前回の高校野球ブログ、「小倉監督最後のノック」の続編にあたる今回。
ノックは3月22日だったが、私はその数日前にも、小倉全由監督のユニフォーム姿を目に焼き付けるべく、
母校グラウンドで行われた、練習試合の観戦に出かけている。
3月某日、いつものようにJR淵野辺駅から、徒歩で向かおうとした私の目の前に、一台のタクシーが停車。
降りてきたのはなんと、スーツ姿の小倉監督ではないか。グラウンドではなく、なぜ駅前に!?
少しだけお話しさせていただいたところ、小倉さんは今から出張に行くそうで、
「(今日の練習)試合は、(次期監督の三木さんなど)みんなに任せてあります」とのこと。
愚問だとはわかっていたが、「監督、本当に辞めちゃうんですか?」とたずねたところ、
少し困ったような表情をしながら、「…今まで応援ありがとうございます」と応えてくださったので、
私もあわてて、「イヤイヤこちらこそ、たくさんの素晴らしい思い出を、ありがとうございました」と、返答し最敬礼。
そのまま小倉監督は早歩きで、駅に向かっていった。急いでいたのをジャマをした形になり、申しわけなく思う。
結局この日は、残念ながら監督のユニフォーム姿は拝めなかったが、
任侠風スーツ姿(失礼)の小倉さんに、挨拶ができたので光栄である。 ※添付画像はイメージ
※Amazonのサイトより拝借
一応、その後は当初の予定どおり、母校まで足を運び(徒歩約45分)、練習試合を観戦。
このとき記したように、拙ブログは昨年から、三高野球部やマスコミが未発表の情報は掲載しない方針に変えたので、
相手や試合内容については明かせない。とはいえ、少しだけ書かせていただくと、
○相手は群馬の強豪 ○三高は通常と同様、投手が打席に立ち、相手校はDH制を採用
○ダブルヘッダーで実施され、第一試合は6-3で三高の勝利、第二試合は観ないで帰ったため不明
○第一試合終了後は昼食休憩。相手校父兄の休憩場所として、三高の学食を開放したのだが、
「グラウンドから遠い」だの「メンドくせえ」だの不満タラタラ。やっぱり群馬県民はガラが悪い(←偏見)。
最後のは余計だろうが、あまりのヒドさに書かずにいられなかった。しかも、発言主はほぼ母親だったし。
ちょっと前に、何かの間違いで全国制覇したからって、現在の父兄までデカい面するんじゃねえよ。
それから数日後の3月12日、古豪・松山商の120周年記念試合に招待され、三高野球部は愛媛県へ。
要するに練習試合なのだが、地元の愛媛朝日テレビが取材に訪れ、その様子をYouTubeで公開。 ※動画はこちら
第一試合は日大三9-3松山商、控え選手主体の第二試合も日大三6-2松山商と、三高が連勝。
小倉監督の試合前ノックや、勇退を直前に控えてのインタビュー、
さらに松山商OBで、「奇跡のバックホーム」で有名な矢野勝嗣さんによる始球式など、見どころの多い動画であった。
私は観ていないが、帰京後も三高は練習試合をこなし、全国の強豪相手に勝ったり負けたり。
そして迎えた3月31日。小倉全由の監督生活最終日に組まれたのが、関東一時代からのライバルである、帝京との練習試合。
小倉さんの最後のユニフォーム姿を見届けるべく、私も当然、母校グラウンドへ駆けつけた。
「最後のノック」が行われた3月22日には、下記のようにまだ咲いていなかった桜も、
9日後にはこのようにほぼ満開に。同じアングルの写真じゃなくてゴメン。
坂を下っていき、「日大三高入口」にたどり着くと、今度は上り坂が待っている。
しんどい坂だけど、このときに歩いた百草園前の急坂と比べたら、だいぶ楽である。
坂の上には我が母校のキャンパスがあり、校舎入口を横目にさらに進むと、
日大三高野球部の専用グラウンドが見えてくるが、ここからは「撮影禁止エリア」になる。
試合開始予定は10時。30分ほど前に到着したら、平日の午前中なのに、明らかに普段の練習試合より観客が多い。
