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思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「わたし」として生きる  染谷裕太

2011-04-14 | 恋知(哲学)
「わたし」として生きる (染谷裕太)

学校の道徳はもちろん、会社でもテレビでも新聞でも、
人に親切にするとか、人に迷惑をかけないとか、
他者をたてることは教えられても、
自分がどのように思い、考えるかということの重大さを教えられたことは
たしかなかったと思います。
あったとしてもそれは弱く、「自分の意見を持とうね」とか
「周りに流されないように」とかその程度のもので
「わたし」が生きているのだ、ということをハッキリと
自覚させられるものはありませんでした。
「わたし」が生きているのだ、ということをハッキリと意識させられたのは
タケセンの塾※のみです。

誰かに親切にしたり、気遣ったりするのは良いことだけど
そうやって他者を思っているのは一体誰なのか?・・・。
出発点となっている「わたし」を自覚せずに、他者を先立てたら
一体「わたし」はどこにいってしまうのか。
そうやって自己欺瞞をし、それが当然のようになると
口先では他者のためといいつつ、
心の奥底では自分ためという、乖離がおこり、
他者のためどころか、その逆になるのではないか。
宗教の勧誘なんかが典型だと思います。
消せないはずの「わたし」を消した上で言う
「あなたのため」という言葉の気持ち悪さ。


※ タケセンの塾=『白樺教育館』の「ソクラテス教室」
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (きよ)
2011-04-22 22:22:38

他人に尽くす事が自分の為だと思うことを「乖離」と呼ぶのでしょうか?
今回の震災のボランティアのように自分には関係ない不幸な事にも同情出来るのが人の良い所だと思います。
友達が合格したり結婚したら一緒に喜んだり、他人のことを自分の事の様に思える所が人の良い所ではないでしょうか?
返信する
全文をお読みください。 (タケセン=武田康弘)
2011-04-23 15:30:14
きよさん
文意をとりそこなっています。
ぜひ、全文をお読みください。
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/955e169234c1585e9287f6d039d97a19
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