鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

飛騨一之宮の臥龍桜(がりゅうざくら) その3

2018-06-08 07:11:18 | Weblog

  「御旅山」を右手に見て、JR高山本線の線路に沿って道を進むと、左手に「臥龍桜」の案内標示があり、また「飛騨一之宮 臥龍桜駐車場」と記された立て看板が現れました。

 ここに車を停めた花見客は、ここから歩いて線路沿いの道を「臥龍桜」に向かって歩いています。

 左前方には早くも鯉のぼりが風にそよぐ風景が見られます。

 右手にJR東海の「臥竜踏切」があり、その線路の前方に駅のホームとその両側に爛漫と咲く桜樹が見えました。

 その駅が「飛騨一之宮駅」。

 線路と道路の間のフェンスに「臥龍桜」の幟が立ち並び、道路の左側には「臥龍桜」と記された街灯が立ち並んでいます。

 左手の石垣の上に建つ2階建て木造の立派な農家は「三宅荘」という民宿でした。

 その民宿の向こうの広場にいきなり姿を見せたのが小山の裾に咲く「臥龍桜」で、すでに多数の花見客が「臥龍桜」の前の広場で花見をしていました。

 背後に小山の緑があるだけに桜花の白が美しく映えています。

 この「臥龍桜」がある広場が「臥龍公園」で、広場には「臥龍桜」と記された案内板がありました。

 それによると、この「臥龍桜」は樹形が龍の臥した姿に似ていることから名付けられたもので国指定天然記念物。

 樹齢は1100年余。

 枝張り30mで高さ20mに及ぶ日本を代表する江戸彼岸桜の大樹であるとのこと。

 樹齢が1100年余もある桜の古木でした。

 さらに次のようなことも記されていました。

 この老大木の桜を「臥龍桜」と命名したのは大憧寺第20世道仙和尚(どうせんおしょう)といわれる。

 枝が垂れて地につき発根して母樹より養液不要となり、そこまでの部分が枯損。

 昭和34年(1959年)の伊勢湾台風の際に龍の首の部分が折れたものの頭部が1本となり原形を留(とど)めている。

 樹下の枯木がそれである。

 この説明から、長い年月の中で台風など自然災害によって破損したり折れたりといったことを繰り返してきた大樹であることがわかります。

 この文中の「大憧寺」というのは「臥龍桜」の背後の山すそにあるお寺のこと。

 この「臥龍桜」はこの大憧寺の境内に植えられたものであるようです。

 広場には「臥龍桜を守り、育てる」と記された岐阜大学名誉教授林進氏の文章を紹介する案内板もありました。

 それには昭和30年代の「臥龍桜」の写真と、1994年(平成6年)の19号台風により大被害を受けた「臥龍桜」の写真が掲載されていました。

 この台風による大被害からの「復活は不可能」と言われた「臥龍桜」を復活させたのが樹木医学の権威であった林進氏であり、岐阜県内において臥龍桜、荘川桜、淡墨桜、揖斐二度桜、中将姫誓願桜などの保護を指導してきたとのこと。

 「どんな技術があっても、心がこもっていなければ木は答えてくれない。こもや縄を持ち寄って協力してくれた人たち。桜の姿に涙した人たち。この桜に勇気づけられ、生き抜く力を与えられた人たち。すべての人たちが、臥龍を復活させた。」

 そして「地域の財産は、自分たちで守り育てることが大切です」とその案内板の文章は終わっていました。

 広場の各所から「臥龍桜」が爛漫と咲く見事な姿をデジカメで撮影していると、小学生たち数人が模造紙を両手に掲げて「臥龍桜」について説明している姿が目に入りました。

 先ほどから、広場には観光客に混じって黄色い帽子を被った小学生の姿が見られました。

 近くにいた少年に尋ねてみると「宮小」の生徒であるとのこと。

 「宮小」とは「一之宮小学校」のことで、授業でここに来ているという。

 満開の桜の下、やって来た花見客たちを前に「臥龍桜」について調べたことを発表しているようです。

 広場には「臥龍桜の特徴」と模造紙に記された(小学生がマジックで書いたもの)案内板も立てられていました。

 それによると、品種はエドヒガンで幹回りは約7.3m。差し渡し東西20m、南北30m。

 「一本の大枝が重みで地面につき、そこから発根して独立しており、まさに龍がふせたような樹形をしています。

 もともと大憧寺の大桜とよばれていましたが、大憧寺のおしょうさんが龍の臥せた見た目と似ているから臥龍桜とよばれるようになりました。」

 もともとは「大憧寺の大桜」と呼ばれていたことがわかります。

 小学生による説明は時間を置いて何回か繰り返し行われているようで、各所から桜を観た後、小学生の説明を聞きに行きました。

 黄色い帽子を被った上級生から下級生までの男女6人による模造紙を掲げての説明。

 交代交代で2つのグループで説明しています。

 他の花見客とともに私がその説明の後半を聞き終わったところ、後ろから「質問してあげてください」との声。

 小学校の先生のようです。

 いくつか質問したところ、照れながらも丁寧に答えてくれました。

 聞くところによると、このような「臥龍桜」のもとでの課外授業はこの日一回だけとのこと。

 本当は満開に合わせて昨日行う予定であったけれども天気がよくなかったため(雨模様)、一日延ばして今日行っているという。

 年に一回しかない現地小学生による説明をたまたま聞くことができたことになり、きわめてラッキーな体験でした。

 毎年、この課外授業は満開の「臥龍桜」の下で行われているのでしょう。

 途中で出会った保育園の園児たちやこの一之宮小学校の生徒による課外授業など、「臥龍桜」は地域の人々に長きに渡って守り育(はぐく)まれ、そして地域の人々に愛されている桜であることを知りました。

 

 続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