私を含む、多くのファンが見守る中、小倉監督がユニフォーム姿で登場し、練習試合が始まった。
ただし、小倉さんは指揮を三木新監督に任せたのか、ベンチの脇の方に立っており、
しかも、関係者と思われる来訪者が来るたびに、ベンチ裏へ出向き挨拶を交わす。試合に集中させてあげたかったよ。
試合の方は、マスコミも報じていたように、3-3の引き分け。
勇退するとはいえ、ただの練習試合にマスコミ各社が駆けつけるのは、小倉さんだけであろう。
試合経過は、初回に帝京が2点を先制し、5回に三高が池内の2ランで追いつく。
8回表に帝京が1点勝ち越すと、その裏に三高が佐々木のホームランで再び同点。
その後、一死満塁のチャンスを迎え、打席にピッチャーの安田が入る。
三木新監督から「さあ安田~ここはじっくり行くぞ~」と大声で指示が飛ぶ。自軍ながら「じっくり行く」が怪しいな、
と思ったら案の定、3球目にスクイズを敢行するも、小フライになり失敗。この回は結局1点どまり。
スクイズ失敗よりも、小倉さんはやらなかった口三味線(故意ではないかもしれんが)の方が、個人的にはガッカリさせられた。
三高は最終回にもチャンスを作ったが、最後の打者が三振を喫し、3-3のまま試合終了。
三高のエース安田が最終回まで完投したのに対し、帝京は惜しげなく4人のピッチャーを投入。
10時試合開始のこの日も、ダブルヘッダーだと認識していたので、帝京は次の試合、誰が投げるのか心配になったが、
試合終了後すぐに、両チームが集合し記念撮影が始まったため、1試合しかやらないことが判明。
あくまで私の感想だが、帝京は「小倉さんの最後の試合だし…」と、あまり勝利に執着していないように見えたが、
三高は相手の忖度を拒否し、引き分けてみせた(?)。選手たちに「勝たねば!」という重圧もあったのかな。
とにかく、小倉全由監督の最後の試合が終わった。負けなくてよかったよ。
試合終了後の記念撮影では、小倉監督が目標にしていた、帝京の前監督である前田三夫さんも登場。
東京の高校野球を長年牽引してきた、名将同士の2ショットも実現。今回もまた、日刊スポーツから画像を拝借。
(C)日刊スポーツ
「前田さんがわざわざ他校に足を運ぶのは、小倉さんだけじゃないですか」という私の意見に、
観戦仲間のひとりが、「前田さんを相手するのも小倉さんくらいだよ」だって。それは言うたらアカン(笑)。
記念撮影後は、小倉監督最後の胴上げ。さっきから述べているように、グラウンド内は撮影禁止なので、
私は遠慮したのだが、周囲の三高ファンだけでなく、帝京の父兄まで撮影している。
ならば私も…とあわててシャッターを押すも、時すでに遅く、さらに撮影者の腕も悪く、胴上げ終了後の瞬間しか撮れず。
撮影終了後も、何人かの関係者がベンチ裏に行き、小倉さんに挨拶したあと、記念撮影をお願いしていた。
終始立ちっぱなしで、小倉さんも疲れているはずだが、笑顔で撮影に応じている。
なので、図々しいのは百も承知だが、私も知人の野球部OBの威厳を借りて、ベンチ裏へ。
小倉さんに挨拶し、記念撮影をお願いしたその瞬間、いろんな思い出が一気に甦ったのか、
恥ずかしながらが涙がブワッと込み上げてきた。せっかくの記念撮影なのに!
泣き顔では失礼なので「ちょ、ちょっとすみません」とお詫びしながら目元を拭くが、自分の意思では涙は止まらぬ。
結局、歯を食いしばって涙をこらえたため、睨んだような表情での写真となってしまった。
※一応、スーツ着用で行きました
小倉監督、あのときはお待たせしてしまい、誠に申し訳ございませんでした!
ちなみに、カメラのシャッターを押してくれたのは、高校野球好き芸人のいけだてつやさん。
※人力舎HPより拝借
いけださん、あのときは撮影していただき、本当にありがとうございました!
