消す。やがて、母を亡くした少女がイラン社会で心を開いていく話に収斂していくのだが、この演出がやはり平板的で、評価すべきところがない。タブリーズィーの最新作は、アースマラソンを行う間寛平を主役にした『ランアンドラン』(2010年、一般未公開)だが、ちょっと期待できないかもしれない。

■『運動靴と赤い金魚』
少年アリは妹ザーラの靴を亡くしてしまう。怖い父親にも病気の母親にも言えない。当分、学校には兄妹で一足の運動靴を共有して通う。恥ずかしい、お父さんに言いつけるからねとべそをかくザーラ。綺麗なペンをザーラにあげたりして、何とか誤魔化したいアリ。そんなとき、マラソン大会の3等の商品に運動靴が出ることを知ったアリは、先生に泣きついて出場させてもらう。毎日運動靴を取り変えるために急いで走った甲斐あって、1等でゴールしてしまう。涙目のアリ。

タブリーズィーの駄目な演出を観た後だけに、マジディの子どもの描き方や、まさに「ランアンドラン」の工夫が秀逸に感じられる。他の子どもたちの靴ばかりを見つめるザーラの視線や、拾った靴を履いていた少女の家が貧しいと知るや言い出せなくなる兄妹の表情がたまらなく良い。一心不乱に走りすぎて3等になれなかったアリは俯き、ザーラもがっかりしてしまい、家の池に入れたアリの裸足には赤い金魚が寄っていく、これは涼やかで詩的だ。他のマジディ作品も観たいところだ。


レンタル落ちVHSはもはや100円

●参照 イラン映画
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』


バフマン・ゴバディ(4) 『亀も空を飛ぶ』

2010-08-19 00:10:39 | 中東・アフリカ

バフマン・ゴバディが傑作『半月』(2006年)の前に取った作品、『亀も空を飛ぶ』(2004年)を観る。イラク北部のクルド人居住地域、現在はクルディスタン自治区となっているところが舞台となっている。米国によるイラク戦争の前、サダム・フセインは長い弾圧を続けていた。

子どもたちは、地雷を掘ってその日暮らしのオカネを稼いでいる。地雷により足を無くした子もいる。村に定住していた人だけではなく、流れてきた難民たちもいる。「サテライト」という渾名の少年は、子どもたちの隊長分として、地雷掘りを仕切り、大人と交渉し、衛星放送を観るためのアンテナを付け、危いほど必死に生きている。彼は米国に妙な憧れを持っている―――地雷も「米国製」だというのに。サテライトの前に現れた、両手のない少年ヘンコフとその妹アグリン、そして幼児。ヘンコフには、突然未来が見える能力があった。逆にアグリンには、イラク兵に襲われた過去がフラッシュバックとして見えてしまう。幼児はアグリンにとって、その過去の呪われた子であった。子を殺すアグリン、ヘンコフはその様子も、フセイン像が倒される未来も、突如イマジナリーな映像として見る。

悲惨さを極める話とは対照的に、映画はまるでお伽話のような閉ざされた性格を持っている。しかしそれが、閉ざされざるを得なかった故に形成されたコミュニティであるからこそ成立している。そして暴力的に楔のように、しかし無邪気に世界に入り込んでくる米軍(邪気を孕んだ無邪気という米国)。その姿を前にして、サテライトは混乱する―――まるで、J.G.バラード『太陽の帝国』において、上海租界の軍国少年であったジムが幻想を粉々に砕かれたときのように。トラウマという過去、現実かどうかよくわからない現在、超能力によって幻視する未来が同じ世界に存在し、見事な作品になっている。その未来も、イラク戦争を見たばかりのゴバディが遡った過去だと考えれば、クルド人たちの追い込まれた世界を創りあげようとするゴバディの執念のようなものが感じられる。

ゴバディのインタビューを読むと、こんな発言がある。「強大な外国人たちには、私たちに天国を創り出す力などない。彼らは私たちを利用して、自分たちが楽しむための素晴らしい場所を得ているのだ。

もちろんこれは、<帝国>に向けられたゴバディの一刺しである。

●参照
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
バフマン・ゴバディ(3) 『半月』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル
ユルマズ・ギュネイ(1) 『路』
ユルマズ・ギュネイ(2) 『希望』


バフマン・ゴバディ(3) 『半月』

2010-08-14 00:42:20 | 中東・アフリカ

バフマン・ゴバディ『半月』(2006年)を観る。最新作『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)ではテヘランの若者たちを描いたゴバディだが、その前の本作まで、出自のクルド民族を描いていた。

