思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

今年はベルリオーズ没後150年の年でした。半世紀前に私がはじめて買ったオペラの全曲盤は、なんと世界初録音の『トロイアの人々』だったのです。

2019-12-31 | 芸術

 今年はベルリオーズ没後150年の年でした。
 思い出すと、
 わたしが最初に買ったオペラの全曲盤は、ベルリオーズの大作「トロイアの人々」です。1969年の没後100年の時にコリン・ディヴィスにより全曲がはじめて録音され、2年後の1971年に発売されたLP5枚組(定価1万円)。高くて「えい、や!」とばかりに気合を入れて買ったのでした(笑)

 なぜ、当時誰も聴いたことがない世界初録音のオペラの全曲盤を買ったのか、というと、
その3年前の1968年(高校2年生)のときに、アンセルメ・スイスロマンド管弦楽団による「幻想交響曲」を発売時に購入して、すっかり好きになり、冒頭に入っていた序曲「海賊」もパレットに色がいっぱいで、楽しくて何百回も聴いたのが縁、というわけです。

 そのLP(写真)は、アンセルメの練習風景も入っている凝った品(2枚組・2300円)で、16ページもの詳細な解説文が付いていましたが、そのうち7ページが志鳥 栄八郎さん(故人)による「情熱の作曲家ベルリオーズの半生と《幻想》」で、これが実に面白く役立ちましたので、だいぶ経ってからですが、私塾を開いた後に、ずいぶん多くの人にコピーして読んでもらいました。

 

 で、「トロイアの人々」を買い、針を降ろすと、そこにはなんともいえない美しい情熱と高貴な官能と劇的な音楽がありました。LP5枚、4時間を超えるオペラですが、均整の取れたロマンが花咲き、精妙な筆致による音楽世界に鳥肌が立ちっぱなしになりました。長いとは感じません。飛翔する想像力と激しい情熱に感動し、このほとんど知られていないオペラにすっかりハマってしまったのです。ただし、メロディーを口ずさんでも誰も分かってくれません(笑)

 緊張感のある精妙なデイヴィスとコヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団と合唱団の英国勢による演奏、歌手はみなフランス人。英仏合作の演奏は、見事で、いまもよく聴きます。

 なお、映像付きは、20年くらいたってから、レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団の上演記録がパイオニアからレーザーディスクで出たのが最初でした。この映像を見ながらわたしは、なぜ、「トロイアの人々」がほとんど上映されないのか、がよく分かりました。音楽がよ過ぎて想像力をあまりに刺激するので、舞台が追い付かないのです。このオペラは、背景画をスクリーンに映し、最小限の演出で、オケと合唱と独唱者を中心にするのがよいと思いました。オラトリオのように、です。

 DVDが出たのは、21世紀になってからで、3種類を持っていますが、一押しは、ガーディナーのもの。ベルリオーズを深く理解するガーディナーの演奏は、さすがです。現代演出は好みではありませんが、いま出ているDVDは、すべて現代演出なので残念。 20世紀まではほとんど演奏されなかった「トロイアの人々」ですが、21世紀になって欧米ではかなり上演されているようで、嬉しい限り。でも日本ではゼロです。今後は、わたしの提案を受けて、オラトリオ形式で上演してほしいもの。日本初演は誰がやるのかな~~?

 
 「幻想」のCDは、手元に20種類以上ありますが、今年、記念の年にロトとレ・シエクルによる新録音(彼らの2度目の録音)は、ロトが幻想を読み切った見事な名演で痺れます。1964年のクリュイタンスの東京公演、フランスの香りと超がつくほど激しく燃え上がる音楽が同居した名演や、ミンシュの大きく輝く名演とは異なりますが、緻密で完全にオケが鳴り切り、内側から燃える演奏には、とうとうここまで来たか、と感嘆。

 ベルリオーズ自身が最高傑作とする「レクイエム」は、発売されたものはみな聴きましたが、いま一つピンと来ませんでした。しかし、1994年2月14日にディヴィスがシュターツカペレ・ドレヅデンを振ったライブ(ドレスデン爆撃戦没者追悼演奏会)を聴き、深く納得しました。弱音の昇華された悲しみと美しさに痺れ、大音響による想像力の飛翔に感服しました。