関係者及び部外者(私)との撮影や歓談を済ませ、小倉監督は合宿所へ戻っていき、我々もグラウンドをあとにすることに。
試合終了時のスコアボードがまだ残っていたので、撮らせていただいた。
帰りは当然、さっき上った学校前の坂を下ることになる。
来るときは気付かなかった、散った花びらによる「桜ロード」を目にして、ちょっと感傷的になってしまった。
卒業式のある学生時代ならまだしも、まさかこのトシになって、桜を見てさみしくなるとはねえ。
この日、どこの馬の骨ともわからぬ男と撮影をしていただいた、小倉さんに感謝の気持ちを込めて、
監督が最後に率いた、二宮主将の現チームには、ヤジを飛ばさないことを決意。
「そもそも、普通の高校野球観戦者はヤジなんて飛ばさねえよ」という正論はさておき、
夏の大会までは、観戦時は罵倒することなく、チームには声援のみを送ろうと思っている。
まあ、相手校のアンフェアなプレイや、審判の疑惑の判定などは、今までどおり容赦なくヤジるけどね(←やめとけ)。
4月に入ると、春季東京都大会が開幕。
シード校など有力校の敗退も見られる中、第三シードの日大三は順調に勝ち上がり、ベスト4に進出。
今週土曜日に行われる、準決勝の相手は関東一。小倉前監督が初めて監督を務めた高校である。
両チームの対戦を、小倉さんも楽しみにしていることだろう。当日は私も八王子球場で、精一杯拍手と声援を送る予定だ。
準決勝の勝利、そして春季都大会制覇を目指し、ガンバレ三高!
最後に、前回の高校野球ブログでも記したし、淵野辺駅でも記念撮影のときにも、ご本人にお伝えしたが、あえてもう一度。
小倉全由さん、長年にわたる教員及び指導者生活、本当にお疲れさまでした。
日大三高の校訓である、「明・正・強」を体現するような野球部の活躍には、
高校時代帰宅部で、野球部とは無関係の私も、何度となく励まされてきました。
血潮湧き立つ、たくさんの素晴らしい思い出を、ありがとうございました。
次回高校野球ブログは、春季都大会について書く予定。三高の優勝報告ができるといいのだが。
ノックは3月22日だったが、私はその数日前にも、小倉全由監督のユニフォーム姿を目に焼き付けるべく、
母校グラウンドで行われた、練習試合の観戦に出かけている。
3月某日、いつものようにJR淵野辺駅から、徒歩で向かおうとした私の目の前に、一台のタクシーが停車。
降りてきたのはなんと、スーツ姿の小倉監督ではないか。グラウンドではなく、なぜ駅前に!?
少しだけお話しさせていただいたところ、小倉さんは今から出張に行くそうで、
「(今日の練習)試合は、(次期監督の三木さんなど)みんなに任せてあります」とのこと。
愚問だとはわかっていたが、「監督、本当に辞めちゃうんですか?」とたずねたところ、
少し困ったような表情をしながら、「…今まで応援ありがとうございます」と応えてくださったので、
私もあわてて、「イヤイヤこちらこそ、たくさんの素晴らしい思い出を、ありがとうございました」と、返答し最敬礼。
そのまま小倉監督は早歩きで、駅に向かっていった。急いでいたのをジャマをした形になり、申しわけなく思う。
結局この日は、残念ながら監督のユニフォーム姿は拝めなかったが、
任侠風スーツ姿(失礼)の小倉さんに、挨拶ができたので光栄である。 ※添付画像はイメージ
※Amazonのサイトより拝借
一応、その後は当初の予定どおり、母校まで足を運び(徒歩約45分)、練習試合を観戦。
このとき記したように、拙ブログは昨年から、三高野球部やマスコミが未発表の情報は掲載しない方針に変えたので、
相手や試合内容については明かせない。とはいえ、少しだけ書かせていただくと、
○相手は群馬の強豪 ○三高は通常と同様、投手が打席に立ち、相手校はDH制を採用
○ダブルヘッダーで実施され、第一試合は6-3で三高の勝利、第二試合は観ないで帰ったため不明
