鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.12.「横浜道~海岸通り」 その6

2007-12-07 06:35:59 | Weblog
五雲亭貞秀はやはりすごい浮世絵師である。「鳥の目」を持つ貞秀は、まさに鳥のように自由に空を飛び、思いのままに旋回し、上空のいろいろな角度から開港地横浜の景色を描き出す。その貞秀の類(たぐい)稀な才能の躍如たる一枚が、「東海道名所之内 横浜風景」(万延元年〔1860年〕・『横浜浮世絵と近代日本─異国“横濱”を旅する─』〔神奈川県立歴史博物館〕P42~43に掲載)。何がすごいかというと、江戸の羽根田(羽田)沖や川崎の大師河原辺りから、川崎・鶴見・生麦・東子安・西子安・神奈川(新町・台町・青木町)を経て、「横浜道」全景(芝生〔しぼう〕村→新田間〔あらたま〕橋→平沼橋→石崎橋→戸部村→戸部坂→野毛の切り通し→野毛橋→吉田橋)、さらに本町一丁目→海岸町一丁目→日本人町→外国人居留地→横浜村→増徳院→北方村→本牧→十二天社までを、一続きのパノラマ絵に克明に描き出しているからです。もちろん港崎(みよざき)町の遊郭街も描かれているし、弁天の杜(もり)も描かれている。視点は、吉田新田の上空であったり山手の上空(百段坂の上にあった浅間神社の上空)であったり、今の石川町の上空(イタリア山公園の上空)であったりと、いくつかの視点を複合して描き出しています。神奈川奉行所がどう描かれているかと見てみると、野毛の切り通しの途中で折れた「不動山」の辺りにあるはずですが、何か小さな建物らしきものは点在しているものの、奉行所らしき大きな建物は描かれていない。ベアトが幕末の横浜全景を写した野毛山の地点は、この絵を見ると、野毛坂を登って左手に入った金毘羅(こんぴら)社の付近かと思われます。野毛橋(現在の都橋)が架かる大岡川の川沿いには漁師舟が浮かび、吉田橋を港側へ渡った左手には番所(関門)がある。袖ケ浦や横浜の港の沖合い、また左右いっぱいに広がる江戸湾には、無数の和船(1枚帆)とともに西洋の船(3枚帆)も浮かんでいます。また本牧(ほんもく)の十二天社の下の磯の付近では、小さな舟で群れになって漁をしている漁師たちの姿も見られる。横浜道や弁天通りには無数の人々が行き交い、港崎町の遊郭街や野毛山の麓(ふもと)、横浜村などには、今を盛りと桜が咲き誇っています。 . . . 本文を読む