思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

わたしは、橋下維新の会に天を衝く怒りをもちます=内面を犯す根源悪。

2012-04-28 | 社会思想

 

ヒトラーは、天才でした。

優れた民主憲法をもっていたワイマール体制の下で疲弊していたドイツをどん底から救いました。彼以外の誰もなしえない快挙でした。

「需要が供給をつくる」というコペルニクス的転回=経済学の革命を行ったのは、よく知られているようにケインズですが、ケインズ理論が現れる前に、驚くべき直観力と現実感覚で、ドン底の不況下において誰も考えさえしなかった大胆な公共事業を断行し、優れた金融政策と併せてドイツに奇跡を起こしたのがヒトラーだったのです。

彼の極めて優れた実行力と唖然とするような実績の前に、批判勢力は萎えてしまいました。幾度かの選挙の末、ヒトラーの率いるナチ党(正式名称は、国家社会主義ドイツ労働者党)は議会で過半数を占め、支持率は90パーセントを超え、国会は、政府(行政)に立法権まで与えてヒトラーは独裁者になりました。 

ヒトラーは、ドイツ民族を特別に優れたものとし、ドイツ国家主義に都合の悪い思想を徹底して取り締まりました。彼は、ドイツ国民の統一と支配のために音楽を多用しました。ワーグナーを中心に優れたドイツ音楽を用い、ドイツ国家絶対の感情をつくりだしたのです。ナチ党の歌『旗を高く掲げよ』は、実際上の国歌となり、全員に声を出して歌うわせることでドイツは一つ、ドイツ人は一体という感情を盛り上げました。「集団の美」の追求が合言葉となったのです。

自国の文化を特別に優れたものと見る情熱は、ナショナリズムを生み、排外的な感情を育て、「互いの自由の尊重」という思想を後景に退け、人権・自由と民主主義を消していきました。20世紀最大の哲学者と言われているハイデガーも進んでナチ党に入党し、ヒトラーに積極的に進言したといわれています。

今日、「天才」ヒトラーを支持する者はいないでしょう。彼は、権力を用いて内心の自由を奪ったのです。国家のためとして、個人の内面を奪ったのです。内面を支配することで得られる成果はいかに大きくとも必ず破綻し、とてつもなく大きな不幸をつくります。戦前の日本の天皇現人神という思想も同じです。

1880年の明治天皇誕生日11月3日に捧げられた『君が代』(歌詞は古今和歌集の読み人知らずの詩で、その出所は、古代天皇制成立以前の九州王朝の賛歌と言われますが、メロディーはこの時に創られました)を歌うことに違和感をもつ人は数多くいますが、違和感を持つ人の【歌わない自由】まで奪う=口をあけているかどうかをチェックする、というのは、個人の内面まで管理できると考える独裁者の思想であり、どのような理由であれ、とうてい許されません。これは、近代民主制社会の根幹を揺るがす「大事件」なのです。

このような思想統制を当然のこととして行う橋下大阪市長と維新の会、及びそれに同調する者は、人権思想に基づく自由と民主主義を否定する者であり、断じて許すわけにはいきません。根源悪というほかありません。ヒトラーも、ミュンヘンの一地方政治家だったのです。

内面を犯された者は、その仕打ちを決して忘れることはありません。

個人の内面の自由を奪って得た成果が恐ろしい結果を生むことは、ナチスのドイツや、スターリンのソビエトや、天皇現人神による日本の政治が「見事」に証明しています。いかなる権力も内面に踏み込んだらお終いなのです。

ついでに言えば、これは親子関係にも言えます。内面の自由を犯す者は、【魂の殺人者】と呼ばれますが、これは、人間の犯すことのできる最悪の罪だと言えます。

 

武田康弘

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以下は、コメント欄のよしくんぱっとさんへのお応えです。

 

もちろん、時代状況が違いますし、橋本さんは、ヒトラーの天才と狂気とは比較になりません(お笑いテレビが作り出した関西人)。

ただし、いまの日本の政治的混沌(民主党の脆弱さと検察の陰謀とそれを助けるマスコミによる)は、恐いな、と思っています。

民主主義はふだんの民主化の努力なしには成立せず、わたしのような「自覚したふつうの民」がしっかり力を発揮することが必要だと思っています。

わたしは、ソクラテスの「恋知」の大事さ(意味=本質をつかむ)と、子どもたちのひとりひとりが「天上天下唯我独尊」なのだというブッダの教えを伝えたいと思い、実践してきました。ーー「民主的倫理」に基づいて生きること、それがわたしの不動の信念です。

ほんらい社会とは、その基本思想=原理によりつくられなくてはならないと考えています。ほんとうのエリート(真に優れた人)とは、ふつうの人々の側に立ち、みなと同じ生活をし、その能力をみなのために用いる人だと思っています。

武田康弘

 

 

 

コメント (2)
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日本テレビの感情論ー国民誘導報道に呆れるー小沢無罪判決に対して。

2012-04-26 | 社会批評

日本テレビの「ミヤネヤ:」という番組を見てのツブヤキ。

事実を無視した若い弁護士の感情論トーク(判決文を小沢=悪という視点で読み変える)を中心にし、マスコミによってつくられた国民感情を増幅する「天才的」!?(笑)な小泉おぼっちゃま議員のコメント=【この無罪判決で政界の闇はますます深まった】を、ヒラリークリントン級の最高の言辞だとしてもちあげ、あくまでも小沢は、悪(=排除の対象)という論理を展開する日本テレビの姿勢に、改めて「戦争賛美と協力」に明け暮れた戦前のマスコミと同じだな、と感じ入りました。ただし、誘導・洗脳の技術は格段に進歩していますが(笑・憤)。もしかすると、自分の頭で考える力が弱まっているテレビ人は、自分で自分の論理破たん=感情論の支配に気付かないのかもしれません。【思考力減退による日本の闇はますます深まっている】のが、わが日本の最大の問題です。情報処理に特化した頭脳ではなく、思考力と判断力の育成が喫緊の課題です。

なお、小沢問題の本質を知るためには、政治的には反小沢である元検察官、郷原信郎さんの「検察が危ない」(ベスト新書)をお読み下さい。明晰な論理による公正な見方を踏まえた上で論じなければ、戦前と同じ過ちを繰り返すことになります。テレビで発言する人は、最低限「事実」を弁える義務があるはずです。感情論によるデタラメな発言は根源悪です。

武田康弘

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ドレイがドレイをつくる社会

  
はりやー

市民目線で白黒つけろと司法に持ち込んで白となると
グレーだグレーだと言い出す人達って本当に何なんでしょうね?

海外から見れば司法と言う手打ちを容認できない未熟な民主主義国家と思われても仕方ないような政界やマスコミ、市民の反応が多いと思います
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すかぶら

こんな裁判を担当させられる裁判官も被害者でしょうね。
へびのあし(蛇足)
契約と納期とどちらで帳簿に記載するのか、
よくあるミスであります。
一応僕は商学部なもんで
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タケセン

「記者クラブ」制度という独裁権力を行使するマスコミは、検察からのリーク報道に依拠し、「官僚独裁体制」を維持する国民操作のための支配機関となっていますね。とりわけ日本テレビは、正力松太郎が原子力エネルギーを広めるために作った洗脳放送局ですから、さもありなんです。一応、反対派も登場させ官僚批判もしながらの誘導ですから、なかなか凝っています(笑)。北朝鮮はヘタクソですが、日本のマスコミはお上手な誘導・洗脳をします。
ジャーナリストとしての自立精神のないマスコミ人は、いわば自身がドレイですから、日本は奴隷が奴隷をつくる社会というわけです(笑・呆・憤)。
 
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約4年長かったですね!(涙) (林)
2012-04-27 23:10:47
 
武田先生へ

読売老害新聞社、朝日東大病新聞社、フジ最低新聞社らを主とした長期に渡る小沢氏圧殺報道に心底怒りを感じていた者の一人とし昨日のニュースでホットさせられつつ、改めて憤慨しております。

郷原氏の書籍並びに上杉隆氏の、
「新聞、テレビはなぜ平気でウソをつくのか」(php新書)

いずれも国民必読書ですね。


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      インチキとデタラメを包む技術者集団 (武田康弘)
      2012-04-28 01:07:31
 
林さん

まったくですね。
受験知・情報処理能力知が知を独占する社会は、土台がインチキです。原理的思考がないので、表層知がすべて。それをソフィスティケートする技術をもつ者が管理者として社会を支配する。
知的教育の根本が間違っているのです。元から変えなくては。
 
コメント (3)
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教育への政治介入の愚かさ―魂の殺人鬼・岩波『世界』5月号

2012-04-23 | 書評
 
 
岩波『世界』の5月号は、特集「教育に政治が介入するとき」を組み、東京都の石原知事と大阪市の橋下市長の行っている政治的なイデオロギーによる学校教育支配の実態を暴いています。 国家主義思想による管理が、民主主義の否定を招き(自由な議論の禁止、現場や子どもたちによる決定を認めない上からの命令)、瀕死に陥っている学校現場に人間性を回復するための特集です。

『東大話法』を厳しく批判している安冨歩さん(東大教授)の言葉を借りれば、まさに悪の集団=ショッカーとなっているのが、強権政治家と教育委員会に所属する役人集団です。仮面ライダーとして彼らに立ち向かっているのが、特集の最初に対談を行っている土肥信雄さん(元東京都立三鷹高校校長)と尾木直樹さん(教育評論家・尾木ママ)です。

その他のライダーは、
藤田英典(共栄大学)さん、中嶋哲彦さん(名古屋大学)、小川正人さん(放送大学)、西原博史さん(早稲田大学)、池添徳明さん(ジャーナリスト)、新井紀子(国立情報学研究所)、尾崎幸謙さん(統計数理研究所)、近藤幹生さん(白梅学園大学)です。

ぜひ、お読みください。特に対談の部分は分かりよく説得力に富みます。

なお、最近になって、よく大学入試問題にも使われている『盗まれた自由」』は、わたしの師であった竹内芳郎さんが1988年に我孫子市で行った講演文ですが(わたしが主宰した講演会※で、筑摩書房刊の『ポストモダンと天皇教の現在』の巻頭論文)、その中で竹内さんは、管理教育を行う文部省や教育委員会の役人とそれに同調する教師たちを「常習犯的な殺人鬼とでも呼ぶほかない存在」(6ページ)と言っています。


子どもたちと子どもの側に立つ教師たちを強権で抑圧し、不幸をもたらしている現実を変えていくためには、まず現実をよく知ることが必要です。個人の良心に基づく市民的な公共性により、強権的な政治支配という悪を打ち破るのは、わたしとあなたの言動の力です。みなさん、ぜひ共に!

教育の【原理】は、こどもを愛し、寄り添うことなのです。

※ このわたしが主宰した竹内芳朗講演会は、現・消費者庁長官(当時は我孫子市議)の福嶋浩彦さんとわたしの二人でつくっていたミニコミ紙『緑と市民自治』(我孫子市全域に新聞折込で配布・4万部)で竹内哲学を紹介して参加を呼びかけたものです。朝日新聞にも事前に取り上げてもらい(千葉版のトップ記事)大盛況でしたが、この講演文を中心にして『ポストモダンと天皇教の現在』が筑摩書房から出版され、それがキッカケで『討論塾』がつくられたのでした。

(補足・ちょうど20年前の岩波『世界』の8月号には、わたしの書いた『我孫子丸刈り狂想曲』が載っていますので、ぜひ、ご覧ください)

 

武田康弘
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【国旗】を神聖視するような愚か者は、害あって益なしーーへのコメント。

2012-04-19 | 社会思想

以下は、だいぶ前(2011年2月)のブログー【国旗】を神聖視するような愚か者は、害あって益なし。に対するコメントです。
(わたしのブログ「思索の日記」は、おかげさまで、一日の総アクセス数が1000件を割ることはめったにないほどお読み頂いていますが、そのために過去のブログへのコメントも多々あります)


一国民しての意見 (一国民)

読んでみて…

国旗 国歌反対派の意見かな?

卒業式に関しては同意見ですが

国旗 国歌に否定的な考えは(?_?)て感じですね

世界中で日本ぐらいじゃないですかね
こんなこと言ってるの

国旗 国歌がない先進国ってありますか?

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意味不明 (武田康弘)

「国旗 国歌がない先進国ってありますか?」
意味不明のコメントでお応えのしようがありません。
そんな話になぜなるのか?
きちんと文章を読んでからコメントするのが礼儀です。「一人間」として民主的倫理を踏まえてください。

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Unknown (通りすがり)


一国民さんは、

「言うまでもないことですが、「旗」を有難がり、旗に敬礼するといのは、愚か者の仕業でしかありません。こどもたちは誰一人としてそんな馬鹿げたことはしません。北朝鮮のように洗脳されていない限りは。」

↑を否定しているのだと思います。
北朝鮮のような前時代的な全体主義国家に限らず、例えば先進国の間でも、自国の国旗や国歌に畏敬の念を抱くのは常識であり、むしろ、旗を軽んじ、旗に背く、そんな愚かな言説がまかり通るのは日本くらいだと。

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次元の低い話 (武田康弘)

「旗に背く」!?!?
わざわざそんなことをする人も、
「旗に敬礼する」人も、
どちらもまともではありませんね。
なんだか、情けなく、バカバカしい話です。
もっと思考力や想像力という意味での知的レベルを上げないと。

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Unknown (通りすがり)

お返事ありがとうございます。

つかぬことをお聞きしますが、武田さんは日本を好んで、もしくは愛していらっしゃいますか?

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わたしは愛国者です。 (武田康弘)

ええ、わたしは、民衆の歴史(宗教で言えば、親鸞の民衆宗教)と、海や河川や山林ー風土としての日本をこよなく愛しています。

だから、父権的権力による抑圧や自然破壊、子どもや動物の虐待、また官治主義による民主主義(現場での対等自由な話し合いによる決定)の抑圧には、強い怒りを覚えます。

自国を真に優れたものにするためには、自己批判できる精神が重要で、その意味でも第55代総理大臣の石橋湛山は深く尊敬するに値する人物です。

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Unknown (別の通りすがり)

なんとなくわかった気がする

言われて見れば確かに
「国旗に背け」という人は変だし
「国旗を敬え」という人も変

俺は日の丸が好きだが「日の丸自体が好き」というわけじゃないのかもしれない
完全に納得したわけじゃないが


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強要は不幸を生みます。 (武田康弘)

アメリカやカナダやオーストラリアなど、近代になって誕生した国では、国旗は国民としての存在を示す象徴的なもの、と自然に意識されますが、

わが国のように長い歴史を持ち、多民族に支配されたことのない国(地理的に海で囲まれた島国である利点、ただし、わが国が朝鮮や中国の一部を実効支配したことはあります)では、国旗に特別な価値を見る考えは生まれないのです。

もし、国旗に特別に大きな価値を与えようとするならば、学校教育で毎日強制的に拝ませるような洗脳行為が必要になりますが、それは、近代市民社会が発展し個々人の自由が実現している民主主義国家の日本では、してはならないことでしょう。

ともあれ、何事につけ強制しなければ実現しない行為や思想とは、特定のイデオロギーに過ぎず、みなが深く納得するものにはなりません。強要は幸福をつくらず、対立や闘争や暴力を生むだけなのです。

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「東大話法」と「東大病」をめぐっての四者会談―安冨歩さんらと。

2012-04-16 | 社会思想
撮影・大野裕子さん

昨日、東大話法と東大病をめぐり、四人で座談会をしました。
明石書店・会議室で、午後2時から7時まで休みなし。その後食事会でまた続きを(笑)
安冨歩著『原発危機と東大話法』(明石書店刊)


わたしは、
明治の近代天皇制による国家運営の基盤(欧米の強さの秘密をキリスト教=一神教に見た明治政府は、擬似的な一神教=『天皇教』をつくり、その新宗教の総本山として東京招魂社=10年後に『靖国神社』と改名を創設)について話し、それを支える大学として『東大』をつくり、特に法学部をその中心として「主権者としての天皇」を支える官吏とした・・・・・・・・
という話からはじめましたが、
この認識は、ほぼ参加者の共通理解となりました。

ちなみに、オウム真理教は、生きている人間を絶対者とする点で、天皇教(天皇現人神)と同じ構造をもつと話し、同意を得ました。

その歴史俯瞰的な話しから、
「東大話法」を生みだす「東大病」の話しになり、日本人の「東大信仰」は、多くの人々に共通するが、知的営みをパターン知と丸暗記に置く歪み(ヒステリー:一元的価値観)が、社会の歪みをもたらす深因であること、
現代社会の特徴は、「知」による支配であり、それが単なる「事実学」の所有者による支配を許す結果になること(「事実学は事実人しかつくらない」フッサール)。この意味論や本質論(○○とは何か?の探求)のない情報処理に過ぎない勉学は、全体を捉えられない人間しか生まないこと・・・などを話しました。

したがって、現代社会の病根を断つためには、【知】の捉え方を根本的にかえること(「客観知」は知の手段であり目的ではない・知の目的は「主観性の知」の拡大・深化にある)と、【教育】の改革(読み書き計算の他に、「考え・対話し・決める」ことを中心にすえる)が必要であること。これは絶対的条件。
と話を続けました。

安冨さんは、わたしの話しを受けて、
自分を含めて、東大生や東大教授(「エリート」と目される人)の多くに、何らかの広義の自閉症的あるいは仕事依存症的性格があり、そういう人物が、大きな権限を振るうのは社会にとって駄目だ、と考えている。判断はもっと健全な人がしないといけないと思う、と語りました。

その後もさまざまな話が交わされ、また、他の参加者からの貴重な発言も多々ありましたが、ここでは、個人ブログの性質上、内容には触れません。また、わたしは参議院行政監視委員会の客員調査員を務めていましたので、それに関連する話もしましたが、これも今はカットです。


ともあれ、人間の知的能力を、客観知(学)に閉じ込め、その暗記勉強に特定すれば、健全な精神が養われないのは火を見るより明らかです。受験知崇拝の社会では、数々の体験(自然体験・実験体験、文学体験・音楽体験・美術体験・・・)に基づくほんとうの知=健康な知は育ちようがありません。知と教育に対する見方・考え方(価値評価)の変更は喫緊の課題であり、これなくしては何をしても砂上の楼閣です。

最後に、
明石書店社長の石井昭男さんは、スケールの大きなとても面白い方で、食事会は大いに楽しめました。感射です。新刊本もたくさん頂いてしまいました。貴重な資料(F.アベトの写真集)もありますので、『白樺教育館』の書棚に置きます。




武田康弘


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わたしの愛聴盤・ペライアの弾く「ヘンデル&スカルラッティ」は、豊かな名盤。

2012-04-07 | 趣味

1997年に発売されてから15年間、折に触れ聴き続けてきたマレイ・ペライアの弾く「ヘンデルのクラヴィーア組曲・スカルラッティのソナタ集」は、聴くたびに心豊かになります。

わたしが、よく使う「豊かな」という形容詞のイメージは、ペライアの弾くピアノと重なります。自由闊達でかつ上品な音楽が、確かな技術により確固として現れます。ほんとうに「豊か」な世界が広がります。貴族趣味の退廃や、差別的な優越とは無縁な、健康な生活世界から立ち昇る品位の高い豊かさです。

とっても素敵な名盤ですので、ぜひ、どうぞ。
録音も演奏とピタリとあったふくよかな美しさに溢れています。

日本盤

輸入盤US

武田康弘
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『全身の細胞で考える』 ー惰性態から脱するソクラテス的対話の36年

2012-04-04 | 恋知(哲学)

企業向けの季刊誌『環境会議』2012年春号に所載の
『全身の細胞で考える・知の冒険を始めよう』 ー惰性態から脱するソクラテス対話は、
昨年11月に宣伝会議(株)から依頼されて書いたものです。

「生きた哲学」の特集をするので、36年間にわたる『白樺教育館』の考え方・活動内容・歴史を書いてほしいとのことでしたので、分明・簡潔に書きました。

『白樺教育館』ホームにpdfファイルを公開しました。ぜひ、お読みになってください。歴史的な(笑)写真もあります。


武田康弘
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