「口語短歌・水曜サロンの会」(その70) 短歌の投稿を歓迎します!!
☆☆☆ 楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。
☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。
「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の
詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。
短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に
短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。
【サロンの運営について】前回に続き掲載致します。
運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。
「咲き盛る 熱海桜」
「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」
【詞書】1月25日は日本全国雪景色でした。辺り一面が雪になると出かけることが
出来ません。そこで筆者ブログ「世界文化紀行」日本の雪景色より
詠んでみました。
☆さまざまな氷のオブジェ立ち並び 支笏湖ブルー幻想的に
註)北海道千歳「支笏湖氷濤まつり」
☆氷瀑は時を止めたか凍りつき 荘厳にして神秘な世界
註)茨城県「袋田の滝・氷瀑」
☆雪化粧小樽運河のガス灯は 異国情緒にあふれる夜景
註)北海道「小樽運河」
浅間山明鏡止水さん
【解説】
「日本の雪景色」、中でも観光地としても人気の「支笏湖氷濤まつり」「小樽運河」
「袋田の滝・氷瀑」等は、新しい「歌枕」としての喚起力も強いですね。
いずれの場所も訪れはしたものの、この雪の季節には行っていませんので、
その変わりようは、まさに別世界との印象があります。
いずれの歌も、氷と雪への賛歌となっていますが、自然の織り成す「荘厳にして
神秘な世界」が印象深く詠われています。
二首目を、視点を変えて詠ってみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★袋田に神の建てたる氷瀑の 神殿粛(しゅく)と時を止めたり
【詞書】2月は母の忌日になりますので、母の俳句や短歌をよく詠みます。
母がまだ存命の冬、私は母に作った朝粥を見て「朝粥はオブラートめく寒がわり」
と詠みました。でも何となく下五の季語を推敲したいと思い、母に幾つかの季語の
中からどれがいいと聞くと、母は即座に「春うらら」を選びました。
そして「朝粥はオブラートめく春うらら」が詠めました。
喜んでいた母でしたが、その冬、母は春を待たずに逝ってしまったのでした。
☆侘助は母の優しき笑い皺 ほほゑみのまま逝きたる母よ
☆鉄瓶の湯気しなやかに如月の今日母の忌の白湯の甘さよ
☆朝粥は母の好みし塩加減 春を待たずに逝きたる母へ
みっちっちさん
【解説】
2月は御母様の忌日になり、御母様の俳句や短歌をよく詠まれるとのこと。
御母様は、作者の胸の奥に、そして詠まれた俳句や短歌の中に活き活きと
存在していることと思います。俳句の推敲をお母様と一緒に行うことは
娘にとっても、またお母様にとっても幸せなひと時だったことと思います。
三首の歌はいずれも御母様への温つく深い想いが詠われ、しみじみと
させられます。特に三首目の「朝粥は母の好みし塩加減」は、いわゆる
「おふくろの味」をひき継ぐ娘の想いと、待たれる春を前に身罷った
御母様への無念想いが滲む味わい深い詠歌となっていると思います。
【詞書】昨日は節分会、近くの寺社へ行きました。
追い出された鬼はどこへ行くのだろう?と考えてみたときの歌です。
また福豆を投げる人と目が合って、手を振ると私めがげて投げて
くれたのを背伸びして上手くキャッチ出来たうれしさ~
☆鬼遣らいどこへ行くのか頭(づ)をかかえ涙一粒氷雨の街へ
☆節分会のコントロールよき福豆を見事キャッチの縁起のよろし
【詞書】咲き誇った蓮の花が朽ちた姿で風に逆らうことなく揺れているのを見て
自分の姿と重ね合わせました。
