鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.6月取材旅行「木下~十里~神崎」その7

2011-06-15 05:40:45 | Weblog
崋山の『四州真景』の第二巻図五が「利刀、常州、十里」で、図六は「滑川観音」。図七は「河嵜明神」で、図八が「河嵜明神山、河岸」。「滑川」は「なめがわ」と読み、「河嵜」は「神崎」が正しく、「こうざき」と読む。木下(きおろし)河岸を出て、利根川左岸、すなわち「常州」側の集落の風景に興趣を感じていた崋山は、「十里」を過ぎた後、今度は利根川右岸の風景に興趣を感じ始めたようだ。「滑川観音」も「神崎明神」も、利根川南岸にあるからです。なぜ視点を移したかというと、左へとゆるやかにカーブする利根川の流れの先に、木下河岸を出て以来今まで見えていなかった緑濃い丘陵が、ふたたび見えてきたからではないか。「滑川観音」はその丘陵のふもとにあり、その先の「神崎明神」は、遠くからはまるで独立した島のように見える、川べりの丘陵の上にある。崋山の乗った茶船は、その「滑川観音」がふもとにある丘陵を、右手ほんそばに見て進み、それからしばらくして「神崎」の河岸に到着します。その河岸を下りてすぐ目の前の丘陵の上に「神崎明神」がある。この3枚の絵を見てみると、それぞれに船が描かれています。図六には「四ツ手網」漁をする舟、図七には白い帆に風を受けて航行する「高瀬船」、図八には神崎河岸に碇泊する帆柱を立てた「高瀬船」が描かれています。図七に描かれた「高瀬船」を見ると、崋山が「利根川高瀬船」の特徴をしっかりと捉えているのがわかり、彼のすぐれた観察力に驚かされます。 . . . 本文を読む