6月13日
坂田雅子さんのドキュメンタリー映画「花はどこへいった」を見てきた。
このフイルムを見る前に、ご本人とお話させていただく機会があり、とても素敵なかたで、この人がなにかするとき、ぜひお手伝いをさせていただきたいとは思ったが、まずはフイルムをみて、それから考えようと思った。
70分のフイルムはいきつく間もなくあっという間に終了し、見る前に思っていたことが切実となった。
ご主人が肝臓がんで亡くなり、べトナム戦争で浴びた枯葉剤が原因でないかと指摘した友人のことばから、枯葉剤について調べはじめたということである。
それまで、彼女は結婚する時、枯葉剤を浴びているので子供は作れないとはいわれたが、結婚後、枯葉剤について彼の口にのぼったことはなかったし、思いだしたこともなかったらしい。
その時、原爆被爆者の方達が語り部になるのに大変な決心をして、自分が話さなければ原爆の苦しみは忘れられてしまうということではじめたという記事を思い出し、ご主人の苦しみと重ねあわせると、重い苦しみは人に話すには耐えられないことなんだと思った。
「知ることで世界が見えてくる」みたいなことばがあり、まさしく、このフイルムをみることで、今私達が住んでいるこの国の35年前に終結したはずの戦争のその後が、まだ続いているということがわかった。
アメリカを対戦相手にした日本は、たった2発の原爆で65年たってもいまだ苦しんでいる人たちがいる、35年たったベトナムの苦しみはまだ若いし、これからも続くことであろう。
坂田さんは、アメリカ人でなく、ベトナム人でなく、なぜ日本人がこれをやるかというと、当事者にはあまりにも現実すぎて現実から目をそらしていたいから、だからこそ彼女が発信しなければならないとおっしゃる。
この国で暮らしていて、お金を稼いで幸せになりたいというすごいエネルギーに圧倒されたり、こずるさにだまされたり、したたかさにいやになることがある。
それはそうとして、この国にご縁ができ、ここで生活させていただいているうえ、戦後世代でありながら、戦争の残したものを学習している私たちに、どんなお手伝いができるのか……
ご本人が何を望んでいるのか、何を期待するか、時間をかけてお話を伺いながらあせらず、自分のできることでお手伝いさせていただきたいと思っている。