☆飄々と風にゆだねて破れ蓮(やれはちす)あすの命のわからぬものを
夕庵
【解説】
今年は、三年ぶりと銘打って各地で「鬼遣らい」の行事が復活していますが、
一首目は「追われた」鬼を思いやる優しさが「涙一粒」の表現に滲み、作者の
お人柄が覗く良い歌と思います。
三首目の「破れ蓮」。飄々と風に吹かれながらも、足下に蓮根と言う次世代を
担う存在を育み、自らの使命を全うした矜持を胸に枯れていく。そんな蓮の
生きざまを踏まえ「あすの命のわからぬものを」と詠いつつも作者の心意気が
覗く歌と考えます。また、朽ちることを厭わず使命を全うしたもののもつ
美意識も伺えます。
「破れ蓮」の一般的な解釈の、寂しくわびしい風情を逆手にとっての歌と解釈
したら、深読みでしょう。
「白い山茶花」
【詞書】無題
☆背に一つホクロのあるをいとおしく
抱きしめる度
広き背中に
自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の解説です。
日本の中世からの美意識として、艶が有り、それについて、学んでいた時に
ふと出来た短歌です。
【投稿外コメント】自閑(jikan314)さんご自身のコメントです。
2月4日は立春と言う事で、立春の歌を紹介します。古今集以来、春の初めの歌は、
巻頭歌として特に重要視されました。
みよし野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり (後京極摂政太政大臣)
「みよし野の」ではなく「みよし野は」とした所が優れていると本居宣長も評している
九条良経の代表歌の一つです。
ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山かすみたなびく (後鳥羽院)
太上天皇としての気高さを感じる歌ですが、隠岐に流され、たぶん真っ先に削除した
でしょう?
山ふかみ春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水 (式子内親王)
私は式子内親王の歌でこの歌が一番好きです。初春をイメージ出来る印象的な歌です。
松は、春を待つの掛詞です。
かきくらし猶ふる里の雪のうちに跡こそ見えね春は来にけり (宮内卿)
宮内卿と言う二十歳前の歌人が、如何に評価されていたか。この後に続く俊成、
俊恵両巨頭の前に配置されています。
時はいまは春になりぬとみ雪ふる遠き山べにかすみたなびく (よみ人知らず)
新古今、万葉集中臣朝臣武良治の歌です。立春と霞は古くから歌われております。
あらたまの年行き返り春立たばまづ我が宿に鴬は鳴け (大伴家持)
万葉集大伴家持の歌です。これは節分の前日の宴で作られたものですが、春の到来を
告げるのは、霞、梅、そして鶯となっております。
としのうちに春はきにけりひととせをこぞとやいはむことしとやいはむ (在原元方)
袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ (紀貫之)
最後は古今和歌集です。この両歌には賛否が有ると思いますが、その後500年の
勅撰集の歴史の冒頭となる記念すべき歌です。
【解説】
日本の美意識も「雅」「幽玄」「侘び・寂び」さらに、最近の「映え」等、時代と共に
変転を重ねて来たでしょうが、「艶」は平安の昔から現在に至るも私たちの意識の底に
息づいていると考えます。
平安時代中期の日記文学『蜻蛉日記』にも、「宇治川の水面が艶やかに光っていて…」
との表現が見られます。それらも含め、学びの過程で琴線に触れた語を、そのまま
詠歌に結実させる、作者の手並みの良さを改めて感じました。
詠歌から艶やかな情景が浮かびますが、「背のホクロ」が一層の妖艶さを誘います。
なお、「立春の歌」を紹介いただきありがとうございます。今回紹介させて頂いた
「新年の歌」から引き続き、次回の「水曜サロン」に掲載させて頂ければ幸いです。
☆------------☆ 「ネット歌会」開始 ☆-----------☆
【詞書】引き続き「ネット歌会」として展開された詠歌を掲載致します。
注) ☆:元歌 ★:返歌
☆枯れ野にも明日への備え 種いだき あまたの草の命息づく
ポエット・M
【詞書】曾孫の誕生の時の歌です。
