鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

「浦安市郷土博物館」と「浦安市立中央図書館」 その4

2011-02-10 05:46:44 | Weblog
昭和46年(1971年)の漁業権全面放棄前まで、海苔養殖業は、冬期の浦安の基幹産業で、東京沿岸でも海苔養殖が最も盛んな地域の一つであったという。かつて、江戸前の海苔といえば、アサクサノリが主流でしたが、昭和20年代後半に大森にスサビノリが移植されて以来、東京湾にはスサビノリが定着し、その後、昭和35年(1960年)頃に人工採苗技術が全国に普及していくとともに、このスサビノリも全国へ普及していくことになりました。昭和39年(1964年)の3月、千葉県の奈良輪漁業協同組合の和田嘉一氏が、「沖の軍艦棒」と呼ばれるところで、長くて厚い変わった海藻を発見。人工採苗を試みて、このノリの養殖を開始。かつてのアサクサノリは15cmほどしか伸びないのに、このノリは50~60cmはあたりまえ、長いものでは1mも伸びるものがあり、しかも幅においても従来のアサクサノリよりも広かったという。そのためこのナラワスサビノリは千葉県内に普及していったのはもちろんのこととして、全国的にも普及していき、現在では養殖ノリの99%以上がこのナラワスサビノリ系のものであるという。そしてかつて江戸前の海苔の主流であったアサクサノリはどうなったかといえば、現在、アサクサノリは絶滅に瀕している仲間として「絶滅危惧種」に認定されているという。ノリの場合、コスジノリは野生絶滅と判定されており、カイガラアマノリ、ソメワケアマノリ、マルバアサクサノリ、イツマツノリ、アサクサノリが「絶滅危惧種」になっているとのこと。現在の千葉県において海苔養殖が始められたのは文政5年(1822年)、人見村(現君津市)においてのことでした。それ以来、昭和30年(1955年)頃まで養殖海苔のほとんどはアサクサノリであったというから、郷土博物館野外展示場で再現されている昭和27年(1951年)頃の浦安においても、また山本周五郎が滞在していた昭和初年の浦安においても、そこで養殖されていた海苔はアサクサノリであったということになり、昭和30年代以後にはそれに代わってスサビノリが普及し、昭和40年代にはナラワスサビノリが普及していったものの、昭和46年(1971年)の漁業権全面放棄によって、それまで浦安の基幹産業であった海苔養殖は終焉を迎えた、ということになります。 . . . 本文を読む