鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2013.9月取材旅行「大麻生~押切~上新田」 その2

2013-11-09 05:19:59 | Weblog
『毛武游記』の旅で、崋山が渡った大きな川は3つあります。一つは荒川であり、二つ目は利根川であり、そして三つ目は渡良瀬川。荒川は江戸から中山道を通って、板橋宿を過ぎたところでまず渡っており(「戸田の渡し」)、利根川は中山道鴻巣宿を出立して、熊谷宿から桐生道へと入り、妻沼(めぬま)を過ぎたところでまず渡っています(「妻沼の渡し」)。渡良瀬川は、太田を経由して桐生に入る手前でまず渡っています(「松原の渡し」)。渡良瀬川については、大間々(おおまま)に出向いた時に「高津戸の渡し」や「赤岩橋」で渡ったりしています。利根川については、前小屋天神で行われた書画会に出向いた時に「前小屋の渡し」や「三ツ小屋の渡し」を利用しています。そして11月7日にも、桐生から中山道深谷宿を経て大麻生村へ赴く途中において、ふたたび「前小屋の渡し」を利用しています。そして荒川については、崋山は押切(おしきり)村の持田宗右衛門宅へ赴く時にふたたび渡っていますが、この時は渡し舟(「押切の渡し」)を利用してはおらず、徒歩で渡っています。古沢家のある大麻生村は荒川の北岸にあり、また三ヶ尻村も荒川からそれほど離れておらず、大麻生村に二十日間ほど滞在していた崋山にとっては、いたって身近な大河であったようであり、『訪瓺録』(ほうちょうろく)や『客坐録』(かくざろく)においては、荒川についていろいろなことが触れられています。 . . . 本文を読む