長い間待って、みんなの期待のなか、無事に生まれた喜びです。
★月満ちていのち溢れる産声のぷるぷる頬の春の赤子は
夕庵さん
★泣きつつも訴えなすや産声は 穏やかな世と迫る叫びも
ポエット・M
☆鬼遣らいどこへ行くのか頭(づ)をかかえ涙一粒氷雨の街へ
夕庵さん
★鬼遣らひどこへ行くのか頭(ず)をかかえくぐるは街の縄のれんかな
みっちっちさん
★縄のれん出て来た鬼は赤ら顔 頼光らとも肩組み歩む
註)頼光は源頼光であり、鬼の王・酒呑童子を坂田金時らと討ったとの伝説あり。
ポエット・M
☆------------☆ 「ネット歌会」了 ☆------------☆
☆氷雨をも まといて咲ける寒椿 散りたる花も艶やかにして
ポエット・M
【解説】
久し振りに降った氷雨を浴びながら寒椿が咲いています。また、地に降り敷いた花も
いくつか散見されます。咲いている椿も艶やかですが、散った後の花も鮮やかな紅色を
湛え艶やかな命の息遣いさえ感じました。そんな花の艶やかさを詠ってみました。
「早咲きの 河津桜」
「五行歌集 ―君へのレクイエム― 」鑑賞 嵯峨吹雪著 (13)
3.白いブランコ(2)
〇青春夢遊ばせる春の夜は
星の煌めき白いブランコ
〇亡霊は心のなせる業なるか
さればなおさら永遠ならずや
嵯峨吹雪
ああ〇子
〇子の君よ
永遠に
他に呼ぶ名は
あらざるものを
星々が
夜露の玉に
眠るころ
心をよぎる
不吉な予感
突然に
身の毛がよだち
ぞっとする
首に冷たい
霊気を感じ
誰(た)が漕ぐや
風も無き夜の
星光(ほしかげ)に
不気味に揺れる
白いブランコ
ああもしや
君の霊かと
恐れつつ
恐れを超えて
心が疼く
「日本水仙」
【短歌入門・質問・提案コーナー】
この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
ヒント、質問、諸々の疑問点、さらにご意見等について触れていきたいと思います。
皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
幸いです。
なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
それが学びに繋がれば嬉しい限りです。
【サロン参加者からのコメント】前回に続き掲載致します。
自閑(jikan314)さんから紹介頂いた、正月の和歌です。
はつ春のはつねの今日の玉菷手にとるからにゆらぐ玉の緒
(新古今集、万葉集)
正倉院には、大伴家持がこの歌を詠んだ、孝謙天皇が養蚕の為に賜った玉箒
(子日目利箒)が模造されております。
新古今では、よみ人知らずとなっておりますが、古今和歌六帖からの撰歌
だからです。
正月(むつき)立つ春の初めにかくしつつ相し笑みてば時じけめやも
(万葉集)
お互い共に正月には笑い合うのが一番ですね。大伴家持の歌です。
千歳までかぎれる松もけふよりは君にひかれて万代やへむ
壬生忠岑で公任三十六人撰や和漢朗詠集にも撰ばれた子の日の歌です。
明日からは若菜摘まむとしめし野に昨日も今日も雪は降りつつ
(新古今集、万葉集)
山部赤人の歌です。七草粥は、遥か昔からの行事ですね😃
若葉指す野辺の小松を引き連れて元の岩根を祈る今日かな (玉鬘)
小松原末の齢に引かれてや野辺の若菜も年を摘むべき (源氏)
源氏物語若菜の題名となった和歌です。
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事 (万葉集)
大伴家持が、天平宝字三年一月一日が立春と重なったと解されております。
元旦からもう22日も過ぎてとは、思われたかと?和歌や俳句は、旧暦が
基本で、22日は、旧正月です🎍ローマ教皇グレゴリオ13世が決めた
元旦で、歌は詠めないと言う天邪鬼ですね😁
【ネット歌会について】
「ネット歌会」は、「お題」を決めて短歌を詠みあうという方式ではなく、
「水曜サロン」へ掲載された、各位の歌に対して「返歌」するという自然発生的な
歌会です。従って掲載された歌の中に自分に響くものがありましたら、それへの
返歌として大いに詠んで頂き、コメント欄に記入して頂ければ幸いです。
各位に記入して頂いた短歌を基に、編集し、掲載させて頂きます。