 「テ・デウム」は、小沢が日本フィル解散時に日本初演をしたのを聴き、感動。その後に出たアバドのCDは、減るほど(CDなので減りませんが)聴きました。これは、いま、音質改善した「オリジナルズ」のシリーズになっています(再度買いましたが、歪が減り、美しい音になっています)。この曲もまた、デイヴィスがシュターツカペレ・ドレヅデンを振った演奏は、劇的で見事。アバドの繊細さと好対照。

 オラトリオ「ファウストの劫罰」は、長年、プレートル・パリ管のLPで聴き、CD化されてからはCDで。ミンシュよりもこちらが好きです。3年半前の夏に、スダーン・東響で実演に接し、とても面白くて大満足。すばらしい歌手陣、中でもメフィストフェレス役のミハイル・ペテレンコには度肝を抜かれました。

 ベルリオーズは全部聴いているので、書きだしたら止まりません。今日はここまでにします。


 明日から2020年、今度は、ベルリオーズが最も尊敬していたベ-トーヴェンの生誕250年です、ベルリーオーズより33才年長なので、親子くらいの年の差。第九交響曲の12年後に幻想交響曲は作曲されました。

 

武田康弘

 

 

 

 

 

 

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将門をまつる神社ーー縁が深くて驚きます。

2019-12-31 | 日記

 

 強欲な京都の天皇に対して反旗を翻した民衆の英雄=平将門をまつる神社は、
将門が幼少のころ住んだ千葉県我孫子市日秀にある【将門神社】と、手賀沼を隔てた対岸の「将門神社」(沼南町ー今は柏市)と
終焉の地の坂東市(茨城県)にある【国王神社】と
将門を主祭神とする【神田明神】(千代田区)と、
江戸城(現在は皇居)の前にある【将門首塚】(千代田区)と、
それに、将門伝説が多く残る奥多摩の鳩ノ巣にある【将門神社】です。

 実は、わたしは学生の頃は哲学(西洋哲学)を専攻していて、平将門については関心がなく、何も知りませんでした。それらの事柄は結婚して我孫子に住むようになってから徐々に知ったのであり、毎年のように行っている鳩ノ巣に「将門神社」があるとは、いま知ったばかりです。

 縁が深くて、ただ驚くなり~~~

 わたしは、神田須田町の生まれなので、お宮参りも七五三も結婚式もみな「神田明神」でしたし、6年半前に知ったのですが、日本三大祭りである神田明神のお祭り(神田祭)が、戦争で長いことできず、再開された日にわたしは生まれたのでした(1952年5月14日)。

 そして結婚して新居を我孫子にしたのですが、そこが将門が幼少期を過ごした地で「将門神社」があるとは全く知りませんでした。誠之小学校の5年と6年の時に手賀沼をのぞむ柏学園に来たのが縁で、自然が残る我孫子に憧れてのことでした。

 京都の天皇に反旗を翻した民衆(農民)の味方の将門に惚れたわたしは、息子が中学生のときにバイクで将門のゆかりの場所を見学に行きました。我孫子から茨城の坂東市にある「国王神社」は近いのです。

 わが我孫子市日秀の「将門神社」は最近になり整備されようなので、明後日=元日に行ってみようと思います。

 それに、わたしが幼少期より30回ほど行っている大好きな奥多摩の鳩ノ巣に「将門神社」があるとは知らずにいましたので、来春5月の「ソクラテス教室」の行事で行こうと思います。駅から500mほどのところだそうです。

 将門の年になりそうです。ついでに言うと、成田山新勝寺には一度も行ったことがないのも、縁でしょう(縁がないという縁)。成田山と聞くとなぜか嫌な感じがしたのですが、将門の敵だとは数年前に知ったのです。うん、やっぱりね(笑)

 武田康弘

 

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平成時代!?令和時代!?そんな時代はどこにもありません。凄まじいばかりの天皇教=元号教には呆れ返ります。怖ろしいこと。

2019-12-28 | 社会思想

 最大の陰謀家と歴史家が言う岩倉具視(ともみ)がつくった一世一元の新元号制度は、明治維新当時は多くの民衆、とりわけ東国の人は、天皇という存在を知っている人が極めて少数であったことを受けて、天皇をいやでも意識させるために、元号と天皇を1対1に対応させたのものです。

