成木川の入間川合流近く、、飯能・落合から前ケ貫へ渡る「清川橋」付近河原・・
曼珠沙華の群生・・
林立する古木は、”桜”です・
成木川は入間川の支流である。
川が谷地を切り開いて、入間川に合流する辺りは「阿須(=あず)」と呼ばれる地形になる。切り開かれたところは、狭山丘陵の一角で、どうやら隆起してできた台地のようである。隆起してできた丘陵を削るとどうやら古い地層が露出するようである。「阿須」は崩崖のことの古語だと伝える書もある。
この古い地層は、様々な地質を含んでいることが発見されている。
成木川の入間川への落合付近は阿須運動公園があるが、隣接の山側は、あけぼの子供公園「トーベ・ヤンソン」があり、「あけぼの」の名づけは曙杉らしい。子供公園の背景地は、日豊鉱業という泥炭の炭鉱で、この泥炭は曙杉の堆積でできたことが地質学者により証明されている。
そして成木川の上流は、良質の石灰石の産地で、江戸時代・幕府に認知された「成木の石灰」は、漆喰の白壁材として重要な建築資材となった。この運搬のルートは、青梅と江戸城を結び、成木街道(=青梅街道の旧名)として整備された。
またこの上流地は、古代・白村江の戦いで敗残兵となった高句麗族の日本への流民が一旦は上総に落ち、朝廷の斡旋で「南高麗」に居留地を得て移る住んだと言われている。高麗本郷の高麗族とは、近親だが別流の高麗族だそうで・・