鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.12月「小田原~箱根湯本」取材旅行・小田原城下 その5

2007-12-20 06:53:38 | Weblog
東海道線の横浜~国府津間が開通したのは明治20年(1887年)7月21日。それに伴い、国府津駅から小田原や箱根に行くための交通機関として、明治21年(1888年)10月1日に小田原馬車鉄道が開業し、国府津駅~小田原~湯本駅を結びました。しかし開業後まもなく電車への切り替えの模索が始まり、明治29年(1896年)10月31日、小田原電気鉄道に改称。明治33年(1900年)3月20日、馬車鉄道は廃止され翌21日、小田原電気鉄道(「小田電」)の開業式が華々しく執り行われました。この小田電は、国府津~湯本間12.7kmを結び、当時日本一の距離を誇りました。しかし大正9年(1920年)12月6日、国府津駅~小田原町役場間が廃止され、また箱根板橋~箱根湯本間も、昭和10年(1935年)10月1日に、現在の箱根登山鉄道の小田原駅~箱根湯本駅間の開業により廃止され、小田原駅間~箱根板橋駅間のみを走る(小田原市内線)ことになりました。しかしその小田原市内線も昭和31年(1956年)5月31日に廃止され、小田原市民や近在近郷の人々、また旅行客に長く親しまれた「小田電」は姿を消すことになりました。この小田原電気鉄道と小田原馬車鉄道の軌道はほぼ一致するようです。軌道が方向転換のため右方にループ式に回る国府津駅前を出発した電車は、東海道を、左手に相模湾を見ながら走り、やがて酒匂川を渡ります。それから小田原の町に入っていき、新宿(しんしゅく)で旧東海道から離れて「御成道(おなりみち)」を直進。小田原電気鉄道本社のある大手前通りで左折(本社前は「幸町停留所」)。右手に三の丸東側の堀とお城の天守閣を見て、本町のところでふたたび東海道に入って右折。右手に「ういろう本店」や「箱根口」を見て、やがて早川口停車場に到着します。ここには「豆相人車鉄道」(明治29年〔1896年〕3月開業)の停車場や、その後身の「熱海軽便鉄道」の早川口停車場(熱海方面へ行く場合の小田電からの乗換駅)がありました。早川口停車場を出発した電車は、早川を渡り、箱根板橋、入生田(いりゅうだ)を過ぎて早川の渓流を左手に見て走り、やがて箱根の山間(やまあい)に入っていきます。早川に架かる湯本三枚橋を左手に見て、やがて電車は落合橋を渡って軌道がロータリー形式になっている湯本駅に到着します。乗車時間はおよそ1時間でした。 . . . 本文を読む