従って、統一性や「お題」に向けた収斂性には欠けますが、面白いと思っています。
当面は、手探りでやってみたいと思っています。さらに、良いアイデアがあれば
各位よりお寄せ頂ければ嬉しいです。
「咲き初める 白梅」
【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
(1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
なお、変更がある場合は、その都度ご連絡致します。
(2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
(3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
(4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
(5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
(6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
(7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
(8) 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。
(9) 投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
ニックネームのみでIDのない方、あるいは匿名の投稿は内容により掲載
できない場合もありますのでご了承願います。
了
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第二部「口語短歌・水曜サロンの会」(その178 ネット歌会) 6日前
「破れ蓮」についてのご自身の「偽らぬ心境」を伺い、私の歌の解釈の理解の浅さを
改めて感じました。申し訳ありません。
荒涼と広がる蓮池の「破れ蓮」の群生は、「盛者必衰の理」ではありませんが、
かつて艶やかに咲き誇った美しい蓮も、時を経て必ず衰退するという道理を身をもって
教えてくれる存在でもありますね。
その「寂しくわびしい風情」に私たちは、自らの老いていく現在と明日を重ねて
粛然とした思いに囚われことも事実と思っています。それは生きとし生けるものの
定めでもあり、どうあがこうと「時の必然」からは逃れられないとも思っています。
それゆえに、私たちは自らが滅する事実を少しずつ受け入れていくのかも知れません。
しかし、自らの命が消える最後の一瞬迄、己を燃やしあるべき姿を追求できたらと
不遜かも知れませんが思っています。
こんなお話もじっくりしてみたいものですね。
遅くから申し訳ありません。
「破れ蓮」についてですが
ポエットMさんの仰るように泥の下では次世代のレンコンが育っていることを踏まえても、この情景は哀しいことに現在の自分の姿と重ね合わすように捉えてしまうのが偽らぬ心境です。
「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
「恒例の早朝ランニングの初詣での時の一首」とのことですが、I.SATOさんの
1月2日付けのブログを改めて拝見させて頂きました。
正月早々に早朝ランニングを兼ねて初詣される、身体と精神の健全性に改めて
拍手を送りたいと思います。
アスナロが、寒い北国で変種したヒバ(檜葉)は、美しい木目はもとより、
清々しい柑橘系の香気を放っていることと思います。そんなかぐわしい香りを
嗅ぎつつ元旦の雪原を走るのは、爽快そのものだったことと思います。
「一瞬の風」によって運ばれた「檜葉の香り」によって、その爽快感が一層
高められ臨場感に満ちた歌になっていると考えます。
これからもよろしくお願いします。
元旦からもうひと月が経ちましたが恒例の早朝ランニングの初詣での時の一首を送詠します。
一陣の風と言いますが、夜明け前の雪原にどこからともなく柑橘系の香りのする風が吹き抜け、気分が更にあらたまりました。
■走り行く初詣の雪原に檜葉の香りの一瞬の風
「水曜サロン」への出詠、並びに返歌も頂きありがとうございます。
