鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.冬の取材旅行「白河~南湖~須賀川」 その3

2014-01-14 05:32:34 | Weblog

 白河市立図書館を出たのが15:10頃。

 主要駅としては珍しい、レトロなJR白河駅(大正時代の駅舎)を左手に見て、駅前の「白河駅周辺案内図」で白河市街の大体の様子を確かめました。

 JR白河駅の北側にあるのが「城山公園」で、これが小峰城跡(白河城跡)。

 JR白河駅の南側が「大手町」や「中町」で、そこを東西に走っているのが「旧奥州街道」(国道294号)。

 「城山公園」の右手には「郭内」と記されたところがありますが、「三の丸」があったのはおそらくこのあたり。したがって「三郭四園」という庭園があったところもこのあたりであると思われました。

 「郭内」には、「福島地方裁判所白河支部」「白河拘置支所」「福島森林管理署白河支所」「県南保健福祉事務所」「白河年金事務所」「白河労働基準監督署」「白河小峰城合同庁舎」など地方公共機関が集まっており、変わったところでは、「戊辰戦争 薩摩藩戦死者の墓」が記されています。

 その左手(西側)にあるのが、「国指定史跡 小峰城跡」。

 白河市立図書館の北側の窓から、JR東北本線の線路越しに見えたあの石垣です。

 案内図を見た後、市街を少し歩き回り、途中「中町」の解説板を見掛けました。

 それによると、町の両側が城下町特有の「カギ形」で、天神町・本町と接しているとのこと。

 城の正面入口にあたる大手(追手)があり、また、諸藩の使者を応接する屋敷や、幕府・藩のお触れ書を掲示する「高札場」など公的な施設も置かれるなど、小峰城の玄関口とも言える町であったという。

 白河市立図書館の西方へと出て、駅前の駐車場に戻り、車で小峰城跡に向かいました。

 小峰城跡の東側やや外れにあった空き地に車を停め、小峰城跡へと近づいていったところ、工事用の鉄柵があり、そこには「立入厳禁」の掲示がなされていました。

 その掲示には、次のように記されていました。

 「3月11日の大地震により小峰城の石垣は大きな被害を受けました。石垣の復旧が完了するまでの間、三重櫓、バラ園については、立入禁止といたします。当分の間、ご不便をおかけしますが、ご協力の程お願いいたします。  白河市」

 復旧工事に携わっているらしい工事関係者の姿も見掛けました。

 その掲示によれば、白河市立図書館から見えた小峰城の石垣の上に見えたお城らしい建物は、「三重櫓」であるらしい。

 小峰城跡に向かう時、行く手前方に天守閣のようなものが見えましたが、あれは「三重櫓」であるようです。

 東日本大地震による被害を、この小峰城跡も石垣が崩れるなど大きく受けていたことを知りました。

 ということで城跡には入らず、車へと戻り、予約してある宿舎(ビジネスホテル)へと向かいました(15:50頃)。

 

 続く

 

〇参考文献

・『江戸絵画と文学』今橋理子(東京大学出版会)

・『生誕250周年 谷文晁』(サントリー美術館)



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