○第一試合終了後は昼食休憩。相手校父兄の休憩場所として、三高の学食を開放したのだが、
「グラウンドから遠い」だの「メンドくせえ」だの不満タラタラ。やっぱり群馬県民はガラが悪い(←偏見)。
最後のは余計だろうが、あまりのヒドさに書かずにいられなかった。しかも、発言主はほぼ母親だったし。
ちょっと前に、何かの間違いで全国制覇したからって、現在の父兄までデカい面するんじゃねえよ。
それから数日後の3月12日、古豪・松山商の120周年記念試合に招待され、三高野球部は愛媛県へ。
要するに練習試合なのだが、地元の愛媛朝日テレビが取材に訪れ、その様子をYouTubeで公開。 ※動画はこちら
第一試合は日大三9-3松山商、控え選手主体の第二試合も日大三6-2松山商と、三高が連勝。
小倉監督の試合前ノックや、勇退を直前に控えてのインタビュー、
さらに松山商OBで、「奇跡のバックホーム」で有名な矢野勝嗣さんによる始球式など、見どころの多い動画であった。
私は観ていないが、帰京後も三高は練習試合をこなし、全国の強豪相手に勝ったり負けたり。
そして迎えた3月31日。小倉全由の監督生活最終日に組まれたのが、関東一時代からのライバルである、帝京との練習試合。
小倉さんの最後のユニフォーム姿を見届けるべく、私も当然、母校グラウンドへ駆けつけた。
「最後のノック」が行われた3月22日には、下記のようにまだ咲いていなかった桜も、
9日後にはこのようにほぼ満開に。同じアングルの写真じゃなくてゴメン。
坂を下っていき、「日大三高入口」にたどり着くと、今度は上り坂が待っている。
しんどい坂だけど、このときに歩いた百草園前の急坂と比べたら、だいぶ楽である。
坂の上には我が母校のキャンパスがあり、校舎入口を横目にさらに進むと、
日大三高野球部の専用グラウンドが見えてくるが、ここからは「撮影禁止エリア」になる。
試合開始予定は10時。30分ほど前に到着したら、平日の午前中なのに、明らかに普段の練習試合より観客が多い。
私を含む、多くのファンが見守る中、小倉監督がユニフォーム姿で登場し、練習試合が始まった。
ただし、小倉さんは指揮を三木新監督に任せたのか、ベンチの脇の方に立っており、
しかも、関係者と思われる来訪者が来るたびに、ベンチ裏へ出向き挨拶を交わす。試合に集中させてあげたかったよ。
試合の方は、マスコミも報じていたように、3-3の引き分け。
勇退するとはいえ、ただの練習試合にマスコミ各社が駆けつけるのは、小倉さんだけであろう。
試合経過は、初回に帝京が2点を先制し、5回に三高が池内の2ランで追いつく。
8回表に帝京が1点勝ち越すと、その裏に三高が佐々木のホームランで再び同点。
その後、一死満塁のチャンスを迎え、打席にピッチャーの安田が入る。
三木新監督から「さあ安田~ここはじっくり行くぞ~」と大声で指示が飛ぶ。自軍ながら「じっくり行く」が怪しいな、
と思ったら案の定、3球目にスクイズを敢行するも、小フライになり失敗。この回は結局1点どまり。
スクイズ失敗よりも、小倉さんはやらなかった口三味線(故意ではないかもしれんが)の方が、個人的にはガッカリさせられた。
三高は最終回にもチャンスを作ったが、最後の打者が三振を喫し、3-3のまま試合終了。
三高のエース安田が最終回まで完投したのに対し、帝京は惜しげなく4人のピッチャーを投入。
10時試合開始のこの日も、ダブルヘッダーだと認識していたので、帝京は次の試合、誰が投げるのか心配になったが、
試合終了後すぐに、両チームが集合し記念撮影が始まったため、1試合しかやらないことが判明。
あくまで私の感想だが、帝京は「小倉さんの最後の試合だし…」と、あまり勝利に執着していないように見えたが、
三高は相手の忖度を拒否し、引き分けてみせた(?)。選手たちに「勝たねば!」という重圧もあったのかな。
とにかく、小倉全由監督の最後の試合が終わった。負けなくてよかったよ。