イランに住む老人マモは、クルド人なら誰もが知っている歌手である。イラク領クルディスタン地域でコンサートを開くため、7か月待って政府承認を得て、息子たちを連れてバスで出発する。途中、学校の先生をしている自分の娘を拾っていこうとするが、マモは夫の反対と生徒たちの姿を見て残るように命じる。マモは、コンサートには女性の歌手が必要だと主張し、立ちいることが禁じられた村に立ち寄る。そこは、外で歌うことができない女性歌手たち千人以上が住む村であった。国境で荷物の下に女性を隠すも、軍に見つかってイランに連れ戻されてしまうばかりか、楽器までも壊される。旧知のクルド人歌手が住む村に行くと、電話で再会を伝えられた友人は喜びの余りに死んだあとだった。絶望するマモを連れてイランに戻ろうとするバスに、突如、不思議な女性が現れる。

ゴバディの描写には深いユーモアがある。バスの向こうで親密に踊る男女の足だけを写し、こちら側では子どもたちがアコーディオンを愉しそうに演奏する。狂言廻しの役を演じるバス運転手は、テープなしでヴィデオカメラを回していたことに気づき、俺はなんて無駄なことをしていたのかと泣いてみたりする。このおっちょこちょいは、元気に皆を連れていくはずが、次第に受難の相を見せはじめていく。どのシーンもひたすら巧く、可笑しく、哀しい。

そして、イラン北部、山腹にびっしりと連なる石の家々の風景には息を呑む。千の歌い女の村も、突然イメージが跳躍し、驚かされてしまう。千の声が共鳴する村に入るマモを取り囲む女性たち。皆が手に太鼓を持ち、静かにトコトコトコと叩きだすのだ。

出発前のマモは、四角い穴の中で呆然と寝転がり、女性が棺桶を曳く姿を幻視する。映画が終わるころ、この不思議なシーンに回帰し、観る者は運命の恐ろしさにハッと気が付く。ニコラス・ローグ『赤い影』に勝るとも劣らない手腕だ。

ゴバディは素晴らしい映画作家であることが、確信できる作品である。

●参照
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル


バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』

2010-08-11 00:56:47 | 中東・アフリカ

バフマン・ゴバディの最新作、『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)。映画館に行けるか不安なので、DVDを入手した。円高ゆえその方が却って安い。ゴバディは本作を撮ったあと、イランに戻ることができない状況になってしまった。

大好きな日本へ行きたかった。しかし、パスポートの査証ページがなくて、その再発行(増補)をしようとしたけれど、イラン大使館から「イランに戻らなければ発行しない」と言われた。今の私がイランに戻るということは、刑務所に入れられるか、二度とイランの外へ出られないということ。私はイラクのクルディスタンを第二の母国として、新しい国籍のパスポートを得たい」(「中東カフェ」より引用

巷の評判通り、冗談抜きに素晴らしい出来。冗談抜きにというのは、無許可で撮られたテヘランの断片であるらしいからで、また、素晴らしい出来というのは、本当のアンダーグラウンドであるからだ(日本のアングラは構造的にシュミと化している)。音楽が体制批判や変革の力を持つのは不思議なことではなく、インタビュー映像でも、そのために投獄されることは珍しくないと出演者が発言している。

音楽はインディー・ロックだけではない。民族音楽も、ペルシャ語のラップも、子どもたちに弾き語るギターもある。そしてそれらは、隠れたライヴハウスや、個人宅でのパーティーや、農地や、牛小屋や、高速道路脇の高台でのパフォーマンスであり、さらに、テヘランの隠し撮りされた風景がヴィデオ・クリップのように構成される。いや~、かっちょいいね。

DVDの特典映像として、撮影の裏話を収めた1時間ほどのドキュメンタリーがあった。この手のものは自画自賛に満ちていて退屈なことが多いが、これは面白かった。17日間だけで朝から晩まで使って撮られたようで、カメラマンも音声も「ゴバディにつきあうのは大変だったが、それだけの体験ができた」と嬉しそうに語っている(まさかその後、ゴバディが帰れなくなるとは)。実際にその場でどんどんイメージを膨らませてプロットや撮影方法を変えていくゴバディの様子に惹きつけられる。

ジャファール・パナヒの拘束といい、アフマディネジャド独裁政権の下でイラン映画の才能が失われるのは損失に他ならないように思える。

●参照
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
酒井啓子『<中東>の考え方』(プロテストの手段としてのラップに言及)


