うてん通の可笑白草紙

江戸時代。日本語にはこんな素敵な表現が合った。知らなかった言葉や切ない思いが満載の時代小説です。

今日を刻む時計~髪結い伊三次捕物余話~

2012年04月29日 | 宇江佐真理
 2010年7月発行

 火事で家が全焼。台箱だけを辛うじて持ち出した伊三次であったが、あれから10年が経ち、伊与太は絵師に弟子入りし、妹も生まれていた。
 物語は捕り物を織り交ぜながらも、一貫して不破龍之進の結婚問題に終始する。いよいよシリーズ9作目にして、完全に主役交代である。

今日を刻む時計
 伊三次は、折り合いの悪かった義兄の十兵衛だが、中風で寝たきりになった為に、廻り髪結いのほかに、十兵衛の店梅床の手伝いをしていた。
 ある日、日本橋で刃物を振りかざして暴れている男がいると聞いた伊三次は、芸妓屋前田に入り浸る不和龍之進を呼びに走る。
 大人になった龍之進の言わばお披露目的事件。見事な同心ぶりを見せる。
 一方で、前田の芸妓小勘に言い寄られるが、母のいなみを貶める言葉を聞いて、小勘にきつく断りを入れる。この場面に居合わせたお文(文吉)の久し振りに気っ風の良い啖呵が小粋である。
 また、朋輩の古川喜六の人柄を思わせる言葉も印象深い。

秋雨の余韻
 雨宿りした店先で、龍之進はおゆうという娘と知り合う。後日、その娘は、まれに見る物知らずな娘であることから、お文が仲立をし、不破家でいなみの指南を受ける事になる。
 またも龍之進とおゆうの出会いから、何やら恋心を思わせる展開へと進んでいく。
 また、朋輩の橋口譲之進の母親が亡くなるというシーンから、龍之進への世代交代の波を次第に高めていっているか。「今日を刻む時計」の章でも、岡っ引きの留蔵登場シーンはなく、手下の弥八が事実上現場を預かる形で描かれていた。

過去という名のみぞれ雪
 おゆうに行儀作法を教えるついでに、男勝りの茜への教育も始まった。おゆうを気に入ったいなみは、龍之進と一緒になる気はないかと尋ねるが…。
 一方伊三次は、鋏を研ぐ為に刃物屋を訪い、そこで青物屋の仙吉という、気っ風の良い若者と知り合うが、彼の腕には罪人の証しの入れ墨があった。
 やはり龍之進の男っぷりはおゆうを捉えたようだが、気難しい性質だと伺わせている。親子なのだから当然だが、若かりし頃の友之進を見ている様でもある。

春に候
 労咳で先が長くない笠戸松太郎から、己が死んだら、許嫁のひふみを貰って欲しいと告げられた龍之進。朋友の遺言とも思える言葉に思い悩むのだった。
 寺社の仏像を狙った盗賊を追い詰めた不破と緑川親子、そして伊三次。
 先立って同寺で見掛けた不信な男の似面絵を描いていた伊与太だった。
 漸く伊与太が登場するが、今回は捕り物とは直接の関わりはないが、次作への伏せんとなっているようだ。

てけてけ
 毎度仲間と揉め事を起こす、見習い同心の笹岡小平太。彼は鳶職の息子であるが、笹岡家に養子に入った身であった。また、同時に姉の徳江も笹岡家に引き取られたのだが、養父母にとって、徳江はお荷物であった。
 松太郎が亡くなり、古川喜六と妻の芳江が連れ立って弔問に訪った。そもそも芳江は、喜六との縁組が整うまで、松太郎とは相惚れの間柄だ。だが、喜六は全てを承知の上だった。そして龍之進は芳江に、松太郎の遺言を告げると、芳江がひふみに聞いてみようと仲立をするのだった。
 喜六の鷹揚な人柄が忍ばれる。

我らが胸の鼓動
 松太郎の遺言ともなったひふみとの縁組だが、松太郎を思い出す相手は嫌だと断られてしまい意気消沈する龍之進。一方龍之進に岡惚れし、色目を使っていたと養父母の逆鱗に触れた徳江は、実家に戻されたと言う。
 伊三次は、女中のおふさが、不破家中間の松助に気があるようだと二人の仲を取り持つのだった。
 何と言っても龍之進の徳江への台詞が効いている。火消しの女房になりたいか、同心か。そして、そのまま組屋敷へ連れ帰るといった早業。これは父親の友之進が、吉原の仲店でいなみを見付けた時、単身乗り込み直ぐに見受け金を用意した早業と通じるものがある。
 小勘、おゆう、ひふみ、徳江(たけ)と龍之進の嫁選びは終焉をみたが、元龍之介の手習いの師匠小泉翠湖の娘のあぐりに、ほのかな恋心を抱いただけで、伊三次とお文のような恋愛がなかった事が気になると言えば気になるが…。

 今回は、事件が龍之進の心中の迫る内容となっており、読み応えのある濃厚な一冊となっている。捕り物劇はさらりと書かれているだけだが、ひとつひとつを突き詰めると実に切ない内容であり、その背景を持ってすれば、いずれも一話分になるだろう。
 そして、粋な兄さんの伊三次(既に四十半ば)を見られないかと思うと、それは残念である。

主要登場人物
 伊三次...廻り髪結い、不破友之進の小者
 お文(文吉)...伊三次の妻、日本橋前田の芸妓
 伊与太...伊三次の息子、芝愛宕下の歌川豊光の門人
 お吉...伊三次の娘
 おふさ...伊三次家の女中
 九兵衛...伊三次の弟子
 安吉...伊三次の弟子
 不破友之進...北町奉行所臨時廻り同心
 いなみ...友之進の妻
 龍之進...友之進の嫡男、北町奉行所定廻り同心
 茜...友之進の長女
 お園...伊三次の姉、十兵衛の妻
 十兵衛...炭町梅床の主
 松助...不破家中間
 三保蔵...不破家下男
 おたつ...不破家女中
 緑川平八郎...北町奉行所臨時廻り同心
 緑川鉈五郎...平八郎の嫡男、北町奉行所隠密廻り同心
 橋口譲之進...北町奉行所年番方同心
 春日多聞...北町奉行所年番方同心
 西尾左内...北北町奉行所例繰方同心
 古川喜六...北北町奉行所吟味方同心
 芳江...喜六の妻
 片岡監物...北町奉行所吟味方与力
 片岡美雨...京橋日川道場師範代、監物の妻
 弥八...岡っ引き留蔵の手下(京橋/松の湯)
 清吉...岡っ引き留蔵の手下、弥八の義弟
 笠戸松之丞...小普請組、龍之進の元手習の師匠
 美江...松之丞の妻
 松太郎...松之丞の嫡男、大名家お抱え儒者、龍之進の朋輩
 赤羽ひふみ...松太郎の許嫁
 おゆう...日本橋廻船問屋大和屋の娘
 笹岡清十郎...元北町奉行所物書同心
 笹岡小平太...北町奉行所同心見習い、清十郎の養子
 徳江(たけ)...小平太の実姉
 



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