鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008年 夏の北海道西海岸・取材旅行 「風連別 その1」

2008-09-19 03:49:25 | Weblog
 海岸沿いの道の前方には日本海が大きく広がっています。海と丘陵の間には、石混じりの浜辺と、それにつながる平地が広がっています。かつてはこの平地に、人家やニシン船の倉や網を納めておくための倉などが点在していたのでしょう。

 道路沿いにバス停がありますが、それはみな小さなログハウスになっています。冬の日本海から吹いてくる強い風や、雨、また寒さに対処するためのものであるに違いない。

 浜辺には、白いカモメの群れが羽を休めています。

 12:32に黄金岬の駐車場に到着。海岸は岩が露出している荒磯です。

 「海のふるさと館」に続く石段に上がり、これから車で進んでいく方向をカメラにおさめました。薄曇で肌寒く、初冬のようでもある。しばらく前に降った雨のために路面は黒く濡れています。ここの駐車場の広場には、テントを張っているキャンパーたちも幾組かいました。

 レンタカーの走行距離を確かめてみると、小樽から札幌・留萌・増毛を経由して、ここまですでに302kmを走っています。

 留萌の市街に入ったのは13:00頃でした。

 さて、兆民ですが、彼は明治24年(1891年)9月3日の正午に、この留萌に到着しています。もちろん道産子の背中に乗った状態で。ここで彼と宮崎伝(北門新報社社員で案内人)は昼食を摂り、馬を取り替えて鬼鹿方面に出発します。この留萌で彼が関心を示したものは港と遊郭の娼婦(売春婦)たちでした。留萌の港は、大船を停泊させることの出来ない増毛の港に較べれば、豪雨の時に土砂が流れてきて海底が浅くなる懸念はあるものの、兆民の目には、「他日良港と為(な)る資格」を具えているように見えました。

 彼の目に入ったのは、港のようすとともに、町で男たちに春をひさぐ女たちの姿でした。顔に白粉(おしろい)で白く塗り、唇を紅で赤く塗った、派手な着物を着た女たち。兆民の目は、そういった女たちに厳しい目を向けています。「牝馬牛」と書いています。「我れ是に於て、北海道の一大淫国たるを知る」。注目すべき記述は、「此(この)先到処(いたるところ)皆然(しか)らざる莫(な)し」というところ。つまり、留萌から先、稚内に至るまでの道々で、兆民は、いたるところでこのような女たちを見かけたのです。

 これは、当時の二シン漁の繁栄と深く関係していたでしょう。ニシン漁期(2月末から6月頃まで)には、東北地方を中心とした地域から、季節労働者として多数の若者たちが西海岸のニシン漁場にやってきました。彼らは、その多くが東北地方の農家の次男坊や三男坊。3ヶ月ほど働いて現金収入を得ると、故郷に戻っていきました。彼らは、ニシン番屋に寝泊りしましたが(漁の時は沖合いの船の上で寝る)、天候のために長く漁に出られない時や、給金を手にした後は、遊郭に出向き女と遊ぶことがあったに違いない。また行商に訪れた商人たちも、遊郭の女と遊ぶことがあったと思われます。

 この遊郭などで働く女たちも、実は東北地方や北海道の貧しい村々からやって来た(多くは売られてきた)女たちでした。まだうら若い、娘同然の女性もいれば年増の女性たちもいたことでしょう。

 私は先日、横浜の本牧(ほんもく)を歩きましたが、ここにはかつて「チャブ屋」がありました。「チャブ屋」とは、おもに横浜の居留地の外国人や外国船の船乗りたちを相手にした私娼のこと。戦後、本牧一帯がアメリカの進駐軍の撤収するところとなると、そのアメリカ人兵士を相手とする花街が出来ました。土地の方に伺ったところ、そこで働いていた女性たちは、やはり東北地方の貧しい村の出身のものが多かったという。

 ニシン漁の繁栄は、その漁場として栄えた町に、遊郭を生み出しました。そのことはまた、北前船の寄港地に(いたるところで)遊郭が出来ていたことを思い起こさせます。

 莫大な冨と男が集まるところには、遊郭が生まれ、またそこで働く女たちが集めれます。逆に、遊郭や女たちを集めて、集客をはかろうとする試みは、今まで各地の宿場町などで見てきたところです。

 兆民は、西海岸における娼婦たちの存在が、ニシン漁場と深い関係があることを知っていきました。

 彼は、こう記しています。

 「蓋(けだ)し鰊粕(にしんかす)の製造所は、正(まさ)に是(こ)れ黴毒(ばいどく)の醸造場なり」

 兆民は北海道に初めてやってきて、その広大な景色や、さまざまな文物、見るもの聞くものに新鮮な感動を覚え、定住を考えるほどに北海道の大地や人情に魅せられますが、この西海岸で見た女たちの存在は、ニシン漁等で繁栄していた北海道(と言っても一部ですが)の一面を、兆民に強烈に見せつけるものでもあったのです。


 続く


○参考文献
・『中江兆民全集⑬』「西海岸にての感覚」(岩波書店)
 ネット
・「道産子」「ばんば」関係


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