 それは、まんまと成功し、まるで、特定の天皇の存在=元号名の時代が実在するかのような幻想を日本人に深く植え付けることに成功し、今では、左右を問わず(共産党は別)元号表記を当たり前のものとして受け入れ、役所は元号を実際上、強制しています。戦後の一時期を除き、いまはまた天皇という記号を絶対化するニッポン教=天皇教=元号教で染め上げられています。

 今年2019年の5月1日からは、日本では令和という新しい時代が始まったというのですから、呆れるを通り越して、あまりに容易く占脳・染脳されるわが日本人には言葉がありません。愚かも度が過ぎます。お人良しも度が過ぎます。理性はどこにあるのでしょうか。

 日本人は、無宗教どころか、世界一の宗教国家ではないでしょうか。天皇教とは、仰々しい儀式だけがあり、中身は形式主義=序列主義という思想ともいえないイデオロギ=で、その時々の世俗の価値を肯定し絶対化する世俗ISMですから、知らずに心身の奥まで侵食されてしまいますが、それに気づくこともなく「天皇陛下」などという民主制とは二律背反の言葉を平気で使う人が大多数ですから、なんということか、です。

  「陛下」という言葉は、階上にいる天子=天皇には、階下の役人を通してしか話すことすらできないという意味で、民主政治とはおよそかけ離れた言葉で、近代市民社会でこんな言葉が使われることには、絶句するほかありません。日本人は、いつまで明治政府がつくった天皇神話に呪縛されたままなのでしょうか。日本の歴史は天皇が中心だったというような真っ赤な嘘をいつまでひきづるのか、うんざりします。

 天皇を国事行為から解放し、伝統文化の象徴とし、住居を江戸城という徳川の城からほんらいの住まいである京都御所に戻す。そうすれば、日本には市民主権の民主制(政)が花咲き、皇族の人権も回復されます。


 ※「天皇ismは、理性を育てません」(クリック)


武田康弘



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舘野 昌也さんのBLOGをご紹介「自然に沿った暮らしと遊びの体験スペースとして、お一人様から日帰り・宿泊体験ステイをお受けしています」

2019-12-21 | その他

舘野 昌也さんのBLOGをご紹介します。(武田)

 

野風草

☆《野風草》とは、「野に吹く風にそよぐ草」。八ヶ岳南麓にて、1997年より22 年目に突入(^^♪、自然農・料理・農産加工・自然体験・整体の実習を中心に、自然に沿った暮らしと遊びの体験スペースとして、お一人様から日帰り・宿泊体験ステイをお受けしています。 お日様がサンサンと、風がソヨソヨと、水がサラサラと、そして生きとし生けるものたちがキラキラと命輝く新しい世界の創造に向けて


八ヶ岳南麓、標高700mの野風草周辺では、落ち葉の季節を迎え、日もすっかり短くなって、朝は床暖房、日中はコタツに豆炭アンカを入れ、夜は薪ストーブの上で、焼きミカンや、畑で収穫したラッカセイを煎ったりしています。

宇宙自然はいつでもどこでも、天・地・人の順番に、まず”天”が移ろい変わり、それに連れて”地とそこに生きる野の命”が動き出し、一番最後に”人間さま”がドカドカとやって来るのです。

畑では、秋冬野菜は霜除けの寒冷紗を掛けたり、そろそろ根菜類も掘り上げて、庭のハウスの下に埋めて貯蔵します。
一方、自然体験の方は、冬枯れの落ち葉をカサコソ踏んで、柔らかな木漏れ日の中、静かな森歩きや低山の山登りなど、味わい深い季節を迎え、私の身体も宇宙のリズムにチューニング☆彡

通常の体験ステイは、いつでもお受けしています。
体験内容は、畑での自然農作業、農的暮らしに関わるちょっとした手仕事、八ケ岳・南アルプス山麓の森歩き・渓谷散策、川遊び、登山、庭にある縄文小屋で焚き火&焼き芋作り、コナラ林のハンモックでゆらゆら、料理・農産加工実習、八ケ岳・南アルプス・富士山の雄大な眺めを望みながらの朝のお散歩とご来光・太陽凝視、豆乳ヨーグルト・米のとぎ汁発酵乳酸菌液作り、発酵乳酸菌風呂または温泉入浴、整体実習、これまで訪ね歩いた日本の自然の写真を見ながらお話し、農的暮らし・移住・見えない世界に関するお話など。

