わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

The Great Gatby 華麗なるギャツビー(いろいろネタバレあり)

2013-06-01 | 映画・ドラマ・本
 上息子と見て参りました。若息子は興味が無いからとパス。上息子は、英語の授業で読まされたばかりで、公開前から見に行く、見に行くと騒いでいましたが、結局、何かかにかと期会を逃して、今夜やっと劇場へ。映画は、とっても良かったです!!今年は私にとって、映画の当たり年だわv フィッツジェラルドの原作では、どう頑張っても好きになれないバカ女・デイジーを演じるのは、私のご贔屓女優、キャリー・マリガン。彼女が演じれば、その無垢で幼い雰囲気が、むしろデイジーの無責任さや弱さを「仕方ないよね、こういう女性なのだもの」と納得させたと思いました。小さな可愛いお馬鹿さん。

 レオナルド・ディカプリオは、久しぶりに眉間に皺寄せて、妻との関係に悩んでるのではない演技を見たような。5年ぶりにデイジーと再会する場面の、微笑ましいほどの恥じらいぶりや、デイジーに向ける愛情に満ちた眼差し、幸福そうな表情は、結末が判っているだけに哀れでならず、惹きこまれます。私的には、ディカプリオは、成り上がりのギャツビーには少し品が良すぎる感もありましたが、彼の繊細さはギャツビーの哀れを強調するのに適役だったと思います。逆に、良家のお坊ちゃまであるトムが下品で粗暴な感じだったけど、この映画では、トムの傲慢さや安っぽい愛人を囲っている悪趣味が強調されて合ってたかな。原作からのイメージ的には、ディカプリオはトムなんだけど、するとまた、毎度おなじみ「眉間に皺寄せて妻との関係に悩む夫」役になっちゃうねぇ。今回は別の役でよかった。

 飄々としたトビー・マクガイアも、抑え目ながらも、ギャツビーに寄せる視線が、まるで観客の心を映すようで印象的。彼のスパイダーマンには、なんか違う…と違和感が抜けなかったのですが、こういった脇を押さえる控えめな役柄をさせるとはまってるよね。彼は「傍観者」の役がすごく上手いと思う。レオナルド・ディカプリオとトビー・マクガイアは実生活でも仲良しの友人なのだそうで、二人が仲良しのシーンは本当に友達同士っぽくて、ケミストリーもバッチリだったと思います。ここんとこ、ジャック・ニコルソンに似てきたような気がしてならないディカプリオ、役のせいか、ロバート・レッドフォードそっくりに見える場面もありました。しかし、時間の流れは残酷だわ。あのチャーミングな美少年・美青年だったレオくんが、とっちゃん坊やになっちまって… でも彼は、もう一回りして、おっさん、じじいになったら、再び味のある役者になりそうで期待大。

以下は、映画と原作の違いのネタバレになるので、白抜きにしておきます:
 ギャツビーが、トムとデイジーの娘と顔を合わせるシーンはカットされ、ニックとジョーダンの関係も、ニックがずっとジョーダンに飲まれっぱなし、といいますか、あっさりまとめられていました。ギャツビーのビジネスパートナー、ウォルシャイムの扱いも軽くて、一回しか顔を出さなかったし、ギャツビーのお父さんも出てこない。そんな原作との相違点が批判されているようですが、私は、それがギャツビーの悲劇とデイジーの弱さ、そして狂言回しでもあるナレーター、ニックの関係を際立たせていたと思います。ギャツビーという男の悲劇を描くのに、焦点が横に逸れるようなエピソードは省いてしまったのでしょう。トムとマートルの関係はしっかりと描かれていますが、これも、ギャツビーの悲劇を際立たせるにに必要なスパイスです。どう転んでも、決してハッピーエンドにはならなかったであろうギャツビーとデイジー。どう流れていたとしても、したたかに生きていきそうなデイジーと、悲劇的に破滅するしか無いギャツビー。見事に映像に表されていたと思います。ニックがアル中で、サナトリウムで療養中って設定は、イマイチ納得いかなかったけど。でも、ギャツビーがデイジーの娘にあって困惑したり、そして最後の場面で、デイジーから電話がかかってきたと思いながら死んでいくのは、製作者のギャツビーへの愛だと思う。だって、そのほうが原作より、ずっと救いがあるもの。私もこっちのほうが好き。

 加えて、3Dを意識した深みのある画面、鮮やかで象徴的な色の使い方、1920年代のアール・ヌーヴォーな衣装やインテリアが目の保養。トムとニックが、ニューヨークで乱痴気騒ぎするときに出てくる犬も可愛くて、私得。そして、1920年台だけにガーシュウィン風のピアノ曲が流れたかと思えば、ビヨンセやJ-ZEEの現代風音楽が混ざるのも面白かった。先日見た「アンナ・カレーニナ」もそうでしたが、虚構(舞台)と現実が行き来するような演出は、私の好みらしくて、とても楽しかった。そして、余韻を残すエンディング… この頃は、延々エンドクレジットに付き合わないとオチを見せてもらえないという罰ゲームみたいな映画が多いですが、こういった、余韻を残しつつ、暫くの沈黙の後にエンドテーマが流れだすという映画の「美学」を久しぶりに満喫しました。冒頭、グーンと下がっていくカメラから、もう魅せられっぱなし。ローワー・マンハッタンのアパートの窓々で繰り広げられる人々の寸劇、ここはDVDでじっくり見たい。フィッツジェラルドの流麗な文章も上手く取り入れられて、今後の文芸作品映画化には、こういう手法が増えていくのではないかと思いました。っていうか、こういうの好きなので、増えてほしい。

 上息子は、この映画をとっても気に入って、今までで最高の一策と断言していました。実は彼には人生最高の映画作品がたくさんあるw ともあれ、彼の感想は:
Tonight I watched a movie that has filled me with so much awe, so much hope, so much love, that there can be no words in any language to describe how perfectly flawless that it was. Every scene, every second was matched so perfectly with my view of the book that I cannot describe how much I love this movie. An tale of two lovers lost to the Great War, The Great Gatsby shall forever be one of the greatest movies I have ever witnessed.
When the movie ended and the credits began to roll, there was no applause, just a slow, respectful, awe-filled exit from the small room where the movie played.
今夜、僕は、多くの感嘆と希望、そして愛に満ちた映画を見た。どんなにか、この映画が澱みなく完璧であったかを伝える言葉を僕は持たない。一つ一つのシーンの全てが、僕が心に思い描いた本の光景にぴったりで、僕がどんなにこの映画を愛しているか、言葉では言えないくらいだ。大戦によって失われた恋人たちの荘厳なる物語、「グレート・ギャツビー」は、僕が今までに見た映画の中でも、最も素晴らしい作品の一つだ。
 映画が終わり、クレジットが流れだしても、喝采の拍手は聞こえなかった。ゆっくりと敬意を示すかのように、静かな感嘆のため息とともに、人々が映画が上映された小さなヘ部屋から退室していっただけだった。


 たしかに、後に引く終わり方で、ただ静かに観客がギャツビーの夢の跡を後にして去る、という雰囲気が劇場にはありました。私の隣の席には、黒人のおばちゃんが座っていましたが。彼女は本当に映画に夢中で、驚いて飛び上がったり、パーティーの場面では楽しそうに体を揺らしたり、おかげで私も一層映画を楽しましてもらいましたw で、駐車場に行くと、私の車の横に、派手な、よりによって黄色のカマロが停まってた!上息子が興奮したのは言うまでもないwww



余韻を残す終わり方っていいよね

最新の画像もっと見る

コメントを投稿