崋山が大麻生の古沢家にやってきたことを聞いて、訪れてきた持田宗右衛門は、その最初から自分の来し方を細々と語りだし、聞く方の崋山としてはちょっとわずらわしく思うほどであったのですが、その内容をよく聞いてみると、ただひとひらの真心(まごころ)をもって、家を再興し、人の危難を助け、また領主や親のために神仏に祈り、まるでその真心で描いたような人生を送ってきた「いとめでたき翁」であることがわかってきました。よほど崋山はその持田宗右衛門という老人に惚れこんだのでしょう。おそらく持田宗右衛門の誘いに応じて、ある晩秋の一日、わざわざその自宅へと出掛けて行ったのです。崋山は記す。宗右衛門は、儒教の教えに通じているわけでもない。和歌や漢詩を嗜む風流人でもない。財産があるわけでもないし、和漢の書をたくさん持っているわけでもない。話題が豊富で、世の中のことに精通している人物でもない。崋山はそのような友人を多数もっていましたが、それら多数の友人のそれぞれの範疇に入る人物では宗右衛門はありませんでした。しかし、その純粋な真心に徹した生き方は、崋山の心をゆさぶるものであったのです。そして実際に押切村の持田家を訪れてあたたかな歓待を一家の者たちから受けた時、崋山は、宗右衛門の「真心」が家中に行き渡っていることを感じとり、さらに大きな感動と喜びを覚えたのです。 . . . 本文を読む