返歌の手並みの鮮やかですね。水泳や卓球と同様な瞬発力の発露ですね。
二首のお歌は、何れもお母様を偲ぶ想いに溢れていて、しかも情に流されない
聡明さも感じます。
二首目の下の句「鎮魂の句の想ひはいまも」に余情があります。
今週も母を詠んだ2首を出詠させて頂きます。
よろしくお願いいたします。
⭐️ 母偲ぶ 今際(いまわ)の母の口元に含みし白湯は甘かりしやと
⭐️ 晩年の母看し我の俳句帳 鎮魂の句の想ひはいまも
母は私の俳句を読むのが好きで、どんな下手な俳句も褒めてくれる優しい母でした。
二人で推敲したり「これいいね」と笑顔で褒めてくれたり、
最期まで私の俳句ノートをベッド脇に置いて愛読してくれました。
今もノートを繰る度に母を想い涙します。
こんばんは~
夕庵さんの短歌がしっとりと雅で素敵なので返歌させて頂きます。
よろしくお願いいたします。
⭐️貴人(あてびと)が垂れの梅が枝そとあげて結ぶ恋文 春はあけぼの
夕庵さん
★貴人(あてびと)が垂れの梅が枝そとあげて結ぶ恋文 返しはあるや
ポエットMさん添削歌
★貴人(あてびと)が梅の上枝(ほつへ)に文結えば 恋の返しは下枝(しづへ)にあるや
みっちっち
おっしゃるように、侵略戦争に、気候変動、さらに大規模な地震と
正に地球は「天地異変」の様相を呈していますね。
「春はあけぼの」は、発想としては意外性もあり、とっても面白いと思います。
すだれにも似たしだれ梅の下で、春の曙をともにした後朝の相手に届けた恋文
との解釈も成り立ちますので、まさに王朝絵巻を髣髴とさせてくれますね。
おはようございます。
天気予報の通り朝から雨が降っています。
世界のあちこちで天地異変が起こりとても不安な毎日です。
さて、「春はあけぼの」の件ですが
つい頭に浮かんだ言葉を安易に使ってしまったこと、恥ずかしい思いです。
「返しはあるや」とありがとうございました。
早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
「戦」に関わる挑戦的な三首は、カタカナによる表現もさることながら、内容にも
報道の在り方への違和感を率直に表現されていて、学んで行きたい詠いぶりです。
コンピュータの表示も、英文から、ローマ字、カタカナ、そして漢字へと長い歳月を
経て進展しており、その開発に関わった一人として隔世の感があります。今では
当たり前になっている、漢字表現の難解さには苦労した記憶があります。ご存知と
思いますが、漢字を一文字表現するには、英文字二字分のデータ量を要します。
また、「歌病 (かへい) 」も、かつて歌合等の批評の場では重視されましたが、それ以外
にはそれほど浸透せず、さらに藤原俊成が積極的に排斥したのちは、歌学での知識として
継承されたほかは、今ではほとんど重視されなくなったと理解しています。
従って、このサロンでは「天邪鬼結構!」でタブーにも挑戦していきたいと思っていますが、
いかがでしょうか。
これからもよろしくお願いします。
「師は逝きませり」への訂正の件、了解いたしました。おっしゃる通りですね。
なお、早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
京都の城南宮とは懐かしいですね。
城南宮で行われてきた「曲水の宴」は、昨年はコロナ禍で実施はしたものの、
一般公開はされなかったようですね。この曲水の宴は、奈良時代から平安時代に
かけて宮中で催された歌会を再現した行事で、京都を代表する年中行事に数えられていますね。
そんな雅な宴の様を髣髴とさせる三首は、何れも「し垂れ梅」を詩情豊かに詠い
春の華やぎを趣き深く表現しています。
お尋ねのあった「春はあけぼの」ですが、清少納言の枕草子では「春はあけぼの」と
記述されていますが、「春はあけぼのがよい」が本来の意味で、「がよい」が省略
されています。従って、二首目の歌は発想は面白いですが意味が少し曖昧になるやも
知れません。面白さに欠け平凡になりますが、次の結句でいかがでしょうか。
★貴人(あてびと)が垂れの梅が枝そとあげて結ぶ恋文 返しはあるや
これからもよろしくお願いします。
【詞書】戦争三首
イラク戦争
☆何人戦死
今日モ統計上ノ数字ガツミ上ガル
アトイクツ?
