鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2008.2月「元箱根~三島宿」取材旅行 その5

2008-02-29 05:53:42 | Weblog
川添裕さんの『江戸の見世物』(岩波新書)によると、「舶来動物の見世物は、庶民を楽しませ続けた近世後期の見世物の柱のひとつ」でした。例として長崎ルートの「ヒクイドリ」や横浜ルートのインド象(文久2年〔1862年〕、アメリカ商船によって運ばれてきて、幕末期の動物見世物で最大のヒットとなる)、長崎ルートの雌雄つがいの「ヒトコブラクダ」が挙げられていますが、面白いのは、いずれもたんなる見世物としてではなく、見ることによって「疱瘡」「麻疹」除けになるという効能、つまり「ご利益」「眼福」になるのだ、ということが強調されていること。「見世物の動物はみな霊獣、聖獣、神獣なのであって、そのご利益は諸般におよぶ」とされていたのです。「疱瘡」や「麻疹」は、可愛い子どもを襲う最も恐ろしい病気であったから、世の親たちは、舶来の(西方からやってきた)珍しい動物の見世物があると聞けば、子どもを引き連れて見物に出向いたことでしょう。実際、ヒクイドリやラクダや象の見世物には、幼い子どもを連れた親たちが近在近郷から大勢集まってきました。ということは、この享保14年(1729年)の「象道中」(長崎~江戸)にも、幼い子どもを引き連れた人々がたくさん見物にやってきたことが推測される。見物人の中には多くの幼い子どもが含まれていて、親は、街道を通過する象を子どもたちに見せて、子どもが「疱瘡」「麻疹」といった恐ろしい病気に罹らないように、また、よし罹っても軽く済むように、強く祈っていたのかも知れません。雌雄つがいのヒトコブラクダは、文政4年(1821年)にオランダ人によって長崎にもたらされています。アラビア産というこのラクダは、長崎にしばらく滞在した後、大坂・京都・紀州・伊勢などで興行。その後、江戸へやって来ますが、東海道ではなく中山道を歩いて、板橋宿から江戸市中に入っています。各地での評判は早くから江戸に伝わり、板橋宿に到着した時は、待ちわびる群集で大騒ぎであったという。箱根を越えた象が、江戸品川宿に到着した時も、おそらく同様であったことでしょう。 . . . 本文を読む