自然農を基本に生きることに直接関わる自給的な田舎暮らし、この厳しい放射能環境を生き抜くための免疫力アップ、山・森・川、時に海も、命の多様性の奥深い波動に浸って、ご来光では身体の全細胞に光を浴びて、縄文小屋の焚き火では時空を越えて、そういった体験や体感を通して、大いなる自然の波動に同調して、他者との争いを超えた一体感や内なる存在の本質に気づかれ、見える世界がどんな状況にあっても、”今ここ”を悠々溌剌と生きていけるようになるきっかけの場となれば幸いです。

ここは、一方的に、料理やサービスや技術・知識などを提供するレストランや宿や学校ではありません。ぼくがこれまでの体験で得た智恵や技術をお伝えするだけでなく、集ったみなさまの持っているそれらも分かち合って、響き合って、融合して、そこで何に気づき、何を受け取り、何を落とし、何が生まれるかは、それぞれ参加されるみなさま次第ということになります。こちらは、そのためのガイド係りみたいなものです。ご一緒に、ワクワクな場を創って参りましょう♥♡

何分、一人での運営のため、何かと行き届かない面もあるかと思いますが、ご容赦願います。

では、みなさまとご縁を頂き、お会いできる日を楽しみにしています★☆
なお、facebook(舘野 昌也)では、ブログよりも一段と突っ込んだ内容も投稿していますので、どうぞご覧くださいませ♪ 友達リクエストの際は、メッセージも添えてお願いします(^^

以下は、クリックしてください。詳細が見れます。
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明治が生んだ「天皇」という制度は、実は、とても怖いのです。なぜ? 私の人生を充分に生きよう!

2019-12-19 | 学芸


白樺教育館のホームページに分かりやすい私の論考が載りました。簡潔ですので、ぜひお読みください。大切な人生のために。

206. 天皇system+ismとは、集団同調ismを生み、理性を育てません

 人々の自立を妨げ、集団同調を強い、深く考えることを阻害する何かがこの国の社会にはある、と指摘する人はいます。でも、その原因について触れる人はいません。避けているように見えます。
 その真の原因は一体何なのか、それを明らかにしようと試みたのが館長・武田によるこの論考です。公平公正な本来の民主制(共和制)実現のためには避けて通れない王道でもあります。
きわめて重要な話ですのでじっくりお読みください。PDFファイルも準備してあります。印刷される際にご利用ください。
PDFダウンロード=>

 なお、この論考は客観的に分析的に語ったものですが、一方で内的な視点から語った同様の論考があります。以下を参照ください。両方併せて読んでいただけると、より深く了解可能と思います。

私と共和制  楽しい公共社会を生むために +人類思想の三分類と恋知


古林 治

 


   天皇system+ismとは、集団同調ismを生み、理性を育てません   武田康弘

 
 日本には、平安時代前期の村上天皇を最後として、江戸時代の後期に光格が再び天皇を名乗るまで800年以上の間、天皇と呼ばれる人はいませんでした。 天皇は権力を失い、京都周辺のローカル王になったからですが、とりわけ鎌倉時代の承久の乱(1221年)で、仕掛けた側の後鳥羽院が完全敗北し、隠岐に島流しの刑となり同地で死去した後は、京都の西側までもすべて鎌倉幕府が治めることになりました(北条義時と姉の政子による)。
法然とその門下親鸞など12名の僧を死罪・流刑とした後鳥羽院は、自らが島流しとなり最期を迎えたのでした(左上図)。

 
 その後天皇家は細々と生き延びてきたのですが(権力欲に憑りつかれた後醍醐による南北朝の戦いは例外)、その存在は、明治維新が成立した後でも、とりわけ東国では天皇を知っている民衆はほとんどいませんでした。明治政府は看板に書いて広めなくてはならなかったほどです。