試合終了後の記念撮影では、小倉監督が目標にしていた、帝京の前監督である前田三夫さんも登場。
東京の高校野球を長年牽引してきた、名将同士の2ショットも実現。今回もまた、日刊スポーツから画像を拝借。
(C)日刊スポーツ
「前田さんがわざわざ他校に足を運ぶのは、小倉さんだけじゃないですか」という私の意見に、
観戦仲間のひとりが、「前田さんを相手するのも小倉さんくらいだよ」だって。それは言うたらアカン(笑)。
記念撮影後は、小倉監督最後の胴上げ。さっきから述べているように、グラウンド内は撮影禁止なので、
私は遠慮したのだが、周囲の三高ファンだけでなく、帝京の父兄まで撮影している。
ならば私も…とあわててシャッターを押すも、時すでに遅く、さらに撮影者の腕も悪く、胴上げ終了後の瞬間しか撮れず。
撮影終了後も、何人かの関係者がベンチ裏に行き、小倉さんに挨拶したあと、記念撮影をお願いしていた。
終始立ちっぱなしで、小倉さんも疲れているはずだが、笑顔で撮影に応じている。
なので、図々しいのは百も承知だが、私も知人の野球部OBの威厳を借りて、ベンチ裏へ。
小倉さんに挨拶し、記念撮影をお願いしたその瞬間、いろんな思い出が一気に甦ったのか、
恥ずかしながらが涙がブワッと込み上げてきた。せっかくの記念撮影なのに!
泣き顔では失礼なので「ちょ、ちょっとすみません」とお詫びしながら目元を拭くが、自分の意思では涙は止まらぬ。
結局、歯を食いしばって涙をこらえたため、睨んだような表情での写真となってしまった。
※一応、スーツ着用で行きました
小倉監督、あのときはお待たせしてしまい、誠に申し訳ございませんでした!
ちなみに、カメラのシャッターを押してくれたのは、高校野球好き芸人のいけだてつやさん。
※人力舎HPより拝借
いけださん、あのときは撮影していただき、本当にありがとうございました!
関係者及び部外者(私)との撮影や歓談を済ませ、小倉監督は合宿所へ戻っていき、我々もグラウンドをあとにすることに。
試合終了時のスコアボードがまだ残っていたので、撮らせていただいた。
帰りは当然、さっき上った学校前の坂を下ることになる。
来るときは気付かなかった、散った花びらによる「桜ロード」を目にして、ちょっと感傷的になってしまった。
卒業式のある学生時代ならまだしも、まさかこのトシになって、桜を見てさみしくなるとはねえ。
この日、どこの馬の骨ともわからぬ男と撮影をしていただいた、小倉さんに感謝の気持ちを込めて、
監督が最後に率いた、二宮主将の現チームには、ヤジを飛ばさないことを決意。
「そもそも、普通の高校野球観戦者はヤジなんて飛ばさねえよ」という正論はさておき、
夏の大会までは、観戦時は罵倒することなく、チームには声援のみを送ろうと思っている。
まあ、相手校のアンフェアなプレイや、審判の疑惑の判定などは、今までどおり容赦なくヤジるけどね(←やめとけ)。
4月に入ると、春季東京都大会が開幕。
シード校など有力校の敗退も見られる中、第三シードの日大三は順調に勝ち上がり、ベスト4に進出。
今週土曜日に行われる、準決勝の相手は関東一。小倉前監督が初めて監督を務めた高校である。
両チームの対戦を、小倉さんも楽しみにしていることだろう。当日は私も八王子球場で、精一杯拍手と声援を送る予定だ。
準決勝の勝利、そして春季都大会制覇を目指し、ガンバレ三高!
最後に、前回の高校野球ブログでも記したし、淵野辺駅でも記念撮影のときにも、ご本人にお伝えしたが、あえてもう一度。
小倉全由さん、長年にわたる教員及び指導者生活、本当にお疲れさまでした。
日大三高の校訓である、「明・正・強」を体現するような野球部の活躍には、
高校時代帰宅部で、野球部とは無関係の私も、何度となく励まされてきました。
血潮湧き立つ、たくさんの素晴らしい思い出を、ありがとうございました。
次回高校野球ブログは、春季都大会について書く予定。三高の優勝報告ができるといいのだが。