911テロ
☆ 人ガ死ニ
人ノ恨ミニ
アフレケリ
アルマゲドンニ
集マリシ
鬼
アフガン戦争
☆閃光ノ一ツ一ツニ命散ル
寝ナガラテレビ
見テイル私
【短歌説明】
カタカナについて、皆さんでは、それぞれのイメージが有ると思います。
私の場合、コンピューターの無機質な打ち出しです。今でも銀行の通帳印字は半角カタカナですね。
半世紀前に、コンピューターを始めて覚えた時、文字を表示するにも、アスキーコードで入力していました。
無機質な報道と、現実の戦争は、余りにも生々しく、その違和感を表現しました。
二首目の911テロは、「ニ」で韻を踏んでいますが、和歌のルールでは、歌病として忌むべきものとなっています。世界の詩歌は、韻を踏むのですが、和歌だけは別のものです。歌病だとして、そう言うものを作りたがる天邪鬼です😉
今週の詠草です。
詞書
京都の城南宮は垂れ梅ばかりの神苑です。室町の庭、桃山の庭、平安の庭と平安王朝を彷彿とさせる神社です。また曲水の宴でも有名です。築山から垂れる梅はまるで簾のように大宮人の優雅な姿を想像させます。
また源氏物語に描かれた80首の草木があり花の園としても親しんでいます。
☆神苑の垂れの梅のさゆらぎに大宮人の遠き相聞
☆貴人(あてびと)が垂れの梅が枝そとあげて結ぶ恋文 春はあけぼの
☆咲き初めし梅一輪に化身して春を届けにくる郵便夫
春はあけぼの・・・清少納言の枕草子から引用しましたがどうでしょうか?
よろしくご教示ください。
★寒椿ほろりと落ちるその朝に古武士のごとき師は逝きにけり
・・・・・・・師は逝きませり
尊敬の念を込めて逝きませりの方が良いかと。
よろしくお願いします。
★満開の桜も待たず父母は逝き季節の巡りは背中が寒い 夕庵
註)
年は違えど両親は同じ桜の咲く前に逝きました。
桜が咲き始めると複雑な気分になるのです。
何だか湿っぽくなってごめんなさい。
拙歌のご鑑賞ありがとうございます。
1首を投稿して感想をいただけることはこの上ない喜びであり、とても勉強になります。
私の思いが読まれた方に通じることに
作り甲斐があったと嬉しくなるのです。
これからもどうぞよろしくお願いします。
私の平凡な短歌を過分に歌評して頂きありがとうございます。また、恐縮しています。
さらに、返歌も頂き嬉しいです。
みっちっちさんの詠まれた歌も、お父様への時を経た挽歌でしょうか。
あるじ亡きあと、表札のみが残る実家の姿に哀しみが募りますね。
寒椿が艶やかさを残したまま散る、その姿に花の無念さと共にお父様への
想いも甦ったことと思います。
このような返歌の連鎖もいいものですね。
こちらこそ、ご無沙汰ばかりで恐縮しています。
いつも、ご活躍のご様子と、yama1411さん素敵な歌声に接し感動しております。
「水曜サロン」に目を留めて頂きありがとうございます。私も皆さんの詠歌や、
コメントから諸々学ばせて頂いています。
サロンに集う皆さんは、人生の経験も豊富で、短歌もかなりの水準の方ばかりですので
「指導」等、とんでもないことですが、学びつつ一緒に楽しんでいるのが実態です。
このような楽しみながら、自由に詠える広場は大切と考えていますので、及ばずながら
続けていきたいと思っていますので、yama1411さんの励ましは嬉しい限りです。
yama1411さんもお忙しい日々でしょうが、フアンの皆様のためにも美声を
お届けいただければと思っています。これからもよろしくお願いします。
返歌を頂きありがとうございます。
師への挽歌と理解させて頂きました。「古武士のごとき師」との表現から師の
イメージと、夕庵さんの師への想いが伝わってきます。また、艶やかな姿のままに散る
寒椿の潔さと、師の在りし日の姿も浮かんできます。このような師をもてた僥倖も
夕庵さんなればこそと感じています。
感情を抑えた歌いぶりから、深い哀しみが伝わってきます。
これからもよろしくお願いします。
歌の核心を撞き、的確で温かな思いに溢れた歌評を頂きありがとうございます。