 いまの天皇制は、明治維新の岩倉具視や伊藤博文、山県有朋らがつくった「近代天皇制」と呼ばれるものですが、それは、祭事(まつりごと)や武士の政治権力を聖化する儀式をして生家を立てていた一家の長を現人神(あらひとがみ・生きている神)として崇める政府神道(明治政府がつくった国家宗教)です。この政府がつくった宗教の総本山が「東京招魂社」(官軍側の死者だけを国家の軍神として祀る施設)でしたが、10年後に名称を「靖国神社」と改め、日本の伝統の神社でもあるかのように装ったのでした。

 知恵者である岩倉具視(※)は、まだ民衆にはあまり知られていなかった天皇を知らしめ、意識させるために、新しい元号制度を考案しました。数年に一度変わっていた元号(天災が起こったり祝い事があると変えていた)を、天皇の存在と結びつけ、天皇と時代名を一致させる「一世一元」にしたのでした。これにより民衆は、いやでも天皇を意識するようになり、時代名として元号を使うことで時間感覚まで古代の王制のように支配され、天皇教として無自覚に心身に入り込むことになったのです。太平洋戦争敗戦までの明治憲法時代(主権者は天皇で現人神)も、敗戦後の新憲法時代(主権者は国民となり天皇は「人間宣言」をした)も、同じ昭和時代と呼ばれ、それを誰もおかしいとは思わないのですから不思議です。


 続きは、クリックしてください。

 



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いま、必読です。『スキンシップで心が育つ』 平井 信義著

2019-12-08 | 教育
いま、子育て中のお母さん、お父さんに、
先生や、文科省の関係者のみなさんにもぜひ読んでもらいたいと思います。
これがなければすべてなし、ですので。
 
 
 
 

 平井信義さんの著書「スキンシップで心が育つ(出版:企画室)」より、内容を抜粋してご紹介します。

 以下は、ソクラテス教室・大学クラスで、師のタケセン(武田康弘氏)からの依頼で西山裕天(ひろたか)が作成しました。

 タケセンが指摘される通り、抜粋した個所は、平井さんの考えの核心であり、このページで一番最初にご紹介するものとしてまさにぴったりだと思います。

「難解である」とか「専門的である」事と対極の考え方・書き方で、自らの思想の根幹を解りやすくやさしい言葉で提示されると、どなたも自然に納得できるのではないかと思います。

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1 人格の四つの柱

○「思いやり」と「意欲」が人格の土台

子供の心の発達という事を考える場合、私は四つの柱を立てて考えています。
 そして、最も大切な柱から順番に層を重ねて、三角形を作ります。ですから、お母さん・お父さんが子どもの心を育てるにあたっては、三角形の図の下の層にある要素ほど十分に注意を払わなければなりません。
知性はいちばん上にありますが、それがいちばん大切というわけではないのです。むしろその逆に、人格形成の上での大切さから言えば、四番目になるのです。
「思いやり」と「意欲」といった心の基礎的な要素を十分に養うことなしに、知的能力の発達にばかり励みますと、いわゆる頭でっかちの逆三角形となり、ちょっとした困難で挫折してしまうようなもろい人格構造になってしまいます。受験競争の低年齢化で、近年そのような人格構造の子供たちが増えているのは大変心配なことです。

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2 第一の柱 ―― 思いやり

○親子のスキンシップが「思いやり」を育てる

 人格の第一の柱は「思いやり」です。
 この「思いやり」の心は、人が社会生活を営んでいく上で、最も大切な心の要素だと私は考えています。「思いやり」のある人が多くなれば、住みよい温かい社会が実現するでしょう。このもっとも大切な「思いやり」の心は、乳幼児期における両親(特にお母さん)とのスキンシップによって促進されます。
 乳幼児期に、どのように親子でスキンシップを楽しんだか、ということが、その後の子どもの「思いやり」の心の発達に影響を持ち続け、それは思春期以降にまで及びます。その点でも、乳幼児期は子供の心の基礎を作る大切な時期なのです。
 この乳幼児期にスキンシップが不足していた子どもは、その後においては、体も大きくなり、年齢が上がると共にますますその不足を取り戻すことが難しくなります。このようなことから、「思いやり」の心が順調に発達しない例が多いのです。
 ですから、最も自然にスキンシップを楽しめる乳幼児期に、お母さん・お父さんは子どもと十分に遊んでほしいと思います。そして、乳幼児期におけるスキンシップが少なかったことに気づいたら、何とかして自然な形でスキンシップが実現できるように工夫してみてほしいのです。