ユルマズ・ギュネイ(2) 『希望』

2010-07-25 15:03:12 | 中東・アフリカ

ユルマズ・ギュネイのDVDボックスの1枚、『希望(Umut)』(1970年)を観る。ギュネイはトルコにおいてクルド人として生まれ、後年、反体制的な映画を撮っているとの咎で長い獄中生活を送ることになる。この作品はそういった状況に追い込まれる前ではあるが、やはりトルコで上映禁止となり、4年後に恩赦でトルコの人びとの目に触れる前の1971年、カンヌ映画祭で発表されている。

乗合馬車の御者として生計を立てる主人公のジャバル(ギュネイ自身が演じている)。古い馬車は営業を禁止されつつあり、タクシーにも客を奪われ、ジャバルはまったく稼ぐことができない。泣き叫び言うことを聞かない子どもたち、ヒステリックに荒れ狂う妻。宝くじを買い続けるも当たることはない。ある時、金持ちの自動車に馬をひき殺されてしまうが、警察は金持ちの味方である。借金が返せない、そんなジャバルの前に一攫千金の話を持ちかける男が現れる。すがる思いで、神託を下す怪しげな聖人とともに、川べりに宝が埋まっているはずだと掘りに出かける。何日掘っても何も出てこない穴の横で、ジャバルは発狂し、よろよろと回り続ける。

こんな救いようのない物語が、体制批判と捉えられたのは当然でもあっただろう。馬をひいた金持ちは真っ先に車の傷を調べ、ジャバルを罵る。ジャバルはぎらぎらとした眼で怒りをあらわにし、「人の馬を殺しておいて、車のペイントのことなど言いやがって・・・」と殴りかかっていく。警察でお前が一方的に悪いのだとけんもほろろに扱われ、その怒りは行き場を失う。また、新しい馬を買うためにさまざまな金持ちに借金を無心に行くが、プールサイドでの彼らの生活に何ら割り込むことができない。階級社会に向けられたギュネイの怒りなのである。

主張だけではなく、映画として巧妙で力を持った描写には目を引き付けられるものがある。貧しいジャバルのポケットをさらに狙うスリ。ジャバルはそれに気付き殴りつける。回転するカメラ、突如俯瞰して上から諍いを眺めるカメラ。そして最後のジャバルの暗黒舞踏には、唾を飲み込むことを忘れてしまう。白黒の撮影技術も一級品である。

マルセル・マルタンは、「メロドラマに陥る」こと、「巧い逃げ道の役に立つ、ある造形的なこぎれいさ」、「紋切り型で口あたりのよい見世物に変えてしまう表面的な美しさ」がすべて避けられていることを、イタリアン・ネオレアリスモとの比較において論じている(特にヴィットリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』)。
(『ユルマズ・ギュネイ リアリズムの詩的飛躍』(欧日協会・ユーロスペース、1985年)所収)

●参照
ユルマズ・ギュネイ(1) 『路』


イエメンの映像(2) 牛山純一の『すばらしい世界旅行』

2010-07-22 00:29:03 | 中東・アフリカ

テレビディレクターの故・牛山純一は、『すばらしい世界旅行』や『知られざる世界』を手がけている。残された映像が、BS朝日の『牛山純一 20世紀の映像遺産』という番組でピックアップされ、放送された(番組は既に終了)。この中に、イエメンを取材した『これがアラビアンナイトの王様だ!!』(1978年)と題された『すばらしい世界旅行』の回がある。

イエメン統一は1990年、取材先は当時の北イエメン、カミールという街である。

このあたりを治めるアブダラ・アマール殿下という「4万の兵隊を抱える」部族長がドキュメンタリーの主役だ。殿下のもとに、さまざまなトラブルが持ち込まれる。曰く、「隣村から嫁入りがあったが、実はとんでもない女性で、離婚しても持参金を返さなかった。すると、向こうが強引に宝石やカネを獲って行った。復習したい。」 これに対し、殿下は調停を行う。ロールプレイのようなものであり、難しくても威厳を示すためのハレの舞台なのだ、とのナレーションが入る。

室内はお決まりのカート(少し酔う葉っぱ)と水煙草。なぜか調停を、丘の上で行ったりもする。調停前にも、後にも、昂る気分で腰のジャンビヤを抜き、ダンスをする。殿下は何故か刈り入れ(何の穀物だろう?)を手伝う。

何度観ても奇妙なドキュだ。当時イエメンに行ったことのある人なんて非常に少なかっただろう。お茶の間で流されるこの映像は、とてもミステリアスなものであったに違いない。渋い久米明の声で、訳が解らなくても、とりあえず放置してよい気分になる。


カートを噛む


カート


丘の上で調停


ジャンビヤ・ダンス


刈り入れ

なお1978年は、現・サレーハ大統領が北イエメンの大統領の座に就いた年である。私が訪れたのは98年ころだが、街中ではサレーハの肖像がそこかしこに飾られていた。サレーハの「ハ」をはっきり発音していたら、それは女性の名前になってしまうぞ、しかし奴にはそれで十分だぜ、などと嘯く男がいた。