みっちっちさんも、夕庵さんも感激されていることと思います。
このような歌評を頂けるのも、「水曜サロン」なればこそと思っています。
歌評、ご意見等、引き続き頂ければと思います。
これからも宜しくお願い致します。
いつも早々に「水曜サロン」へ出詠頂きありがとうございます。
「雪山登山・甲信越編」より雪山を詠んで頂きましたが、何れもかつて登った山であり
懐かしく拝見しました。
特に、三首目の「谷川岳」は、日本百名山のひとつですが、最近でこそ減少している
ものの「世界一遭難者が多い山」としてギネス認定された「魔の山」でもありますね。
私もかつて先輩に誘われ、バイトをさぼり晩秋の日に一泊二日の強行軍で登山に挑んだ
ことがありました。当然初級者ですから、一の倉沢のロッククライミングは避けましたが、
麓から見上げるだけで足のすくむ想いを感じた記憶があります。
詠われている「二つ耳」は、標高1963mの「トマの耳」と、標高1977mの「オキの耳」
の2つの山頂を指していますが、「オキの耳」がこの山の標高になっていると思います。
谷川岳への挑戦を別の視点から詠んでみましたが、いかがでしょうか。
★死を賭してなお挑みしか谷川の 崖に光るはハーケンの跡
これからもよろしくお願いします。
こんにちは~🎵
shimaさん
短歌を過分にお褒め頂きありがとうございます。
本当に優しい母でしたので、母の優しさを偲ぶ如月の日々です。
ポエットMさんの寒椿の短歌、しっとりと素晴らしい写生ですね。
夕庵さんも素晴らしく返歌されてますが、
私も実家の垣根の寒椿が散った頃の事で、
返歌させて頂きます。
よろしくお願いいたします。
⭐️ 氷雨をもまといて咲ける寒椿 散りたる花も艶やかにして
ポエットMさん
★ 寒椿ほろりと落ちるその朝に 古武士のごとき師は逝きにけり
夕庵さん
★ 寒椿散りたる垣に佇めば その表札は亡父のままに
みっちっち
水曜サロン会をいつも拝見し、短歌に不得意な私も勉強させて頂いております。多くの方がこの会を楽しんで寄稿されておられる「短歌」の数々、なるほどとうなずかせるものばかり。加えて、Shouさんの添えるコメントがまた暖かく適格で感動しております。
ご指導も楽しまれておられるご様子もうかがい知ることができます。
どうぞ、ますますこの会が発展されることを祈念しております。
☆氷雨をも まといて咲ける寒椿 散りたる花も 艶やかにして ポエットMさん
★寒椿ほろりと落ちるその朝に古武士のごとき師は逝きませり 夕庵
よろしくお願いします。
今日も皆さんの歌に胸が締め付けられるような思いと共に温かく豊かな気持でいっぱいになりました。
みっちっちさんの
侘助とお母さんの優しいほほえみ・・鉄瓶から立ち昇るしなやかな湯気・・この情景と朝粥はお母さん好みの味で・・という語らずと相通じる親娘の深い愛情・・本当に目頭が熱くなり思わず零れ落ちるものがありました。
夕庵さんの「鬼遣らい」も、いにしえから伝わる鬼打ち、鬼を追い払う行事として捉えるだけではなく
その鬼の行方とその心情にも思いを寄せる優しいお人柄がにじみ出ているところはポエットMさんと同じような気持ちになりました。
また「破れ蓮」についても目立たない存在であっても役目を全うし、次代に託すという心意気と「死してなお・・」という見習うべき矜持を感じました。
浅間山明鏡止水です。
短歌投稿します。
「詞書」冠雪の雄大な浅間山連峰を眺めることは実に楽しいし気持ち良くなります。長野県民は浅間山連峰や八ケ岳連峰、北アルプス、中央アルプス、南アルプス等冬の冠雪を眺めながら暮らしていると思うと感慨深いものがあります。そこで拙者ブログ掲載予定「雪山登山・甲信越編」より雪山を詠んでみました。
長野県佐久穂町「北横岳」
「眼前に八ヶ岳ブルー青空と 連峰拡がり眺め絶景」
長野県茅野市「天狗岳」
「雪山は登竜門こそ天狗岳 挑戦するは2つのピーク」
新潟県湯沢町・群馬県みなかみ町「谷川岳」
「絶壁のアルペン的な双耳峰 二つ耳こそ厳しい試練」