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3 第二の柱 ―― 意欲(自発性)

○子どもにまかせる育て方が意欲を伸ばす

第二の柱は意欲(自発性)です。
 自発性というのは、自分で考え、自分で行動する力です。ただし、この「自発性の発達」は、その下の層の「思いやり」に支えられて意義のあるものになるのです。「思いやり」に支えられないと、利己主義になってしまい、周囲のものに迷惑を及ぼすことがあるからです。
子どもの自発性は、親にまかされることによって発達します。ですから、お母さん・お父さんとしては、口を出したり、手を貸したりしないで、子どものする事を見守っているという姿勢が大切です。
逆に言えば、親から過保護・干渉を受けている子どもは自発性の発達が遅れています。そのような子供は、「おとなしい、よい子」にされてしまっているのです。そのことに気づいたら、お母さん・お父さんは過保護・干渉をやめ、子どもに自由を与え、子どもにまかせて自発性の発達を促す必要があります。
自発性の発達が遅れている「おとなしい、よい子」は、思春期になって自己決定を迫られるようになると、それが出来なくて様々な問題を起こすことが多いのです。
この「自発性の発達」は意欲と結びついています。意欲とは、いきいきと生きる力であり、それは「自発性の発達」に伴って育ってきます。
さらに、「自発性の発達」を基盤として、創造性が発達します。
創造性とは新しいものを生み出す力で、この力が発揮されるには、これまでの枠組みをはずしたり、それに挑戦する努力が必要になります。社会的には「型破り」と言われることになることもあります。
したがって、現状を改革しようとする意欲や「右にならえ」に抵抗する力も必要になります。その意味で、封建時代が長く続き、今日でも、その時代の仕組みや教育がたくさんに残っているわが国では、非常に育ちにくい人格の柱です。
しかしながら、国際社会では最も必要になる人格の柱と言えるでしょう。

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「スキンシップで心が育つ(出版:企画室)」 P36 から P40 まで

以下にアマゾンへのリンクを張っていますが、残念ながら絶版のようです。
中古本が数点出品されていますが、再販を強く望む一冊です。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%AD%E…/…/ref=sr_1_1…

写真の説明はありません。
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君たち、安倍首相、自民党議員、よく聞きなさい!現代の偉人=中村医師の言葉を!! 遺言となったハレンチな安倍首相への根源的批判です。

2019-12-04 | 社会批評

以下は、安倍首相と自民党を厳しく批判する4年半前の中村医師のことばです。

訃報を前に、わたしは涙を止めることができません。同時に、安倍晋三という男=国家を私物化し悪業の限りをつくす首相への激しい憤りの感情=公共的怒りをもちます。
安倍を支える自民党の議員の猛省を促します。

君たち、安倍首相、自民党議員、よく聞きなさい!現代の偉人=中村医師の言葉を!!

2015-02-06 | 社会思想

現代の生ける偉人=中村医師は、アフガニスタンで「」のように尊敬されています。

愚かな日本政府の人々よ、自民党や右派の政治家たちよ、心して聞きなさい!

彼は、誰よりも何よりも、アフガニスタンの大勢の命を救うことで、同時に日本と日本人に貢献しているのです。

日本政府からは1円の援助も受けず、その奇跡のような大事業を為し続けています。

戦前の「日本主義」にとらわれた人々よ、いい加減に目を覚ましたらどうですか!

深い感動なくして中村医師の言葉を読むことはできないはずです。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員 国会職員に哲学と憲法の哲学的土台を講義)

http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php 
(太字・色字は、武田による)


中村

 それでも、いまでもほかの国に比べたら、日本への感情はとても親しいものです。この感情を大事にしなければならないと思うんです。湾岸戦争のときに、「日本は血も汗も流さずお金だけばら撒いて、しかも国際社会から何の感謝もされなかった。それが、トラウマになっている」なんて、自民党の議員さんたちはよく言うようですけど、なんでそんなことがトラウマになるんですか。「お金の使い方が間違っていた」と言うのならいいのですが、「もっと血と汗を流せ」という方向へ行って、とうとうイラクへは自衛隊まで派遣してしまった。僕は、これはとても大きな転回点だったと思っています。
  これまでは、海外に軍事力を派遣しない、ということが日本の最大の国際貢献だったはずなのに、とうとうそれを破ってしまったんです。これは、戦争協力ですよね。そんなお金があるんだったら、福祉だの農業復興だの何だの、ほかに使い道はいくらでもあるというのに。