この時代から大統領も変わっていないし、イエメンが部族社会であることも変わっていない。これには、山あり谷ありの地形にあって、それぞれの街が天然の要塞となっていることが大きく影響しているようで、実際に、オスマン帝国もイエメンを版図に入れるのに大変な難儀をしたようなのだ。アル・カーイダが拠点をここに移したのも、地形的な面が大きいに違いない。

●参照
イエメンの映像(1) ピエル・パオロ・パゾリーニ『アラビアンナイト』『サヌアの城壁』
イエメンとコーヒー
カート、イエメン、オリエンタリズム
イエメンにも子どもはいる


イエメンの映像(1) ピエル・パオロ・パゾリーニ『アラビアンナイト』『サヌアの城壁』

2010-07-04 23:12:09 | 中東・アフリカ

ピエル・パオロ・パゾリーニについては、天才とか変態とかいった表現よりも、無限の業を背負った表現者であったと言うべきなのかもしれない。『アラビアンナイト』(1974年)もパゾリーニならではの奇怪な作品である。現在出ているDVDなどはどうなのか知らないが、随分前、あまりにも観たくて輸入版のVHSを購入したところ、モザイクも「フハフハ」(丸谷才一風)も皆無で、底なしのエロエロぶりに圧倒されてしまった。


パンフレットも探しだした

ちょうど、バートン版『千夜一夜物語』(角川文庫)を読み進めていたころで―――と言っても、まだ3巻くらいで抜け出したままなのだけど―――、映画に採用された物語をいくつも発見することができた。どこを切っても残酷で不条理極まる艶笑譚である。

映画はたった2時間強だが、それでも語りによる物語がハチャメチャに続いていく。従って要約は難しい(そのため、観るたびに忘れる)。映画に使われなかったフィルムと後述の『サヌアの城壁』を、以前にDVDで入手したのだが、これを観ると、やはり、落とさざるを得なかったであろうフッテージがあったことがわかる。このために、映画では不自然になってしまっている挿話があるのだ。こればかりは仕方がない。

また、いい加減にしろ、と言いたくなるような設定(>> たとえばこれ)も少なくない。もちろん、貶しているわけではない。じっとりと熱くてエロエロ、無敵の映画だ。今までに何度も観たが、子どもが寝静まっているとき限定で、今後も観てしまうことだろう。

見どころは、どうしようもないディテール描写だけでなく、イエメン、イラン(イスファハン?)、ネパール(カトマンドゥ)でのロケだ。イエメンとイランは近くであるかのように想定されているが、ネパールは、インドの王に浮気の罰として猿にされてしまった男が連れてこられる場所である。なかでもイエメンの時間が長く、サヌアザビード、あるいは近くの街の風景が映し出されている。イランにしてもパーレビ王朝時代、イラン革命前であったから、このような不届きな映画のロケが許可されたに違いない。

イエメンは近代化から取り残されてしまったような国であるから、私が訪れた1998年でも映画とさほど変わらない。とはいえ、王女の住処という設定のロック・パレス(かつてイマーム・ヤヒヤという王が住んでいた)の映像と写真を見比べてみると、荒野の中で何となく周辺がこざっぱりとしている(ような気がする)。また、パゾリーニは同時期、『サヌアの城壁』(1974年)という短いドキュメンタリーを作っており、そこに出てくるサヌアのバーバルヤマン門の周辺はやはりいかにも古い。


ロック・パレス(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia 100、DP

『サヌアの城壁』は、ユネスコにサヌアの保護を訴えるためのフィルムのようで、イタリア語はまるで解らないが、「ユネスコ」という言葉が連呼される。映画の最初は、イエメン国内の道路工事が記録されている。昔から中国人が工事に従事していたため、中国風の墓がサヌア近郊には存在する。カメラはそれだけでなく、商店に並ぶ中国製の食品なども記録しているのが面白い。また、サヌアの古い街並みには威圧されるほかはなかったようで、ただ壁面や窓の漆喰のディテールを舐めるように追っている。


商店の缶詰(『サヌアの城壁』より)


サヌアの建物の漆喰(『サヌアの城壁』より)


