Sightsong

自縄自縛日記

バフマン・ゴバディ(3) 『半月』

2010-08-14 00:42:20 | 中東・アフリカ

バフマン・ゴバディ『半月』(2006年)を観る。最新作『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)ではテヘランの若者たちを描いたゴバディだが、その前の本作まで、出自のクルド民族を描いていた。

イランに住む老人マモは、クルド人なら誰もが知っている歌手である。イラク領クルディスタン地域でコンサートを開くため、7か月待って政府承認を得て、息子たちを連れてバスで出発する。途中、学校の先生をしている自分の娘を拾っていこうとするが、マモは夫の反対と生徒たちの姿を見て残るように命じる。マモは、コンサートには女性の歌手が必要だと主張し、立ちいることが禁じられた村に立ち寄る。そこは、外で歌うことができない女性歌手たち千人以上が住む村であった。国境で荷物の下に女性を隠すも、軍に見つかってイランに連れ戻されてしまうばかりか、楽器までも壊される。旧知のクルド人歌手が住む村に行くと、電話で再会を伝えられた友人は喜びの余りに死んだあとだった。絶望するマモを連れてイランに戻ろうとするバスに、突如、不思議な女性が現れる。

ゴバディの描写には深いユーモアがある。バスの向こうで親密に踊る男女の足だけを写し、こちら側では子どもたちがアコーディオンを愉しそうに演奏する。狂言廻しの役を演じるバス運転手は、テープなしでヴィデオカメラを回していたことに気づき、俺はなんて無駄なことをしていたのかと泣いてみたりする。このおっちょこちょいは、元気に皆を連れていくはずが、次第に受難の相を見せはじめていく。どのシーンもひたすら巧く、可笑しく、哀しい。

そして、イラン北部、山腹にびっしりと連なる石の家々の風景には息を呑む。千の歌い女の村も、突然イメージが跳躍し、驚かされてしまう。千の声が共鳴する村に入るマモを取り囲む女性たち。皆が手に太鼓を持ち、静かにトコトコトコと叩きだすのだ。

出発前のマモは、四角い穴の中で呆然と寝転がり、女性が棺桶を曳く姿を幻視する。映画が終わるころ、この不思議なシーンに回帰し、観る者は運命の恐ろしさにハッと気が付く。ニコラス・ローグ『赤い影』に勝るとも劣らない手腕だ。

ゴバディは素晴らしい映画作家であることが、確信できる作品である。

●参照
バフマン・ゴバディ(1) 『酔っぱらった馬の時間』
バフマン・ゴバディ(2) 『ペルシャ猫を誰も知らない』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル


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