編集部

 ほんとうにそうですね。お金をどのように使うか、国際貢献とか国際援助とかいうのなら、最初に中村さんがおっしゃったように、まず「生存」のために使うべきですよね。

中村

 日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべきなんです。現地で活動していると、力の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みます。銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。当たり前のことです。でも、ようやく流れ始めた用水路を、誰が破壊しますか。緑色に復活した農地に誰が爆弾を撃ち込みたいと思いますか。それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってきます。それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しているんですが。



9条は、僕らの活動を支えてくれる
リアルで大きな力

編集部

 そう言えば、雑誌『SIGHT』(07年1月)のインタビューで、「9条がリアルで大きな力だったという現実。これはもっと知られるべきなんじゃないか」とおっしゃっていましたね。

中村

 そうなんですよ。ほんとうにそうなんです。僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。

 武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。

 
編集部

 その体で実感した9条を手放すことには、どうしても納得できない。

中村

 具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです。日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。だから、アフガンでも中東でも、いまでも親近感を持たれている。これを外交の基礎にするべきだと、僕は強く思います。

編集部

 お話を伺って、中村さんたちの活動は、それこそ「ノーベル平和賞」に十分に値するものじゃないかと、とても強く感じました。これからも、ほんとうにお体や健康にお気をつけて、素晴らしい活動をお続けください。

 本日は、長時間、ほんとうにありがとうございました。
中村

 はい、こちらこそありがとうございました。第2期用水路建設に向けて、もっと日焼けしてきます(笑)。

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「こんなバカな政権はない。憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はない」 現代の偉人=中村医師のことば。

2016-10-30 | 社会批評

 

アフガニスタンで大変な尊敬を集める日本人=現代の偉人としてNHKでも幾度も紹介されている医師の中村哲さんは、たった一人ではじめた大灌漑事業で、水を引き、砂漠の緑地化に成功し、それによりアフガンニスタンの多くの人の命を救いました。彼のめまいがするほどの大事業は、日本人への多大な尊敬の念を生みました。

それをもとから破壊してしまうのが、いまの安倍自民党政権で、海外派兵への道を拓くために、違憲の法改定を数の力で次々と行っています。歴代自民党総裁も言葉を失う稀代の悪行ですが、それを平然と進めています。彼の戦前日本への郷愁=ウヨク思想は自身の行為を正当化しますが、そのような言動は日本の良心を元から消去してしまいます。

以下は1年前の中村医師の講演録です。
安倍首相以下の閣僚、自民党員、その支持者の方は特によく話を聞き、反省する必要があります。反省しないなら、国を台無しにする「非国民」になりますよ。

中村医師は、「こんなバカな政権(米軍との一体化を目指す安倍政権)はない。安倍政権がアフガニスタンに出現したなら、私はもう何十回か暗殺されている。憲法に従う義務はあるが、政権に従う義務はない」と話しています。

自分のブログを見る


以下は、全文です。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/ahuganisutanniinotinomuzuwo.html



※実は、この中村医師の言葉には、近代憲法に対する誤解があります。
中学の公民の教科書にも明瞭に説明されている「立憲主義」とは、為政者に対して主権者である人民(国民)が、政治統治の理念を示し、守らせるものですので、
主権者の国民が守る、という言い方は、ほんとうは間違いなのですが、中村医師の心情はよく伝わります。
その点は誤解なきように。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員 国会職員に哲学と憲法の哲学的土台を講義)

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2015年2月6日に出した元の記事に、「いいね!」を1万2千件を頂きました(2019年12月4日から8日の間)。
この記事は出したときに、1万5千件を超える「いいね!」を頂きましたが、NTTのBlog管理の変更に伴いゼロ(すべてのBlogがゼロ)となってしまいましたので、今の数は、ゼロからのものです。哀しみの中ですが、ありがたいことです。

 

コメント (1)
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