買ってきた建物のおもちゃは、まだ大事に飾っている

●参照
イエメンとコーヒー
カート、イエメン、オリエンタリズム
イエメンにも子どもはいる


サミラ・マフマルバフ『ブラックボード』

2010-07-03 23:08:49 | 中東・アフリカ

サミラ・マフマルバフ『ブラックボード ―背負う人―』(2000年)を観る。父親がモルセン・マフマルバフ、妹がハナ・マフマルバフ、映画一家か。1980年生まれだというから、この映画を撮ったとき、この女性はまだ20歳前後だった。それにしてはステレオタイプでもベタベタでもなく、随分と手練れの印象がある作品だ。

映画は、黒板を背負った男たちが土と岩の山道を歩いている場面からはじまる。生徒を探して歩き続けている教師たちである。それぞれ行く方向が別れてゆき、画面に残ったふたり(そのひとりは、先日来日できなかった映画監督のバフマン・ゴバディ)も、村の方向と山の方向へと別れる。それぞれ、遭う人ごとに生徒はいませんか、何か教えますよと声をかけるが、ことごとく冷たくあしらわれてしまう。

子どもたちは、大きい荷物を持って、イランからイラク側へと密貿易をしている。名前を教えたりしているうち、次第に溶け込んでいく。老人たちは、どうやらクルド人らしく、追い出されてイランを放浪していたものの、故郷のイラク側にやはり入ろうとしている。こちらは固陋で、何か教えるという展開になりそうもない。

やがてそれぞれの一行は国境に近付く。密貿易の途中で兵士に見つかりそうになって必死で逃げるのは、ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』(これも2000年)でも何度も使われたプロットだ。子どもたちは羊の群れに四つん這いで紛れ込むも、イラクの兵士に見つかり、次々に撃ち殺されていく。

また老人たちも兵士から逃げる。そのなかにいた女性は、「ハラブチェと同じだ。毒ガスでやられるんだ」とうわごとのように繰り返す。ハラブチェとは、イラクのクルド人地域の町であり、サダム・フセイン政権がイラン・イラク戦争の際に化学兵器でクルド人たちを攻撃した歴史がある。

それにしても奇妙なストーリーだ。いま勉強しなければならない子どもたちにとっても、勉強の時期を過ぎてしまった老人たちにとっても、生きること、死なないことで精一杯で、黒板を使ってあらためて勉強をはじめるなど非現実的である。それに、黒板を背負って行商人のように移動する教師などいるのだろうか。しかし、そのために却って、メッセージ性が強烈なものとなっている。

イラクの故郷に帰っていくクルド人の老人たちは、霧の中に吸い込まれていく。まるで、テオ・アンゲロプロス『霧の中の風景』(1988年)のようだ。あの哀れな姉弟と同じく、老人たちはどうなっていくのだろうか。フセインが拘束されるのは、映画から3年後の2003年である。

●参照
バフマン・ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル


バフマン・ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』

2010-06-27 18:16:06 | 中東・アフリカ

イラン生まれのクルド人、バフマン・ゴバディのデビュー作『酔っぱらった馬の時間』(2000年)を観る。

イラン北部、イラクとの国境近くに住むクルド人たち。その多くが密輸で生計を立てている。監視員もいる、雪が積もる山間部の国境。あまりにも寒く過酷な道のりのため、密輸品を運ばせる馬には酒を飲ませている。主人公アヨブは子どもだが、両親がいないため、兄弟を養うためにも学校に行かず日雇いの密輸を手伝う。それでも障害のある弟マディに手術を受けさせるほどのオカネはない。そして、姉は、マディを引き取ってもらうとの条件で嫁いでいく。しかし、嫁ぎ先では、こんな子は引き取れないとヒステリックに騒ぐ。すべてを泣きそうな顔で聴いているマディ。

まるでドキュメンタリーのように淡々とした演出のためか、より哀しさも面白さも滲み出ている。出演する子どもたちは実際にクルド人だということだ。

ゴバディの新作『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)はテイストが全く異なり、都会テヘランの若者たちを描いているらしい。試写会を観た友人が、ロックが本当にかっちょいいと教えてくれた。「中東カフェ」でも上映と監督のトークがあるということで、無理しても駆けつけようかと思っていたのだが、ゴバディの来日がキャンセルとなって中止になってしまった。無許可での撮影を行い、イラクのクルド人地域に滞在するゴバディは、先日拘束されていたジャファール・パナヒと同様、現独裁政権から見れば煙たい存在に違いない。

大好きな日本へ行きたかった。しかし、パスポートの査証ページがなくて、その再発行(増補)をしようとしたけれど、イラン大使館から「イランに戻らなければ発行しない」と言われた。今の私がイランに戻るということは、刑務所に入れられるか、二度とイランの外へ出られないということ。私はイラクのクルディスタンを第二の母国として、新しい国籍のパスポートを得たい」(「中東カフェ」より引用

●参照
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル