わたしは、、
多くのふつうの人が「なるほど」と納得できるような理念、
コンコンと泉が湧き出てくるような豊穣な理念、
一言で言えば《エロース豊かな理念》を生み出し、
そこから、広がりのある・意味の濃い・よき合理性をもった《具体の言動》を創っていきたい、といつも思っています。
逆に言えば、「現実」を全身で掬い取るように捉え、
そこから《エロース豊かな理念》を立ち上げる、という訳ですが、
これは本来、一体のものです。
「現実主義」と「理念主義」の双方を超えて、思想を生きたものにするには、生身の人間として、鎧に守られた人間=肩書き人や組織人ではなく、裸の個人として、日々の現実に素手で関わる態度―勇気が必要です。
本物の強さ=優しさがなければ、生きたエロース豊かな理念=新たな人生と社会を切り開く能動的な理念をつくることは決してできません。
人間力を養うには、書物に頼らず、生の体験=具体的経験に基づき、自問自答し、生きた話し言葉で対話することが必要です。書かれたものー書物は、思考を触発する単なる一アイテムにしかすぎません。
私の人生の立場は、音楽に例えて言えば、作曲者兼演奏者です。したがって、その立場から全てに関ります。過去に書かれたものは、それなりに尊重し、一つの手段として今に役立てればよいのです。それ以上でもそれ以下でもありません。
今、生きている心身と、今、生きている心身が触れ合い、新たなエロースを生み出すこと。
それが生きることです。これは原理中の原理です。
武田康弘 2005.1.31