鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2011.6月取材旅行「木下~十里~神崎」その2

2011-06-09 05:22:23 | Weblog
木下河岸を船が出ると、まもなく下流に見えてくる大きな中洲州が「布鎌新田」でした。山本忠良さんの「木下河岸と鮮魚輸送」によれば、その「布鎌新田」の南側の流れは「枝利根川」と言ったらしい。現在は将監(しょうげん)川となっており、北を流れる利根川との間に挟まれたこの地域は、印旛郡栄町となっています。地図を見ると、利根川の堤防沿いに、「西」「布田」「三和」「中谷」「北」などの地名があり、その「北」から対岸へと架かる「若草大橋」が延びています。対岸は茨城県であり、北相馬郡利根町や稲敷郡河内町となっています。崋山一行の乗った茶船(木下茶船)は、枝利根川(現在の将監川)ではなく利根川本流(布鎌新田)の北側を通っていたものと思われます。船の上で崋山はふたたび画帖を開き、利根川沿岸の風景を写生しています。その一枚が『四州真景図』の中の「利刀、常州、十里」の絵。「利刀」とは「利根」のこと。「常州」は「常陸国」のことであり、船から北側に見える土手(堤防)の向こうが「常州国」になる。「十里(じゅうり)」とは、「布鎌新田」のある広い中洲が終わってまもなく、左手にある集落で、現在の「長豊(ながとよ)橋」のやや手前になる。その「十里」の手前に「布鎌」という地名がありますが、これは「布鎌新田」と何らかの関係があるのだろうか。船から見た利根川北岸のかつての風景は、崋山が描くこのようなものであったのです。 . . . 本文を読む