
猫の通り道である事から、にゃんにゃん横丁と呼ばれる、深川東平野町と山本町の間の小路。そこにある深川山本町の喜兵衛店(裏長屋)に住まう人々の笑いと涙の日常を、一話毎に主役を変えてバトンタッチ方式で描いた連作小説である。徳兵衛、富蔵、おふよの五十代の朋友の目線で描かれている事から、全体にほんわりとした情感が漂っている。
ちゃん
女房と別れひとり暮らしの泰蔵が、勾引しの罪に問われた。それは別れて暮らす実の娘に会っていただけである。だが元女房は、その事実を隠し、泰蔵など知らないと言い張るのだった。
泰蔵の無実を立証する為に、徳兵衛、富蔵、おふよは奔走する。
裏店で暮らす人々のほんわりとした絆と、おふよの江戸っ子気質を現した序章。泰蔵の娘が、泰蔵を「ちゃん」と呼び、養父を「お父っつあん」と呼び分ける健気さ、そして父娘の情がじんとくる。
娘と同じ名前を付けた白猫を飼った泰蔵。その猫のるりが「ちゃん」と鳴くと言うのだ。
恩返し
女房に逃げられ、男手ひとつで三人の息子を育てる巳之吉。男所帯で育った乱暴者の末っ子の音吉が、子ども相撲大会に町内の期待を担って出場。
乱暴者で手に負えないと思いつつも、何かと手助けをするおふよが、如何にも和気あいあいの長屋風景を演出。派手な親子喧嘩の様子も、なぜかほのぼのと感じるから不思議だ。
にゃんにゃん横丁の猫を親身に世話する、おつがの元に、まだらと呼ばれる雌猫が、恩返しのつもりなのか、色々な物を運んで来ると言う。
菩薩
元は絵師でありながら今は、下駄に挿絵を入れる内職程度で、女房のおもとに寄り掛かりっぱなしの民蔵が、酒毒で明日をも知れぬ命と分かると、おもとは最期を看取りたいと親身に看病をする。
やはり誰かが死んで逝かない事には、物語は進まないのかと切ない気持ちになったが、元は期待された絵師だった民蔵が最期に一世一代の絵を仕上げた事と、息子が意志を継いで絵師の修行に入るといった発展的な終わり方で閉めている。
喜兵衛店の景色に加え、台箱を携え、仕事に出掛けるおもとの立ち姿を菩薩に例えた絵である。
雀、蛤になる
「蛤になる苦も見えぬ雀かな」。小林一茶の句に因んで、二家族の切ない別れの話である。
ひとつ目は、二十二歳の若さで亭主に先立たれ、戻る家もないおなおが、亭主の弟と一緒になるといった話。
二つ目は、亭主が寄せ場送りとなっている間に、その弟と割りない仲になった女房が、駆け落ちをする。
この章は、少々異質であり、どちらも割り切れない結末である。
香箱を作る
老舗の薬種屋の大旦那が、隠居後のひとり住まいとして喜兵衛店にやって来た。粋狂な事だと見ていた徳兵衛たちだったが、若かりし頃の忘れ得ない思い出があったのだ。
また、喜兵衛店に住む大工の息子であはるが、秀才の誉れ高く、学問んで身を立てていた佐源次が、師匠の命で、土地の買収の為に父親の源五郎と相対する話である。
猫が丸まった姿を香箱と称するように、人も相応しい居場所を捜し続けるという内容。
洒落たタイトルに添った内容で、四方円く収まる心温まる結末である。
そんな仕儀
上方へ行っている息子良吉一家が、久し振りに江戸に戻るが、長屋には泊まらない事で面白くないおふよ。だが、孫娘のおさちだけはおふよの元へ。
良吉たちが上方へ去った後、おふよは、若い男に「おっ母さん」と呼ばれ付け狙われる。
親子、兄弟の情を考えさせつつ、おつがの家の前ににゃんにゃん横丁の猫たちが座り込んでいるといった風景。そして徳兵衛たちが内へ入ってみると、おつがとまだらが抱き合って冷たくなっていた。
おつがの弔いの朝、徳兵衛が湯屋の口開けを待つにゃんにゃん横丁の光景で、静かに物語は幕を下ろす。
憎いくらいに小気味の良い朝の情景を堪能頂きたい。
主要登場人物
岩蔵...地廻りの岡っ引き
徳兵衛...喜兵衛店大家、元佐賀町干鰯問屋の番頭、富蔵・おふよの朋友
富蔵...自身番の書役、徳兵衛・おふよの朋友
喜兵衛...喜兵衛店家主、蛤町呉服屋増田屋の主
おふよ...一膳めし屋こだるまの手伝い、徳兵衛・富蔵の朋友、喜兵衛店の店子
粂次郎...指物師おふよの夫、喜兵衛店の店子
良吉...日本橋呉服屋見春屋上方出店の番頭、おふよの長男
おさち...良吉の長女
泰蔵...三好町材木問屋相模屋手代、喜兵衛店の店子
おるり...泰蔵の娘
巳之吉...木場川並鳶、喜兵衛店の店子
音吉...巳之吉の三男、喜兵衛店の店子
弥平...一膳めし屋こだるまの主
おつが...宮本節師匠
おもと...女髪結い、喜兵衛店の店子
民蔵(英民)...元絵師、おもとの夫、喜兵衛店の店子
筆吉...おもと、民蔵の長男
鉄平...佐賀町佃煮屋小川屋若旦那
おなお...鉄平の妻
お駒...山本町煮売屋金時女将
寅吉...お駒の夫
嘉吉...寅吉の末弟
風太...寅吉の朋友の子
彦右衛門...米沢町薬種屋五十鈴屋の隠居、喜兵衛店の店子
源五郎...山本町材木仲買商信州屋の大工、喜兵衛店の店子
佐源次...源五郎の次男、竹原瑞賢の弟子
竹原瑞賢...本所緑町の儒者
瑞江...瑞賢の娘
友五郎...本所炭屋佐賀屋の末息子

